ロックンロール弾丸北部ツアー都市伝説 Vol.1(続・南走平家伝)

Wandering Okinawa!

ちょっと投稿までに時間差が出てしまったんだけど、2週間ほど前に北部弾丸ツアーを行った際にロックンロール琉球都市伝説的な体験してきたんで、数ネタに分けてその紹介をしてみたいと思います(´∀`)

まず、今回の弾丸北部ツアーの目的は、コロナのせいで2020がめちゃくちゃ短い夏設定になったこともあって、沖縄彩発見キャンペーンを使いどうにか一泊を含めるツアーを開催しようと思ったこと。

そして個人的には、北部のワンダラーネタを探すにあたり、日帰りでは厳しい国頭近辺に絞って弾丸取材を試みることであったのだ。

なので事前のスポット下調べも周到に行い、だいたいどこどこまでで何時間、どこに行くには何時間必要などの時間配分も行って。

しかし、もちろんそうは問屋が卸さないってやつよね〜( ̄▽ ̄;)

所々で思わぬ時間を取られるし、何より自分の行きたいとこだけブンブン回ってると(史跡とか墓とかばっか)ファミリー非難がゴーゴゴー!なわけで(^^;

予定の2/3ほどは回れたのかな、それでも自分の都合をだいぶ押し切ってしまい反省も多かったわけです。。

そんな道中でも、まずここは行っておかねば!と思っていたのが、国頭の字良地区に存在する『すうとくの宮』という神社。

実は以前にラジオネタでも伝えた、『南走平家』の琉球都市伝説がありますよね。

ちょうどその手の関連を色々リサーチしていた時に、ホントにふとだよ、ふと!

このお宮の存在にたどり着いたわけ。

そう、琉球と龍宮城仮想説を追っかけていたあの頃。

琉球と龍宮神の関係、そして龍宮と水天宮、安徳天皇と大里と水天と首里天の関係。

そんな興味深い関係をリサーチしている時に、ふとこんな形のお宮が沖縄に存在していると知ったらどう!? しかもと『すうとく』!? 『崇徳』と関係ありそう!?

それがこれ!

これ!やっぱ龍宮城じゃん!!この形、他にどう説明すんのよ!?くらいの興奮よ!

もうね、どうにか僅かな情報でも得たい!ということで、そのお宮近くで庭掃除をしていたオジーを訪ねて聞いてみたわけ。

「オジー、そこの『すうとくの宮』ってどんな神様が祀られているんですか?って。」

したら、

『ん〜、このお宮は部落の神様だよ〜、でも詳しいことは分からないさ〜。ただ、300年以上は前からあるみたいさ〜って。』

現地の人たちにも詳しくは分からないらしい。となるとますます好奇心ビンビンでしょ!

『字良』と書くけど、それはもちろん『裏』とも読み取ることもできるよね。何かが隠されている土地なのかもしれない。そういやあの関取『字良』の親父さんは国頭の宜名真出身だとか。

そして例えばこうも考えられる?

崇徳天皇というのは、保元の乱時に皇族争いと武家勢力の争いなどに巻き込まれ、皇族稀に見る凄惨な死を迎えその惨さから日本の三大怨霊と呼ばれるほどになる人物である。

平家はその崇徳天皇を死に追いやった側であり、もしかすると琉球の地に流れ着いてなおその怨霊を沈めるために祀った神社などと。(あくまでも個人的臆測です)

しかもそのお宮近くには、かんなり独特な色、そして佇まいの住宅が建っている。さらにその家屋の家紋的なマークがかなり意味深!これは単なる家柄じゃないぞ、絶対何かしら知られざる歴史との関連性があるはずだ!とね。流石にその家までは訪ねはしなかったけど。(写真も掲載は遠慮しておきます)

