先日首里城域にて、え?こんなとこに?という場所でひっそり佇むように建ち並ぶ石碑を数基発見しました。

おぉ〜(゚∀゚)!と思ったのはもちろんだけど、彫られた文字のその意味をどうにか読み解こうと数時間脳みそグルグルさせてると、
ん?んん〜(°▽°)!? ももしや!?
と思い浮かぶことがあったので自分的記録としても書き残しておこう♪
まず一番インパクトのあった左側の碑
『塩之波云武御嶽』と書いてあります。

真ん中は『大首里大君加那志』、右は典型的な琉球国の碑文スタイルだけど文字が無く、背面には1964年復元とあるので、復元ものであることは確か。

一番右側にも小さく「平成29年5月吉日」と彫られた碑があるので、これらの石碑と香炉を一箇所に合祀したんだろうなというのは想像できる。
さて、本題の『塩之波云武御嶽』です😎。
自分的には、今でも年配の方々が日常で使ってくれているウチナーグチにこそ琉球史を紐解くヒントが色々あるんじゃないかと思っていてね。
現代の沖縄の地名や姓などに使われている漢字は、おおよそ音(聞こえる言葉)を元にして古来の意味を含みつつ割り振られているだけで、当て字的な要素が強いと思うわけ。
だからこそ逆に音(オリジナルのサウンド)を起源に考えてみることで見えてくることも多い。
今回が正にそうだと思ったわけだ。
糸満の『潮平(しおひら)』はウチナーグチで『スンジャー』ですね。『塩川』も『スーガー(スンガー)』です。なので古来『しお』に関する場を『スン』と呼びその地に『潮・塩』の字を当てた。
首里の寒川も『スンガー』なので、もしかしたら潮が関係する場所だったのかもしれない。事実、お隣の松川まではかつて海水が遡ってきていたことから、波が返る「指帰橋」と呼ばれる橋もあります。
と、話を戻して、
塩=潮が『スン』であるわけです。
さらに『波』
こちらも糸満とさらに読谷から、『波平(なみひら)』は『ハンジャー』ですよね。なので『波』は『ハン』
ということは石碑の『塩之波云武』は、
『スンヌハンウン』と読める!
そう、まさかのこの碑が建っている場所は、世界遺産の一つにも登録されている『園比屋武御嶽』の後ろ側なんです!おそらく元々からこのあたりに建ってたはずです。
『園比屋武御嶽』
ウチナーンチュなら読めると思いますが、現代の読み仮名ではどう書きますか?
はい!
『そのひゃんうたき』ですよね!
うりひゃー!!
全くもって『スンヌンハン』じゃないですか〜!!??
園比屋武御嶽は、国王が外出する時に道中の安全を祈った拝所だとされます。
昔の琉球で旅といえば『海道=潮』ですよね。
その海の神に向かって祈りを捧げる場であったのではないか?と思えたわけなんです😁
まさに『ニライカナイの神』への祈祷、『水天』=『潮天(スンテン)』=『舜天』=『首里天』への祈りの場だったのではないかと。
そしてこのことが、もう一つの前々から気になっていた別の石碑の謎を紐解くヒントにもなることとなるとは(持論妄想だけどや)!
続きは次回!
ワワワワワケンロー!

E.KEMURA

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