ちょっと琉球・沖縄に興味ある方なら、この人物の名前を聞いたことはあるでしょう。
『鎌倉芳太郎』
大正〜昭和期にかけて活躍された香川県出身の美術教員です。
沖縄県女子師範学校でも教鞭を執られていて、そのきっかけで沖縄研究に深く関わっていきます。
多大なる偉業から人間国宝にも認定され、沖縄に関する調査資料は国の重要文化財にも指定されています。
首里城を救った人物としてもよく語られます。
そのあたりはまた別の機会に触れられればとして、
実はその鎌倉吉太郎のいわゆる『鎌倉ノート』に、先述した真志喜ノロに関わる調査もあったのです。
謝名ノロが大謝名の野国家から真志喜ムラの奥間家に移り、その後奥間家がノロを受け継いでいくわけですが、
ノロが住む屋敷をノロ殿内(ヌンドゥンチ)と呼んでいました。
そのノロ殿内が真志喜にあるんです。
実は今見られるノロ殿内は戦災で焼けた後に再築したレプリカですが、
どう再現したのか。
なんと、鎌倉芳太郎先生が在りし日のノロ殿内を細かにスケッチしていたのです!
その記録を基に忠実に再現され、今も真志喜に昔と変わらぬ姿のノロ殿内があるのです。
(もしかしたら謝名ノロのノロ殿内が元々ここ(現真志喜)にあり、宜野湾間切が創設された際に真志喜ムラも村建てされていることから、大謝名野国よりも真志喜奥間の方が立地としても適任との判断が生まれた可能性もあるかもしれない)
他にも鎌倉先生は真志喜あたりの集落図を描いていたりもしたよう。
首里城の写真や円覚寺の写真、中城御殿、御後絵などなど、本当に鎌倉先生の残した記録が無ければ、今でも闇に閉ざされた琉球文化が数多くあったことでしょう。
そんな鎌倉先生と宜野湾を繋ぐ資料が今でも残っていて、その資料から再現された史跡があるというのも感慨深いですね😁
こちらの動画によくまとめられているので、興味のある方はぜひご覧ください。
1:32 あたりに真志喜ノロ殿内の資料がチラッと出ます!(ラッキー!)
E.KEMURA
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