それから、『字良』お隣の集落の『伊地』も興味深い。

ともかく沖縄には『伊』と付く地名が多いよね。伊平屋、伊是名もそうだし、伊祖、伊佐、伊差川、伊野波、伊志嶺、伊武部、伊舎堂、伊敷、伊禮、伊良部などなど。

実はここにも南走平家都市伝説があって、この『伊』が実は、『伊勢平氏』の『伊』ではないかと。伊勢平氏というのは、いわゆる世間に知られる名門平家一族で伊勢、伊賀を中心に勢力を伸ばした。壇ノ浦の戦いで源氏に破れ滅亡に追われる。

はたしてあの琉球の『英祖王』が生まれ育った『伊祖グスク』があるのは浦添の『伊祖』、そこは中山国の中心浦添グスクのお膝元で、立地的には浦添グスクの出城のような形状。当時から浦添グスクとは密接に関わっていたことは間違いないはず。

もしかするとその『伊祖』は『伊の祖』ではないか!?また『伊勢』が変化して『伊祖』になったという説もある!

そう、英祖王は舜天王統の次の王統で、舜天王統三代目の義本から王位を譲り受けたとされているけども、実は義本王の摂政を司っていてた。

摂生を司っていながらにして主君である王から王位を受け継ぐというのはなかなか疑問が残る。となると、もしや英祖王によるクーデターの可能性はないだろうか?

英祖王の末裔の方々もいらっしゃるので、あくまでも自分的な可能性の話と前もっておくが、伊勢平氏の流れである一族がその英知を携えて舜天王統を支え王国を安泰させてきた。そして三代目義本となった頃に満を辞して自らの血筋に王位をもたらしたした、と考えることはできないだろうか?

『英』という字は名のり読みで『ひら』とも読める。『平』との関わりは!? さらにその意味は『秀でる』『優れた人』となっている。

義本は王位を退位後逃げ回るように各地転々としたと言われ、義本の墓と呼ばれる墓が沖縄南北にかけていくつも存在している。辺戸にあるお墓が最も有名だけど、北中城にあるナスの御嶽と呼ばれる御嶽の裏にある石墓の形もかなり意味深。平家の墓とそっくりなのだ!

また別の説では、義本がはるか最北の国頭に左遷され、国頭で新たな国を創ったとも。事実、海島諸国記にはかなり意味深なほど大きな『国頭城』という領地が記されている。

英祖王統になっても(その後も?)義本系と平氏系の争いが長らく続いていたのではないかとも。

ナスの御嶽裏側にある舜天・舜馬順熈・義本の三王の墓と呼ばれる墓
平家六代の墓(観光三重参照)

英祖の時代に入ってからは、その親族が次第に北山や南山にも広がりを見せ始め、時が経つに連れて身内の中でもトラブルや諍いも起こり始め三山時代へと突入していくと。そしてその末に尚巴志という三山を統一するヒーローが誕生がすると。

と、ちょいと話がずれたけど、その『伊』の『地』とも読める『伊地』という集落が国頭にあって、集落内には『伊地の氏神様』という神社がこれまた存在しており、この神社も先ほどの『すうとくの宮』と似たような、沖縄離れした神社の造りになっているわけ!

こちらもしにかんミステリー!!

どうです!?

ここまでくると、南走平家伝説もあながち無くはないな??と思ってしまわない??

そして何か未だ明らかになっていないミステリーが紐解かれていくようでワクワクするっしょ!?

恩納村の『伊武部』なんてさ、沖縄恥ずかしネタでよく取り上げられるような地名だけど、その字を読み解くと、『伊』と『武士の武』の『部』で、この南走平家には大きく関わってる地名なのかもしれない。

それから北谷の『伊平』はもうそのまんまで『伊』の『平』!やっぱ勘ぐってしまうよな♪

と、そんなこんなの弾丸ツアー1日目前半、まだ前半なんですよ♪

そして後半へ続く!

ワワワワケンロー!!!


The following two tabs change content below.
E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
タイトルとURLをコピーしました