Invisible RYUKYU 第107回目は『時間よ止まれ〜時をかける西原町』

Wandering Okinawa!

ハイサイロックンロール(´∀`)!

コロナでもカローラでもロックンロールなチューズデー!!

楽しんで頂けたでしょうか♪

まだまだ西原町ってなことでね、今宵も西原ネタをお届けしました♪

とは言っても、半分くらいは西原派生の『尚円王』ネタをやってきたんで、実数的な西原ネタはまだ3回目くらいかな(´∀`) ということで、もう少し西原ネタ続けまーす!

ラジコでも1週間は後追い再生できますよ♪

実は西原は、その昔に琉球の時刻設定基盤にもなった重要な場所でもあるんです。

というところでの、ソーキーを食べる少女〜(と〜きを〜かける少女〜)(´∀`) だったというわけです♪

さらには、西原は首里王府の直轄地だったというくらい首里に近い場所で、それ故に沖縄戦では首里城地下に日本軍司令部が置かれたために、激戦区としての爪跡も数多く残っているエリアでもあるんですね。

そういう側面もしっかりと伝えないとな、というところで今夜は『戦争遺跡 in 西原』と琉球の『時刻設定の基盤』としての西原をお届けしました♪

まず、何が琉球の時刻設定の基盤かという話ですが、時は琉球王朝時代、時代遡れど時間を知るというのはかなり大事なことですよね。

驚くことに、1400年代にはすでに、琉球でも時間を計測する能力があったらしいんです。

それが漏刻と呼ばれる、いわゆる水時計。一般的に容器などに入れられた水が穴などから外に漏れる(流出する)際には流出量と時間との間に一定の相関性が生まれる。その仕組みを使って水の流れと溜まり具合で時間を計るというのが水時計。歴史的には4000年くらい前から存在していたとも言われる。

その漏刻という水時計、何か聞き覚えがないですか?

そう、首里城に数多く存在する門の一つには『漏刻門』という門がある。その漏刻門の櫓には実際に水時計が設置されていて漏刻が行われていたと。

で、一定時刻になると役人が太鼓を叩き、それを聞いた別の役人が東のアザナと西のアザナ、右掖門(うえきもん)で大鐘を打ち鳴らして城内および城外に時刻を知らせたと言われている。

裏側

その水時計も当時としてはかなり正確だったらしいけども、まだまだ完璧ではないということで尚敬王の時代(1700年代)に蔡温の令により、数学者の古波津里恒によって日時計の開発が進められた。

その観測地として選ばれたのが、刻時森という西原にある小高い丘で、アドベンチストメディカルセンターのすぐ隣にある。赤白の巨大な配水タンクがあるのですぐ分かると思う。

そのタンク目指して階段を登っていくと、タンク目の前で行き止まりになるんだけど、そこから横に逸れる道があって、道なりに歩いていくと山道に辿り着く。

その山道も割と整備されているので、そのまま進んでいくとちょっとした開けた空き地っぽい場所に着く。

そここそが数百年も前に日時計の開発に使われた場所で、古波津里恒たちによって1年と8ヶ月もの時間をかけて日影台という日時計を完成させたらしい。

その日影台のレプリカが首里城内にも設置されている。

で、その努力の甲斐あって、開発後には日影台と漏刻のハイブリッドでかなり正確な時間を計ることが可能になり王府だけでなく庶民の生活もより豊かなものになっていったという話。

そう考えると、永ちゃんの名曲、時間よ〜止まれ〜ってのも贅沢な歌に聞こえてくるね(´∀`)

そして、戦跡という部分での西原。

ぜひ見ておいて欲しい戦跡がいくつかあります。

まず、西原中央公民館の敷地内には、戦時中に日本軍によって使われていた榴弾砲(りゅうだんほう)という当時の移動式の大砲が現存し展示されている。

これはまだまだ最近の、平成16年12月に西原町幸地集落南西部の陣地壕跡から発見されたという。未だにこういった生々しい戦争の爪跡が県内では出没するんだよね。

説明文によると、

西原町は、この榴弾砲が原型を留めないほどにすさまじい日・米両軍の戦闘がくりひろげられた激戦地で、当時の住民の約47%の尊い命が犠牲になった。破壊された榴弾砲をこの地に展示することにより、戦争の悲惨さ、愚かさを認識するとともに戦争のもたらす恐ろしさ、悲しさを語り継いでいく手がかりとしてほしい。二度とあの忌まわしい戦争をおこしてはならないという誓いと、平和の尊さを実感し、更には平和教育の資料として役立つことを願い、終戦60年の節目にあたりこの榴弾砲を展示する。

西原町

とのこと。

ただね、あまり大々的に展示するのも気が引けるという思いもあってなのか、公民館の中でも建物の裏側にひっそりと展示されているので、気を付けて見てみてください。

そしてその公民館からほど近い東部消防署西原分署の前には、『西原の塔』という戦没者慰霊の塔があり、

戦没者の名前が刻まれた慰霊碑も見ることができ、その刻まれた数に戦争の恐ろしさを改めて感じます。

さらにその慰霊碑から少し歩いた場所には、とても異様なまるで檻のように囲われた不気味な空間に出くわします。

檻の中を覗くこともできるんだけど、これ実は戦時中の西原村役場壕跡で、戦時中に重要書類や公金・公印・戦時債権などを重さ1トンほどもある金庫に収納し隠しておくための壕だったと。

戦後しばらく放置されていたが、1980年ごろに発見され現在では当時の戦争の悲惨さを物語る貴重な戦争遺跡として残されている。ほんとその生々しい当時のままの姿に感じさせられる部分が多々あった。

他にもね、町の棚原グスクには1トン爆弾の破片だと言われる物が落ちていたり(この真偽のほどはよく分かんないけど)、西原飛行場という日本軍の飛行場(後のアメリカ軍与那原飛行場)が存在していたりと、戦争に関する遺跡もたくさん存在する西原町。

1トン爆弾!?
棚原グスク

今では県内屈指の工業地域として発展しているけども、過去にはこれだけ悲惨な歴史もあったんだということも含めて、西原のことをもっと見つめ直してみて欲しいなと思うわけです。

コロナコロナでなかなか大変な状況に置かれている今日この頃ですが、もうこの際に学べることを学んでいく時間にしていってもいいのではないでしょうか!?

というところで本日のインビジブルとさせてもらいました〜!

本日はあまりおふざけは無しで(^^;

それも一つのロックンロール!!てことでね!

毎度の放送後一枚は、それこそ『時』を刻む三人です(´∀`)

  ワワワワケンロー!!


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E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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