ギノワンダラー Vol.25 『さらなる謝名村の英雄とは』

ギノワンダラー目指せ宜野湾大使!

宜野湾市大謝名は察度王が勝連按司の娘を娶って住んでいた『黄金宮』がある歴史深い地域。大交易国家・琉球の基礎を創り上げた『察度』は大謝名・真志喜・そして宜野湾市が誇る偉大な英雄ですね。

実は察度に負けじと謝名に関連を持つ英雄がいます。あの鄭迵こと『謝名親方利山』!親方地頭として謝名を領地に受け持っていた人物です。

琉球侵攻の際、薩摩に対し最後まで起請文の署名を拒否し処刑されたという琉球愛の塊のような人間です。

武人でもあったという謝名利山、その名前を冠したホテルが県内にあることを知っていますか?

そう、恩納村の『リザン・シーパークホテル』です。

”インドの国の神様である、シュリ・グル・ナーナク・デヴの帰依者、聖グルムク・シンが、1982 年に沖縄を訪れ「当ホテル新築にあたっては、愛と犠牲の人生を生きた無名の偉人の名を冠すべし」と意志されたことに則り、琉球王国時代の三司官であった謝名親方利山(じゃなうぇかたりざん・1545 年~1611 年)にちなんでリザンシーパークホテル谷茶ベイと名付けられました。” (リザンシーパークホテルHPより)

当初は謝名利山が起請文を拒んだため琉球が侵攻されたなどとも言われ「邪名」などと揶揄されたこともあったが、現代では琉球愛に尽くしたヒーローとして語り継がれています。

尚寧王は鄭迵の死をひどく悼んで、彼の遺骨をようどれに葬ったと伝わったりもしています。

識名霊園に鄭迵・謝名親方利山のお墓はありますが。

また、波上宮そばの旭ヶ丘公園には、謝名親方利山顕彰碑も建っています。

察度のみならず、琉球偉人『謝名親方』も深い関わりのあった謝名。

宜野湾の誇りですね😁

実は私のルーツの半分は、大謝名であります♪

ワワワワワケンロー!!


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E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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