沖縄では、昔から人々の生活にとって欠かすことのできない大事な湧水のことを「カー」もしくは「ガー」と呼んで親しんできました。
昔は水道などもちろん引かれていないので、湧泉からの清い涼水が人々の日々の飲み水となり、野菜・芋を洗う水、衣類の濯ぎ水などにも利用され、地域の共同生活用水として大事に扱われてきた。
県内には1000カ所以上、宜野湾市だけでも100カ所以上確認されているといいます。で、今も市内に現存するのは50ほど。それでもかなり多い!
湧水はまた、各集落の伝統行事であるウマチー(お祭り、五穀豊穣、収穫際など)で拝んだり、新年を迎えた元旦の朝に身を清める「若水」、子供の出生のときの湯浴み(沐浴)としての「産水(うぶみじ)」、子供のおでこを水で撫でて健康を願う「ウビナディー(御水撫)」に使われるなど、一人ひとりの人生の節目になくてはならない大事なものでした。
さて!本題の湧水のメカニズムはというと、沖縄という島がサンゴ礁の隆起によってできた『琉球石灰岩』を基礎地層としていることに大きく起因しています。
琉球石灰岩の下にはクチャという泥岩の層があり、泥岩はその性質上水を浸透させません。
逆に石灰岩は水をどんどん浸透させ、泥岩層まで染み込んでいきます。
水は泥岩層に付き当たったところで行き場を無くし、泥岩の上を這うような形で流れ続け、ついには地上や崖下から湧水となって湧き出るという仕組みになっているわけです。
宜野湾市の西側丘陵には特にこのような地質が発達しているため、湧水が多い地域となっているのです。普天間基地から海にかけて何段かの層になっていますよね。パイプライン、58号沿い、軽便道、そしてターブックヮー。大山の湧水群はほぼこの軽便道とターブックヮーの段差のラインに湧き出ている。そこにこそ泥岩層と石灰岩層の境目があるわけなんです。
また地中に染み込んだ雨水(酸性)は石灰岩を溶かす性質もあり、長い年月をかけて浸食された水の道が空間を造り、それが大きくなって洞窟や鍾乳洞になったりします。玉泉洞などが分かりやすい例ですね。
普天間基地の中には、今でも幾つもの手付かずの大きな洞窟が存在していて、まだ確認されていない巨大洞窟も地下に張り巡らされているだろうと言われています。
普天間基地が返還され、新たな都市計画が進むのは歓迎する部分もあるんだけど、正直あちこちで起こっているような開発に伴う『水脈の枯れ』はなんとしても避けてもらいたい。
『宜野湾に湧泉あり』
これを失うと宜野湾の魅力も空気も氣も消え失せてしまうのではないだろうか。
写真は数年前に普天間基地内で見せてもらった巨大洞窟と戦前まで使われていた湧水。
さーみんなで考えよう
E.KEMURA
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