察度は謝名出身だということ、明に朝貢し琉球大交易時代のきっかけを作った人物だということ、ほぼ間違いなく首里に初めて築城した人物、ということは分かっている偉大な王。
ただ、察度王以前の舜天王の墓、英祖王の墓、もちろん察度王以降の第一尚氏、第二尚氏それぞれ歴代の王達の墓もどこそこだと、一部伝承はあれど判明している。
しかし何故か察度王だけは、これだけの偉人なのにも関わらずどこに葬られたのかが未だに分かっていない。
ここじゃないか?と推測される地はいくつかあるが、どこをとっても賛否両論尽きない。
・首里城崖下にある『ジンクンシュウシュメーの墓』
・大謝名の軍花原(普天間基地建設で倒壊)
・浦添ようどれ西室
・小禄墓ワタクシ
個人的には、ようどれの西室、英祖王の墓と伝わる室内に察度王も眠っているのではないかと思っています。
が、今回は宜野湾に関わる『小禄墓』(嘉数の比屋良川沿い)の方をまずは次回に紹介。
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E.KEMURA
代表 : 株式会社 琉球Press
沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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