Invisible RYUKYU 第160回目は『謎が謎を呼ぶ深すぎ琉球銘苅ミステリー』

Wandering Okinawa!

ようこそ〜名護へ〜♪ あしばーのパラーダイス♪

どうも!銘苅GENJIで、名護パラダイスお届けしました〜!

夏よ戻ってこーい(;´༎ຶД༎ຶ`)!

というくらいボケにも気温にも寒さが戻ってしまってるウチナーですが、きっとこれを乗り越えれば夏本番!

体調管理にも気を付けて、この数日を乗り切ろう!

ということで、今夜もやり切ってまいりましたInvisible RYUKYU!!

今夜も、先週に引き続き『おもろまちインビジブル』!

その中でも、『銘苅』!

『光GENJI』ならぬ『銘苅GENJI』として銘苅インビジブルをお届けしました〜♪

と、今やもう『新都心』と言えば、『銘苅』的なイメージもあったりしません?

そのイメージっておそらく、今は『なは市民協働プラザ』となっている『旧那覇市役所銘苅庁舎』があったり、銘苅小学校があったりということもあるけど、

もしかすると銘苅というエリアが戦後大部分をマチナトハウジングに摂取され、しばらく地名を聞かなくなっていた所に土地の返還、そこから急激に『新しい町』のイメージとして名前を聞くようになったからなのかもしれない。

しかし実は銘苅、ものすごい歴史を持つエリアだし、なんであれば琉球史に置いてものすごい重要な鍵を持つエリアなのかもしれないのだ。

そのあたりを今日は、ま、内容の半分くらいはマイ妄想を含ませながらお届けしてまいりました♪

まず、戦後マチナトハウジング建設のために大部分を摂取された銘苅地域だけに、かなり特殊な形で造られた中学校がある。

安岡中学校

ホタテをなめるなよ〜GoGo(´・∀・)ノ゚!

それは安岡力也!

じゃなくて安岡中学校!

現在も58号線と330号線を結ぶ環状2号という幹線道路沿いに学校があるけど、昔からその道路は幹線道路で、道沿いにはマチナトハウジングのフェンスが張り巡らされ、学校の部分だけ囲うように窪んでいた。

またフェンス反対側の道路向こうは安謝川で、安謝川から先は浦添市。当時は対岸の内間に渡る内間西橋も架かっていないし、言わば後全面をフェンスに、前は道路と川に挟まれた特殊な地形の学校だった。

水色の丸部分が安岡中学校、右も左も米軍住宅。前は道と川

その場所が今でも変わらず、いざ現場に足を運んでみるとどこからしらその雰囲気を感じられる。

で、学校横から新都心側に向けて入って行くと、体育館裏側には、戦後ハウジングのフェンスの中に取り込まれていた巨大ガジュマルが今でも同じ場所で立派に育っていて、今や都市部の中にあるオアシス、『ガジュマル公園』として整備されている。

このガジュマルを残すために、都市計画の一部を変更し、道路を敢えて歪めて整備もしたらしい。

昔の写真と比べても、その位置と立派なガジュマルがはっきりと分かる。

と、その安岡中学校だけど、なんとなく沖縄の学校名、地名としてはしっくり来ない気がしない?

そう、実は安岡というのは実際の地名としては存在せず、学校名としてしか存在していない。

戦後アメリカ軍に土地を大幅に接収され、そんな中でも限られた土地に開校したのが安岡中学校。

実は隣村の安謝の安に、安謝にある戦後生まれた『岡野』という自治区の岡を取って『安岡』と名付けたと。

え?岡野って地名あるの? と、この岡野の話だけでも1ネタ分いけそうなくらい深いんだけど、実は大宜味大工とも深く繋がっていたりするんですね。

あと、オカノって会社ありますよね。あのオカノも実は安謝の岡野地区に会社があって、それでオカノと名付けたんだと。

というなるほどザ!安岡中学校インビジブルでした。

そしてここからが

銘苅ミステリー!

その貴重なガジュマルからさらに新都心方面へ向けて歩いていくと、目の前にはこの都心部にあって奇妙なほどのあの巨大な緑地・湿地、その名も『銘苅の湿地』が現れます。

なので、先の新都心公園側へ向かうとなれば、この湿地を迂回して右側に回って湿地の上に架かる橋を渡って行くか、反対の左側の『銘苅じんじん広場』なる公園を通って銘苅小学校前を通り大通りに出る、というパターンです。

右側ルートの橋上から

ちなみにこの銘苅小学校前の道から進むと、那覇消防署と小学校裏の間に銘苅の古墓群を見ることができます。この古墓群はマチナトハウジング返還後、都市計画の最中に発見されて、その文化的重要性から埋め戻すか保存調査するかでモメたらしいんだけど、最終的に都市計画をこれまた一部変更して、その一部の古墓の周りに庁舎や学校、消防という行政モノを建てて、建物で覆うように保存することが決まったと。

またそのエリア一角には、特別大きく立派な亀甲墓も存在する。その墓は伊是名殿内の墓と言って、代々伊是名島、伊平屋島の総地頭を務めた上級士族の墓である。

上の新旧写真の赤丸部分

ここ、少し注意して記憶に残しておいてください。

と、先ほどの湿地の話に戻るけど、ガジュマルから新都心に向かうには、その緑地を迂回しないといけないと言いました。

しかし!実はここがハウジングだった時代、このガジュマルから湿地の向こう側までは直接道路が通っていたんです。

渡れていたんです!

