Invisible RYUKYU 第170回目は『奥武山・琉球の深い歴史から未来レジャーの可能性まで』

Wandering Okinawa!

Lady my lady my lady ~ I wonder if you can love me

Oh no 〜 オ〜ノ〜〜山

ということで、毎度無理やりロックンロール!!

サザン『栞のテーマ』で始まりましたが!

6月からはあゆみさんが産休のため、はるなさんがピンチヒッター!!

初共演ですが、しっかりやり切ってまいりました〜( ・∀・)!

ということで今回のインビジブルは!

オ〜ノ〜オ〜ノ〜山

奥武山!パート2をお届け!

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奥武山には3つの山と3つの神社

まず、先週にもお伝えしましたが、奥武山はもともと離れ島なんですよね。小島。前島じゃねーよ( ゚Д゚)!

ということは、やはり昔からそれなりに特別な場所であったんですね。限られた人しか訪れることが出来なかったとも言われている。

まず、公園内に心海上人という坊さんの墓があるんだけど、この方、その昔(1700年代)奥武山に渡って龍洞寺というお寺を創建した。

龍の洞穴の寺と書いて龍洞寺。実は葛飾北斎が描いた琉球八景の一つ『龍洞松濤』という絵のモデルにもなっている。

その龍洞寺は現在もう存在しないんだけど、今は護国神社、世持神社、沖宮という3つの神社が存在する密のような島になってますね!?

この3つの神社はそれぞれ奥武山に昔からある3つの山、日護森(ひごのむい)、銀森(なんじゃむい)、黄金森(くがにむい)と呼ばれる山にそれぞれ建立されています。

ナンジャムイっていうのは、奥武山の大型遊具エリアの名前も『ナンジャムイとりで』となっているんで聞いたことあるって方もいるかもしれない。

で、龍の洞穴と黄金森、少し頭の隅っこに置いておいてね。

今回はこの中の沖宮にスポットを当てていこうと思うんだけど、

沖宮は元々、神社と隣り合う臨海寺というお寺と共に海の要塞ミーグスクに続く海の上の堤防半ばに存在し、旅と航海安全祈願のお寺として親しまれていた。

ちなみにこの臨海寺の光景も北斎によって『臨海湖声』として描かれている。

そこが明治期になり築港工事によって埋立られるということで、移動を余儀なくされ臨海寺は一旦対岸の垣花町に移り、現在は曙町。そして沖宮はというと、一旦安里八幡宮の隣に移動したが戦争によって消失、その後通堂町への遷座を経て現在奥武山に遷座されている。

奥武山に遷座するきっかけとなったのが、沖宮宮司さんが神からの神託を受けて、奥武山天燈山、黄金森とも呼ばれる山に鎮まる神こそ沖宮御祭神の根源『天受久女龍宮王御神』であると。天照大神ですよ。

それで山の上に石碑を建立し麓に沖宮を復興せよと神示があり遷座したと。

沖宮の裏に回って山の上まで登るとその御拝所があります。

で、以前新都心シリーズでお伝えした時にも新都心に黄金森、そしてその隣には銀森という同じ名前の山があった。

そうなんです。実はこちらの神がまず新都心の黄金森に降りて、そこから奥武山の黄金森、天燈山に静まったと。

そしてここから数々の龍神たちが(各干支の龍神が存在する)琉球各地に広がっていったとのかなと。まさに龍の洞の寺、龍洞寺にも繋がってくるわけだ!(地域地域の龍神とはまた別だと思うけどね。)

まさにリアルドラゴンボールのように、各地に点在する龍神の碑を訪れて御拝するのも琉球歴史を深掘りするいい探訪になるのかも。

というように港を造るためにお寺と神社が移されたわけだけど、那覇港の中には今でも立派な跡碑が建っている。

港の中ということでちょっと危険も伴うので、訪れる際には十分気を付けて見学してください。

琉球王・奈良原繁

そして護国神社の裏側には、改租記念碑という廃藩置県後の沖縄県における土地・租税制度の改革となった土地整理事業の完成を祝った碑が建つ丘があるんだけど、この事業を推進した人物が『奈良原繁』、時に『琉球王』とも呼ばれた鹿児島出身の第4代沖縄県知事なんですね。

護国神社

それまでの琉球から沖縄県にかけて大きな問題であった、貧富の差を改善すべく進められた土地整理事業だったはずなんだけど、明らかに不公平な政策だったり高級士族や本土商人たちの賄賂などによる土地買収もありますます格差が広がる現実であった。

その事業を担っていた平民のヒーロー『謝花昇』が知事奈良原繁に楯突き抵抗を続けるも、まさかの担当を外されてしまい、その後も不当な扱いを受け続け、最後にはノイローゼ気味となってこの世を去ってしまうという話。

若干44歳だったというからね。。あまりに若い秀才を失くしたものなんだよね。実は東風平グラウンドに謝花昇像が建てられているんだけど、その像まで上がる階段の数が44段で、地元の人たちの謝花愛が感じられるものになっている。

明治期当時、その改租記念碑の隣には奈良原繁の銅像も建っていたんだけど、第二次世界大戦の軍事物資として没収されたとかという話。中には、県民の感情を考慮して銅像を下ろしたんじゃないかという話もあったり。

那覇市歴史博物館所蔵

奈良原繁銅像は現在姿が無くなっているものの、銅像が建っていた台座は現在もそこにあり、今は別の神様の像がその台座の上に建っています。

その碑のすぐ側には、厳かな鳥居と対のシーサーを目の前にした『天主大御神(うてんうやがなしい)』が祀られている。

『若人の森』と彫られた石も建っていて、これは1964年の東京オリンピックの際に建てられた石らしい。

それから最後に、奥武山の今後のレジャー可能性が半端ないことをお伝えしよう。

奥武山温泉が出来るかも!?

奥武山公園内では昭和期から、地下天然ガスを採掘して代替エネルギーにできないかという研究が行われてきた。

ただ、その後の円高や原油価格の下落などによって一時中断されてたものの、近年になってその可能性が再び注目を浴びていて、実験も再開された。

仕組みを簡単に言うと、天然ガスを採掘してガスを使って発電し電力供給、それから発電によって生じる排熱を使って暖房や給湯を賄う。さらに採掘に伴っては、かん水という熱い水も湧き出てくるので、これを温泉として利用したり、温水として利用しようというシステム。

その実験において、現状と比べての省エネ効果やCO2削減などの効果がしっかり実証されつつあり、今後の可能性が大いに期待されそうなのだ。

まさに奥武山公園みたいな大型スポーツ施設にはもってこいの発電システムなわけだよね。

競技施設の電力とか、体育館などの空調にしてもバッチリ使えるし、スポーツで汗を流した後、温泉でひとっ風呂浴びてスッキリして、そして神社参りもしてから一杯飲んでモノレールで帰ると。オーノー!山

これまでの沖縄には無かった楽しみ方じゃない!?

ますます今後の奥武山に期待が高まりますね!

放送後の一枚は、初はるなさんも一緒にワケンロー!!


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E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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