ボスイケ・南走平家探訪のリアル旅④ 『和布刈』と『銘苅』

インビジボー改!琉球㊙︎外伝

さて、ボスイケ南走平家の話に戻りまして、

壇ノ浦から再度北九州へ戻りまして、北九州の端にも足を運びたかったエリアが。

それが『和布刈』なのだ!

これ、読めませんよね😅

なんと『めかり』と読むんです!

『和布』と書いて『わかめ』で、ワカメを刈るで『和布刈』だと。

ワカメを刈る祭事『和布刈神事』が行われる『和布刈神社』が海岸に建っています。

“和布は神の依り代灯され、万物に先駆け自然に繁茂する非常に縁起の良いものとされている。また、刈りとった和布は万病に効くと伝えられ、朝廷や領主に献上していたと記録が残っている”

和布刈神社より

他にも興味深い由緒などありますが、興味のある方はHPもどうぞ。

和布刈神社(めかり神社)
和布刈神社は1800年前より関門海峡に面して鎮座し、潮の満ち引きを司る月の神様「瀬織津姫」を祭る神社。導きのご利益をいただき海葬、散骨、思物供養、人形供養を取り行っております。

と、ここで何かを感じませんか?

和布刈、めかり、

そう!琉球には『銘苅』という地名・人名があります!

これまでも銘苅には特別な何かを感じているボスイケ。

もしかしたら何かしら繋がっているのではないか!?と

組踊『銘苅子』で天女と結ばれるのは『銘苅子』という銘苅の人物。実際、銘苅子と天女の子が尚真王に嫁ぎ、その娘が佐司笠按司加那志となった。と正史にも伝わる。

その天女が舞い降りたと言われる泉が今も銘苅にあります。かなり神秘的な場所です。

また佐司笠按司加那志が見つけたと伝わる佐司笠ヒージャーも首里桃原の尚家敷地内に今もありますね。

その佐司笠按司加那志は、尚宣威王(悲劇の王)の次男に嫁ぎ、越来系を継承していく。そして後世には湧川殿内となる。

そう!これまたボスイケ論で重要な『湧川』だ!銘苅には『銘苅御殿』という御神屋があり、管理しているのは『湧川』さんである。

さらに琉球八社の一つ『天久宮』の創建者と伝わる人物。

これまた『銘苅翁』なのである!

もしかすると『銘苅子』と同一人物かもしれない。

そんでもって伊是名の銘苅家は尚円王の叔父系とも言われ、代々伊是名の地頭を務めてきた。

そして那覇の銘苅には『伊是名御殿の墓』が残っており、米軍基地だった時代にも破壊されずに保たれてきた。

ここまで琉球史のポイントポイントで名称が出てくる『銘苅』、そして壇ノ浦の対岸には『和布刈』

ここにもすごい歴史ロマンを感じるわけなんです😁

(この辺りの詳細も過去ネタでバンバンあげてるので、興味あればぜひ😁)

ワワワワワケンロー!


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E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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