しかも、実は緑地の面積も今の半分くらいしか無く、そこには住宅も建っていた。

そうなんです、敢えて道路を取っ払い、さらにその場所を巨大な緑地にして都心部にありながらジャングルのような人が近づけないような森を造った。

なぜか。

少し琉球史のタブーに踏み込むかもしれませんが、皆さんにももっと琉球のアイデンテティーを呼び起こしてもらうために敢えてお伝えします。

世界遺産にも登録された琉球の組踊、その代表傑作である玉城朝薫の五番に、今日のインビジブルと繋がる演目がありますよね。

そうです、銘苅という名の付く『銘苅子』ですね!

ある日、銘苅子という男が泉で水浴びをしている天女を見つけ、羽衣を隠し困っている天女を家に呼び寄せ、夫婦の中となり子供を儲ける。しかしある日子供が羽衣のありかを歌い、それに気付いた天女が羽衣を見つけ後ろ髪を引かれながらも泣く泣く天へと帰っていくという話。

実はこの泉とされるカーが、なんと今もこの緑地の中に存在しているのです!

敢えてこちらのカーの詳細は述べません。。

個人的な憶測だけども、その地元の人々にとって、いや言うなれば琉球史にとっても偉大なる聖地を、土地返還後の都市計画などによって開発させてはいけない、残された自然の形のままで保護するべきだという観点から、敢えてその一帯を広大な緑地化とし、喧騒から遠ざけているのではないかと思うわけです。

ちなみに、別の説で天女伝説はそこではなく、近くにあった別の『アマウリカー』というカーだったという説もあります。確かに、アマ(天)ウリ(下り)カーという名前からも信憑性は高い。

それから天女のことを、英語では『Angel』でもいいんだけど、『Maiden』の方がよりしっくりくるようですね。Bidenじゃないよ!? アメリカンジョーク!

で、話にはまだ続きがあって、銘苅子のストーリー中でも、その天女から生まれた男の子は王府で重用され士族となり、女の子は王家に嫁ぐというストーリーがある。

事実、その女の子は尚真王に嫁ぎ、女の子をもうける。その女の子が佐司笠按司加那志と言って、首里の尚家近くにある佐司笠ヒージャーを発見した娘だと言われ、尚宣威王の血を引く見里王子、後の湧川殿内に嫁ぐ。

首里 佐司笠ヒージャー

しかし一説には、天女の子はその後女の子しか生き永らえず、尚真王に嫁いだ後も男子に恵まれず、銘苅家の跡取りが途絶え、湧川殿内が銘苅家を支えていったのだとか。

それゆえだろう、現在も銘苅のとある場所に銘苅御殿という御神屋があって中には天女の掛け軸などが祀られているが、その御神屋を管理しているであろう同じ敷地のお宅は湧川家となっていた。

銘苅子の墓というのも銘苅で発掘調査されていて、その近辺には湧川家の名が入る厨子甕が多数発見されたとも言われている。

銘苅御殿

それから一つ思い出して欲しいのが、先ほど銘苅の古墓群の中に一つだけ際立つ亀甲墓があるとお伝えしました。

誰のお墓だったか覚えているだろうか?

伊是名殿内で、伊是名、伊平屋の総地頭だったよね。

伊是名を訪れたことある方は、おそらくその名所も訪れていると思うけど、

伊是名には銘苅家という、由緒あるたいそう立派な御屋敷がありますよね。

もちろん、尚円王の叔父の家系の家として、第二尚氏に所縁のある文化財として知られているけども、銘苅の地には伊是名総地頭の巨大な墓、そして伊是名島にはあの銘苅家屋敷。個人的に何かどうしてもミステリーを感じざるを得ない。

さらにもう一つ!銘苅のお隣、天久には天久宮というこれまた歴史深く、琉球八社にも指定されている格式高い神社があります。

この神社の創建の由来にも実は銘苅というキーワードが!

とある日、銘苅の翁子という人物が天久へ訪れた際、洞窟へ入っては出ていく老人と気品な女性を見かける。不思議に思った翁子は、老人にあなた方は誰ですかと尋ねると、名乗るほどのものではないと。

それでも気になる翁子は、様子を伺っていると、その女性が洞窟の中でフッと消え去るのを目撃する。これはただ事ではない!と王に報告をすると、事実を確かめるため役人と共に再び訪れ、線香を置いた。すると何もしないのに火が付き、我は熊野権現、女は弁財天であるとの神託があり、そこに社殿を建立して祀ったという話。

この創建も年代的には1465~1487 と言われ、まさに伊是名出身!?の金丸が尚円王となってその世子尚真王に変わる時代。

銘苅子が天女を娶り、その娘が尚真王に嫁ぎ佐司笠按司加那志をもうけるという年代もぴったり当てはまる。

伊是名と尚円と銘苅と天女と尚真と。これは果たして偶然なのか?? 

その後尚真王の息子でありながら廃嫡された尚維衡と、王となった側室の子尚清王の王位継承騒動。

尚維衡の母と同じ流れを組む浦添尚家系の見里王子と婚姻する尚真王長女の佐司笠按司加那志。

その見里王子系は後に湧川殿内となり、銘苅家を支えていく。

というように、もうミステリーの宝庫とも言えるくらいの銘苅!

未だ解明されていない知られざるミステリーがまだまだある気がしてならない。

今後もミステリーハント続けていきたいと〜思います!

座って銘苅GENJI!

ワワワワケンロー!!


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E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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