察度時代(14世紀)には宜野湾間切がまだ存在しなく浦添の一部だったとはいえ、察度は『謝名』の出身なので浦添謝名であろうが宜野湾謝名であろうが『謝名』の出身ということに変わりはない。
その察度生誕ゆかりの『はごろも伝説』(母親が天女)の地は真志喜・森の川だが、真志喜も宜野湾間切が新設される前は『謝名ムラ』の一部なのである。
そして察度が勝連按司の娘を娶り暮らしていたとされる場所が、大謝名にある『黄金宮(クガニナー)』だ。
琉球が世界に名を轟かせることになる『大交易時代』をスタートさせた大偉人、そして首里城を王城とした初の王(おそらくそう)が宜野湾の、そして大謝名の人間であったことをもっともっと知って欲しいし誇りに思って欲しい。
察度関連はまだまだ相当奥が深いので、詳しい内容は『琉球㊙︎外伝』にて😁
こちらギノワンダラーでは、程よい深さの広めの宜野湾をお届けします♪
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E.KEMURA
代表 : 株式会社 琉球Press
沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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