Invisible RYUKYU 第138回目は『コンクリート建築の父・清村勉氏と大宜味大工に芽生えたロックンロール』

Wandering Okinawa!

ちょちょちょ!なんで今日のチューズデー Sh@re TIME はこんなバースデーメッセージ多い!? 

ここまでくると、、ちょいと今夜のインビジボーの内容展開修正しないといけんけんよやって。

ちゅーのもさ、まさかのまっさか〜なんだけどさ、実は今日うちの親父の誕生日でもあるわけよ!

で、公共電波ながらに、親父に対してのバースデーおめでとう!って伝えようかとちょい企んでいたところだったもんで。

って?あれ?もしかして、、立て続けにバースデーメッセージ送ってきてるの、うちの親父じゃないよね!?

んなことあるかいロックンロール!!てな( ´∀`)

いや、そんなもんだからさ、急遽ボス替え歌コーナーからバースデーコールに変更したさ!

と、オープニングから色々あったけど、そんなこんなで今宵のインビジボー! 今週も大宜味!

ブログでも追って紹介していくぜロックンロール(^^)

まず大宜味には、沖縄における建築物ヒストリーに関連して、すごく重要な建物があるんだけど、それは一体何でしょう!?

そう、レトロな洋風の佇まい感半端ない、大宜味村旧役場庁舎なんですね〜!

ちなみに村役場というのは『Village Hall』とか『Village Office』なんて言いますね。

町になると『Town Hall』市になると『City Hall』、『City Office』ですね。

実際見たら分かるけど、ホント今でも立派な佇まいで、もうその建物を前にすると、え?ここはどこ?ワタシは誰? 

くらいの昭和感、いやタイムスリップ感を味わえるのがこの旧役場庁舎!

現在の大宜味村役場の目の前にあります。

それもそのはず、何と現存するコンクリート建築物としては『沖縄最古』の建物だと言われているんですね〜!逆に言うと、沖縄で初めて建てられたコンクリート公共建築物である!ということ。

正確にはこの4年前に同じく大宜味に公設の質屋がコンクリートで建てられた、というのが沖縄初であったということですが。細かいことはさておいて。

建築された年はまさかの大正14年! 大正ですよ? まさにアンタが大将!ってね( ゚∀゚)

なんですか〜!? 武田鉄矢です!

西暦でいうと1925年、何と今年で95歳!!100歳まであとわずか!という凄さ!

大宜味は村民も長寿なら建物も長寿でまさにチャーガンジュ! おまけに鈴木杏樹!

その庁舎は今でも大宜味の村史編纂室、資料室として利用されていて見学することも可能。

ただし、、このコロナの状況下で内部見学は出来ないかもしれない、けども外観だけでも凄い存在感を感じる。

4〜5年前に撮った写真載せておきます。

そしてこの旧役場庁舎にも深い〜インビジボーストーリーがありまして、その辺りを紹介してみました♪

まず、何といってもこの旧庁舎の異国情緒溢れる洋風館ぽい外観!

そして沖縄初期のコンクリート造り!

ここにはまた、その当時のいろんなタイミングが重なりに重なりあって初めて生まれた、ある意味では時代の奇跡が起こした賜物なんですね。

当時、100年も前の話ですから、庶民にとっての家屋はまだまだ茅葺きが当たり前、すごく裕福な所で瓦葺きという時代。

コンクリートがようやく日本に入ってきたかそこから時代なんですね。

琉球も日本となり、沖縄の生活様式も徐々に底上げしていくべきだという流れとなってきた。

そこで県の国頭群には、建築の技師として熊本県から『清村勉』という当時若干20代の一人の若者が赴任者としてやってきたのです。

この勉という名前の通り、この青年はもっぱら勤勉な若者で、当時ようやく日本に入り出したコンクリートの建築技術を独学で学び、自前で洋書を手に入れ研究に励んでいたんだとか。

ここにまず彼の『洋風な匂い』がしてきますよね〜♪

そして清村は、派遣された国頭の地で当時のあらゆる近隣の建築物をみて回り、木造茅葺きという耐久性の乏しさ、そして火災や台風被害、シロアリの被害などそれらを全て考慮した上で、ここ沖縄にこそコンクリート建築を導入すべきだと考えたわけだ。

材料となる資材も自分の目で見て自分の足で探し回り歩いて、県内にはコンクリートの材料となる砂利、砂も豊富にあることを確認。

さらに独自の研究でどの程度の配分量でどの程度の強度になるのか、またサビなどの腐食具合なども徹底的に調べ上げた上で遂に、

大宜味村役場をコンクリートで建築しようと試みる!

