琉球国時代、宜野湾では3エリアに分かれてノロが配置されていました。
伊佐・喜友名・神山・宜野湾・我如古・嘉数を管轄する『宜野湾ノロ』、安仁屋・普天間・野嵩・新城を管轄する『野嵩ノロ』、そして宇地泊・大謝名・真志喜・大山を管轄する『謝名』ノロです。(元々、大謝名・真志喜・大山は『謝名村』という一つの大きな村でした)
ノロは基本的に世襲制で家筋が代々決まっていたようですが、とある時代の謝名ノロ継承の際に事件が起こります。
もともと謝名ノロを司っていたのは大謝名ムラに住む『野国家』でした。しかし数代目の継承に際し、野国家から真志喜ムラの『奥間家』に嫁いだ『かま戸』が嫁ぐことになり、その後ノロは引き続き真志喜ムラの奥間家が継承していくことになったのです。(野国家の兄の画策との話)
すると大謝名ムラでは年々災いが起こるようになり、困った野国家および大謝名ムラは、王府に対しノロ継承を大謝名ムラに戻して欲しいと訴えを起こすのです。
しかしこの時期はすでに、王府としてノロ体制を解体しようとしていたこと、奥間家に継承した時に即時問題にしなかったこと、災いが起こるのは継承変更を認めた王府にも責任があることを暗に示していたこと、奥間家からは全く反対の内容が訴えられていたこと、などなどの理由で訴えが却下され、そのまま奥間家がノロ職を受け継いでいくことになったのです。
Vol. 14 の奥間ノロ墓はこちらの奥間家代々のノロの墓というわけです。もちろん元々違う場所にあったのをこちらに移送したわけですが。
そしてそう、奥間といえばあの!察度の父親『奥間大親』と直系の関わりを持つ家系です。森川公園も真志喜ですね。
そしてその子孫と言われるのが佐喜真さん、宜野湾で有名な方がおられますよね😁
そちらの御神屋には『奥間大親』の位牌が祀られています。『真志喜大神』『真志喜五郎』『天願按司泰期』の位牌もあります。(ここスピンオフで面白いネタあるので)
というような上記の壮絶バトル内容が記されている『真志喜佐喜真家文書』という古文書が現在も残っており、宜野湾市の市指定有形文化財として登録されています。
E.KEMURA
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