前回の大里スピンオフ・中城ミステリー『中城は貴足城の読み違いだった!?』の海東諸国記から紐解く続編、そして『琉球大里列伝④』からの続編にもなる『大里鬼は一体誰なんだミステリー』をお届けしよう!
まずは前回の中城ミステリーと同じく、海東諸国記の改訂版を眺めてみよう。
前回のメイン内容だった『中城』と思われし『貴足城』が中央真下に見える。
その左手、なんと書いてあるだろうか?
そう、まさかの『鬼具足城』と書いてある!!鬼だよ鬼!?
これが何を言わんとしているのか。
大里鬼秘話の始まりだ。
鬼具足城と呼ばれた謎
この鬼具足城、位置的に見てみると、
なんと『島添大里グスク』にピタリと当てはまる!!
これまでボス自論では、大里こそが古代琉球の最大都市と度々伝えてきた。
さらにボスイケ南走平家論では、大里は『ダイリ』と読めて『内裏』に通づると推測している。
安徳天皇(舜天)が大里にグスク(御所)を築城、いや、逆に築城した場所を『大里』と名付けたと。
北九州市の門司には、安徳天皇一行が仮の御所(内裏)を建てたことから『大里』となった地名があることが、はっきり歴史事実として残っている。
その後舜天は大里の娘(大里按司の妹)と結ばれ、(ん?大里の妹? ムーチー兄妹話にも繋がるな?)後に中城、浦添グスクへと移動する。
より詳しくは前回の中城の謎編へ
真逆の舜天源氏説でも、為朝が大里按司の妹と結ばれて尊敦(舜天)が生まれたとしている。
そんな高貴で神聖な場所『大里』が、なぜ『鬼の城』へと変わったのか。
なぜ大里には鬼が住むと言われるようになったのか、なぜ大里鬼ムーチー伝説まで作られたのか!?
そこには、やはりこの南走平家説が大いに絡んでいるのではないか!?
と思うわけだ。完全に自論だけどね。
ギリムイグスクとイイムイ御嶽
大里はホントに雰囲気がただならぬ場所だ。
これまでに何度大里神秘について書いてきたことか。
御嶽の形まで、他地域とは一線を画しているのだ。御嶽上部には宝珠が乗り、見様によっては『竜宮城』にも見える。
そう、舜天が安徳天皇だとすれば、彼は平家物語で二位の尼(平清盛の正室)に抱き抱えられ入水したとされ、その後『水天』として崇められた。
『壇ノ浦の闘い』があったまさに山口の下関には、その御霊を弔うべく赤間神宮が建ち、水天門の姿はまさに竜宮城そのもの!
そして『水天』だよ?『首里天加那志』との関連は!?
そのあたりも、過去のボスイケ南走平家列伝で詳しく書いてあるので、興味ある方はぜひ読んでほしい。
そんな神秘に溢れた大里の中で、より一層オーラが飛び抜けてる場所がある。
それが『ギリムイグスク』と『イイムイ御嶽』だ。
ギリムイグスクは、大里グスクが築城される前のグスクだと言われており、この森(ムイ)の中にこそ『鬼』が住んでいた『洞窟』があると言われる。
他にもギリムイグスク内には洞窟がいくつもあり、とにかく雰囲気が凄い。
そう、ボスイケ南走平家説に基づけば、このギリムイグスクこそが『舜天』が大里に初めて築城したグスク。大里の中でも最も神聖な場所となる。
しかし一体、ギリムイのギリとは何だ?
『ムイ』は恐らく『森』だろう。
ん?ニライカナイは『儀来河内(ギライカナイ)』とも呼ばれ、海の彼方の桃源郷ニライカナイは『竜宮城』を意味するとも取れる。
この『儀来』がギリになった可能性は? ギライカナイへの思い、無事琉球へたどり着けたことを海の神に感謝を込めそう名付けた。
それからもう一つの『イイムイ御嶽』
「食栄森御嶽」と字を当ててるようだが、個人的には違うと思う。
『伊』もしくは『倭』あたりが隠されているような。伊勢の伊、倭人の倭。
イ入り森か。
そう、ここにはなんと!舜天の墓とされるボーントゥー墓が祀られているのだ!!
しかも、近年発掘調査をかけた際には、中から銅鏡と水晶勾玉が見つかったと!! おーい!!! 三種の・・・!?
舜天はその後大里から中城、浦添へ移動し、浦添グスクにて舜天王統が三代続くことになる。
しかし三代目義本王の時に、自身の摂政を司っていた英祖によって王位を奪われ北山へ左遷された。そこから義本王系(いわば天皇系)と英祖系(平家系)の争いが長く続くのではないかと思っている。
そして時は尚家の時代となり、薩摩が琉球支配にかかってくる。
(察度の時代にも、だいぶここに繋がるミステリーあるんで、そこはまた別途書きます。)
そのどのタイミングかはまだリサーチ中だけど、このどこかのタイミングで、世の中に『琉球の開祖』が『安徳天皇および南走平家』だと知られると非常にマズい情勢となった。
薩摩島津の元祖が源氏だからかもしれない。
尚巴志もしくは尚円が平家の血筋だったのかもしれない。
もしくは長く虐げられた琉球人の反逆により、過去を消し去る策略だったのかもしれない。
歴史的クーデターによって第一尚氏から第二尚氏に変わる際、金丸新王府が執拗に第一尚氏の血筋を廃嫡したことにも繋がるのか。
神の島『久高島』の大里家クニチャサも共に消された。
とにかく過去は大里王都であった歴史事実を知られることが、この上なくマズかったのだ。
そこで大里に、特にギリムイグスク、イイムイ御嶽には人を寄せ付けないよう、世にも恐ろしい『鬼伝説』を作り上げた。
事実、戦前あたりくらいまで、地元の人々は何があってもそこには近づいてはいけないと言われていたとも聞く。
また大里のカニマン御嶽にも、人々は絶対に入ってはいけないと言われていたという。
首里を起点とした風水的方角で読むと、首里城正殿を中心軸とした場合、大里はバッチリ『鬼門』である方角『北東』になるのだ。
その昔、実は首里城もアジア各地の城に見られるような南向きだったという説もあり、あえて西向けにしたことがここにもつながるのかもしれない。(もちろんそれに関してはティダ信仰説の方が信憑性は高いけど。)
これでパーツは全て揃った!大里鬼伝説の完成だ!
大里は琉球王国にとって最も神聖な場所でありつつも、決して開いてはいけないパンドラの箱にもなったのだ!
大里鬼の正体、それは、
琉球王国にとって、決して外部に知られてはならない『極秘史実』だったのだ。
なので今後も、大里には都市開発の手は伸びないのではないかと思っている。
どうだい、
ロックンロールだろ!? ボスイケ琉球妄想ロマンは果てしない♪
今後も続くぜ!
ワワワワケンロー!!!
過去大里列伝シリーズ
もっとあるよ♪
E.KEMURA
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