宜野湾の最西端にあるエリアが、以前にもお伝えした『宇地泊』なわけなんですが、実は昔の地名は『内湊』と書いて『ウチミナ』でした。
どういう意味か?
これは未だ持論ではありますが、おそらくはこういうことだろう。
以前にもお伝えした「その昔、大謝名と牧港の大部分は比屋良川と牧港川の河口となり、外海につながる大きな湾が広がっていた」という史実に裏付けされるわけですが、
それこそ大謝名と宇地泊の間には大きな湾が広がっていたということになり、船はその湾の中まで入って乗り降りをしていたことになる。
なので察度は自分の家である黄金宮からすぐそこの船着場で、大和商人とやりとりをして財を成したであろうこともお伝えした。
そう、この湾は外の大海原に繋がりながらも陸地に囲われる形で安全な湊であった。
内側の湊、それが『内湊』であったと思うわけです。
時代を経て『湊』が同じ意味を持つ『泊』に置き換わり、『内』は『宇地』に変化し『宇地泊』となった。
確証はないけど、多分そういうことなんじゃないかなと。
キャンプブーン返還後の宇地泊は大きく埋め立てが行われマリーナもオープンし、今では砂浜など全く見受けられないが、戦前までは美しい砂浜が広がっていたようだ。現在のスーパーユニオン〜プリンスホテルあたりまで。
そして宇地泊のメインストリートには、そこが当時海岸近くであったことを偲ばせる『龍宮神』が祀られる祠が今でもひっそりと佇んでいる。
#宜野湾 #ギノワンダラー #宇地泊 #自称宜野湾大使
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E.KEMURA
代表 : 株式会社 琉球Press
沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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