“いちんゆしぐぅとぅや みぬうぃぬ宝 耳ぬにゆあきてぃ 肝にとぅみり”
どうも ボスエム組体操 ボスみねイケムラです(´∀`)
ということで、今週もかなり無理むっちゃくに押し込んでみたわけなんですが♪
本家FM 組踊の仲嶺さん、すみませーん(^^;
あまりに悪ふざけが過ぎて怒られないか心配ですが、琉歌普及のためにもね!ごめんねごめんねー!
いや、今週は琉歌が大きく関わってくるんで、ちょっとやらせてもらったけども、しっかり後半につながってくるんで、最後までお楽しみに〜♪
さて!先週に引き続きの『琉球5偉人』では、この人ももちろん忘れてはいけませんね!『程順則』!
この方も、時の琉球のみならず、日本全国へ大きな影響を与えた人物なんですよ〜♪
別の呼び名では『名護親方』とか、『名護聖人』としても知られていますね。
名護ではゆるキャラのキャラクターにもなっていて、常に人々に親しまれています♪
そんな名護親方こと『程順則』、どういった偉業を行ったかというと、いくつもあるんだけど特に大きなものとして、
中国(清)から『六諭衍義』を持ち帰り、琉球に道徳教育を広めそれが日本本土にも渡り寺子屋の教科書にもなった。
まず六諭衍義とは、中国の皇帝が民衆を教育するために諭した『人が人として生きるため守らなければならない6つの教え』であり、その内容は
- 孝順父母(ふぼにこうじゅんなれ)父母に孝行しなさい
- 尊敬頂上(ちょうじょうをそんけいせよ)年上の人を敬いなさい
- 和睦郷里(きょうりはわぼくせよ)村里にうちとけ仲良くしなさい
- 教育子孫(しそんをきょうくんせよ)子孫によく教えを導きなさい
- 各案整理(おのおのせいりにやすんぜよ)各々の生業やなすべきことを全うしなさい
- 毋作非為 (ひいをなすなかれ)悪いことはしてはいけない
というものである。
今でこそ当たり前のような言葉にも思えるけども、それぞれをしっかり説明文も含め読み返してみると、いくつも自分にウチアタイすることがあって、しっかり気持ちを改めないとな〜と身を引き締めさせられる内容ばかり。
この人間としての当たり前のようだけども、正しい教えというものを広く普及させたのが程順則なわけなんですね。日本初の道徳の本を普及させたといっても過言では無いわけなんです。
程順則は久米村に生まれ子供の頃から勤勉少年で、生涯で5度も中国へ渡り様々な学びを受け活躍をしている。
20歳で初めての留学の際に、儒学の師匠が持っていた『六諭衍義』という本に出会い大きな感銘を受け、4度目に渡った際に大金の自費を払って『六諭衍義』を印刷して琉球に持ち帰り王府に献上したと言われている。
六諭衍義とは、上記のように人として正しい道を解く『道徳』のような教科書なわけなんだけど、より広く庶民にも分かりやすく伝わるように、程順則はこれらをより噛み砕いて琉歌として詠んだのである。
それが後に『琉球いろは歌』という琉歌(琉球短歌)として広く伝わることとなり、その一つ一つがいわゆる『黄金言葉』として今の時代にも受け継がれているのである。
例えば、『い』であれば、先ほど冒頭で唱えた
『意見寄言や 身ぬ上ぬ宝 耳ぬ根ゆ開きてぃ 肝にとぅみり』
(人の意見や言葉は自分にとっての宝になる、耳の根っこまで開けて心に留めなさい)
『さ』であれば、
『栄い衰いや 夏とぅ冬心 繰り返し返し 脱りぐりしゃ』
(人生に置いて栄たり衰えたりするのは季節の夏と冬のようなもの、必ず繰り返すもので脱れられるものではない)
といった感じで、47首にまとめられている。
全てをまとめたQABのページがあるので、興味のある方は是非読んでみてください♪
で、彼の生まれまちである久米の『クニンダテラス』には、一つ一つの琉歌がカルタのようになって所狭しと設置されているので、それを探しながら学んでみるのも楽しいよ♪
更には、見たことある人もいると思うけど、この琉球いろは歌がプリントされたTシャツやタオルなどがグッズとなって販売されている自販機が県内各地に設置されている。
本当に一つ一つがウチアタイするような内容だから(^^;
自分への戒めというか、今何が足りてないのかみたいなおみくじ感覚で買ってみるのもいいのかなとも思うよね♪
そして実は程順則、六諭衍義を中国から持ち帰ったあと、慶賀使として江戸に上る際に薩摩藩にもこれを献上している。その際にも様々な博学者と触れ合うことによって、教育の大事さを更に痛感したという。
するとさらにそれが薩摩藩から時の将軍『徳川吉宗』にも献上され、吉宗はこれを大変高く評価しその後の寺子屋の教育、ひいては日本全国の初等教育に置いて広く活用されるようになっていくのであった。
ここにもまたひとつ、琉球発〜の日本全国への一大普及という大きな貢献があったんですね。
今や『おもてなし』の心が世界から賞賛される日本の道徳観、もしかすると程順則がその原点なのかもしれないんだよね!
さらには中国渡航の際の航海指南書である『指南広義(しなんこうぎ)』も持ち帰り自らの手も加えて出版し、300年以上も前に気象予報を踏まえた安全な航海を広く普及させているのだ。
それから程順則のもう一つの大きな偉業には、
尚貞王に懇願して、琉球初の公立学校『明倫堂』を作ったことである。
ここにも程順則がいかに教育に力を入れ、教育こそが国を豊かにし、教育こそが人々の生活を豊かにしていくかという強い思いが現れている。
今でも久米孔子廟の中の施設の一部として存在している。
このような多大なる功績から、66歳の時に名護間切の総地頭に任ぜられ『名護親方』と呼ばれた。名護での教育・道徳普及にも力を入れ、程順則が名護の総地頭になってからは名護から犯罪が無くなったという逸話も出るほど。
その後『名護マサー』と呼ばれるリキヤーが生まれる町へと変わっていったのかもしれないですね。
そんなワタクシ、ボス・イケムラも多感期は名護で過ごしていた名護ンチュなのです(´∀`)
小学校の校歌にも『程順則』が出てきますしね♪
程順則の 残したる
徳のめぐみに うるおいて
文化の華の ひらきゆく
わが名護まちは 栄えたり
いざいざみがけ わが健児
名護小学校校歌 3番
なので、やっぱり誇りに思うわけです名護親方!
いろいろな話題に尽きないやんばる名護ですけども、このイカしたルーツをまた一人一人思い返して、やっぱり名護マサーやさや!と思わせてくれる未来を期待したいですね♪
元々の名護の番所でもある現名護博物館の前には程順則の銅像と、六諭衍義の6つの言葉が書かれた石も見ることができるので、機会があれば是非訪れてみてください。
放送後の一枚は、名護にかけて『75』を表現したかったんだけど、、全く伝わんねーな(^^;
ワワワワケンロー!!!
E.KEMURA
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