「さとうきび」の歴史を学ぶと見えてくる裏琉球史がある

インビジボー改!琉球㊙︎外伝

今日4月の第4日曜日は「さとうきびの日」らしいや。

昼間のウチナー気分TVで黒糖特集してたのもそういうことだからか。

と、奇遇なことに、ちょうど今宜野湾の軽便鉄道について調べものしてて、戦前の製糖工場と(宜野湾大山にもあった)軽便鉄道路線には深い関連性があったことが分かってきた。

さらに深掘りしていくと、沖縄で初の本格的な製糖工場「沖縄製糖株式会社」はあの奈良原繁が委員長を務め、地元株は皆無であったこと。宜野湾製糖工場は当時本島最大だった嘉手納製糖工場に統合されたこと。嘉手納は軽便鉄道の北の終着駅ですね。それらを含めほぼほぼの県内分蜜糖業の経営が台湾に工場を置く台南製糖に合併されたこと。日本の統治下に置かれた台湾の製糖産業規模は沖縄の何十倍もあったこと。

問題溢れる沖縄県を台湾総督府の直轄下にして、台湾・沖縄合併地方を北の「北海道」に対し南の「南洋道」とする政府案まであったらしい。

さらに「沖縄製糖株式会社」という会社が4代に渡り違う資本で存在していたこと。

現在の沖縄製糖株式会社(戦後)は、那覇に会社があるのに工場は宮古にあること。

その創業者は現サントリーホールディングスの「鳥井信治郎」であったこと。(ちなみにサントリーの社名は「太陽のSUN」と「鳥居のTorii」らしい)そして現在の経営者一族が実は大の軍用地地主であることなどなど。

琉球王国時代から「さとうきび」が主要産業となり、そしてその南国の金の成る「植物」に目を付けられ搾取・翻弄され続けてきた見えない歴史があったのだなと。この辺りもしっかりと学び伝えていかないと。

今でも沖縄の基幹産業の一つである「さとうきび」、もっと奥深さを知り味わい続け、消費もして県内外にも勧めてもいかないとだやと思い直した。


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E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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