前回は大里王都列伝その②と題して、大里軸を中心に西側に『西原』、南に『南風原』、東に『東風平』、そして北にはあの尚巴志を輩出した『佐敷』が!
という説をお届けしました。
今回はその続きを検証していこう。
大里の北には、あの地も考えられる
大里軸を中心と捉えた時、佐敷とは別の、もう一つの『北』に成りうるエリアが浮かび上がる。
そう、『知念』だ!(知念だしんいちろうじゃないよ)
知念と言えば?
今や世界中にその名を知られている、琉球一と言っても過言ではない最大聖地『斎場御嶽』がある土地だ!
なるほど!唯一謎だった大里の『北』には、琉球きっての聖地『斎場御嶽』を据えていたということなのか!!
これもなかなか説得力はある。
しかし、実はもっと驚くことが潜んでいた。
斎場御嶽の先にあったもの
大里グスクから、斎場御嶽までを直線で結び、
さらにその線を伸ばし続けるとどうなるか。
ななななんと!!
琉球の時代から今なお『神の島』として崇められ、我々にとっても特別過ぎる存在である『久高島』に結びつくのだ!!!!
これはもう、偶然という話では片付けられない!
さらに驚愕!
久高島には、第一尚氏最後の国王『尚徳王』の愛人とされた『クニチャサ』がいましたよね。
その愛人への寵愛ぶりが引き金となって反感を買い、尚徳王が久高島へ渡っている最中に金丸がクーデターを起こし、尚徳とクニチャサは共に自害をしてしまう。というのが定説。
しかしなんとこのクニチャサ、
久高島にて遥か昔からノロを司る『大里家』の娘なのだ!!!
ここで完全に繋がった!
王都大里と久高島の大里家!
関わりが無いはずがない!大里王都の時代に久高島へ渡り、歴代に渡って聖なる久高島を守り続ける大里系一族の重要神人一派であったか。
それから時は流れ、第一尚氏王統最後の王となってしまう『尚徳王』と久高島の『大里のクニチャサ』が久高島参拝中に出会い恋に落ちる。
その後尚徳王は政務を蔑ろにし、二人が逢い引きをしている間にクーデターが起き、第一尚氏が滅びる!?
ちょっとキナ臭い香りがしてきたぞ〜!?
金丸のクーデターは、周到に計算された大里系総廃嫡計画だったのか?
前回伝えたように、もしも第一尚氏のルーツと大里系が同血族だったら? 同血族までには至らずとも、双方かなり強固な信頼関係にあったとしていたら?
金丸はここで第一尚氏の廃嫡と共に、かつて琉球を取りまとめていた『大里系統』までもを一気に廃嫡することができる最上級のでっち上げストーリーを完成させた事になる。
おそらく庶民にとっても当時から久高島は崇高な場所で、神がかった特別な島であっただろう。
そこを巧みに利用し、クニチャサを『愛人』という神人には相応しくない人物像に仕立て上げ、『治世を妨げ国を貶める存在』という濡れ衣を着せ、一気に尚一族および大里系廃嫡までもを正当化させた。
(僅かに久高島大里家の子孫の方々はご存命のよう)
久高島が現在でも地割制で、個人では土地を持てないという古いしきたりにも何かしら歴史の繋がりを勘ぐってしまう。
金丸が執拗に第一尚氏の血筋を廃嫡させたのは理由は何だったのか。
知られざる民族的な対立か何かが隠されているのか。南走平家説にも大いに繋がってくる気もする。
金丸によって第一尚氏の王陵さえも破壊されかねないと、家臣たちは先代王達の遺骨を陵墓から持ち去り、人目から隠すように各地に葬った。
第一尚氏王統の墓が各地に点在し、隠れるように祀られているのはこのためだ。
さらに首里の『天山陵』は、未だ文化財保護対象にもならなければ公開もされないし、山川にある『山川の玉陵』も調査には至っていないようだ。
第一尚氏と第二尚氏の関係に置ける、知られざる、いや知られてはいけない秘密があるようにも思ってしまう。
ただ、その第二尚氏から琉球の黄金期が始まるのである。
現在の沖縄特有文化も、ほぼほぼこの第二尚氏期に形作られたのだ。
ボスイケ大里列伝はまだまだ続く。
ワワワワケンロー!!
E.KEMURA
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