ただ、当の住人たちにはもちろん理解し難い話で、石を使って建物を造るとはどういうことだ?と。石で作る建物なんて、お墓くらいしか聞いたことないぞと。

しかし熱心な清村の説得についには根負けし、沖縄初のコンクリート建築がここに始まったわけなのである。

そしてここにもう一つ大きな偶然が。

清村が派遣されたのが国頭であったこと、そしてその国頭の大宜味という村が『大宜味大工(うじみぜーく)』と呼ばれる県内でもトップクラスの技術を持つ大工の村であったいうことも大きかったのである。

当時の大宜味は耕作地として豊かな土壌とは言い難く、男子は幼くして小学校を出たあたりで大工の弟子として働きに出ていた。そこで培った技術と生真面目さ仕事の丁寧さ、そして一刻も早く家計を助けたいという思いで朝も夜も無く働いたと言われる。

その結果若くして棟梁になる者も多く、建築界隈では彼らのことをとても高く評価していたとのこと。

その双方のタッグプロジェクトなわけなんですよ♪

しかもその請け負った大宜味大工の組の棟梁も20代という若さだったとか!

どっちかが別の人間でも、どっちかが欠けていても、今の時代まで持つあれだけ素晴らしい庁舎は出来上がらなかったのではないかと思うわけだ。

大工たちはじめ、清村すら洋風建築を手がけるのは初めての試み。

西洋建築の絵葉書を参考に建てたなんてことも言われてるくらいだから、その当時の心境ったらな無いよね。お互いの信頼関係だけじゃない? この人が言うなら!てのと、この大工たちなら!っていうね。

で、あれだけの物を自分たちの感覚だけで、100年近くも前に建てちゃった!

しかも、ただでさえ初の試みなわけなのに、なんと二階建てだからね!

二階建ては『a Two Story House』、『a Double Story House』

で、デッキが二つあるバスなどの乗り物を『Double Decker』というわけなんです。

しかもその二階部分というのが、まさかの八角形の形をした小さな部屋!

八角形は『Octagon』、『Pentagon』は五角形、六角形が『Hexagon』、七角形は『heptagon』

ここが村長室だったんだって。窓もその8面それぞれに付いていて、360度全方向を見渡せる造り。これがまたシャレオツなわけよ〜!

灯台の上の部分に似てると言えばわかりやすいのかな。展望塔のような形というのかさ。

その八角形にもちゃんと意味があって、その庁舎は海の近くにあるから、台風などの強風によって風の影響を受け難いように、風を逃す造りになっているんだって。灯台に似ているというのも、そういう風力工学的な共通点があったのかもしれないね。

実は当時この旧庁舎の建築の際には、入札競合業者もいて、その都会の業者からは大宜味の大工にそんな西洋の見た事もない無茶苦茶な建物を建てられるわけがないでしょ!と斜に見られていたらしいけど、出来上がってびっくり、そう、まさか後に沖縄最古のコンクリート建築物となるほどの頑丈な建物を建ててしまったわけなんですね〜。

双方の信頼関係、そして仕事に対する、建物に対する情熱が重なり合ってこそ出来上がった建築物になったわけなんです。

このコンクリート建築を皮切りに、沖縄県内ではどんどんとコンクリート製の建造物に着手していくこととなる。

そしてこの清村さん、実はまだまだ偉業を残していて、県内初のコンクリート校舎である金武小学校、宜野座高校の前身である宜野座尋常高等小学校、他にも校舎多数、それから我らが名護の護佐喜御宮も彼の設計であったということなのだ。

今尚、建築家の卵たちも学びのために足しげく訪れるという大宜味旧役場庁舎、是非是非足を運んでロックンロールなロマンを感じてみてはいかがでしょうか♪

放送後の一枚は、あまりにバースデーメッセージ多かったんで、ケーキのロウソクを消す三人!というイメージで撮ってみました♪

ワワワワケンロー!!


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E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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