Invisible RYUKYU 第35回目は『ちんすこう成り上がり伝』

Wandering Okinawa!

ハイサイロックンロール!!

度かなさる台風の影響もありながらも、無事県内最大級のお祭りである『那覇大綱曳祭り』も終わり、あとは年末へのカウントダウンを残すところとなってきましたね(´∀`)

そんな秋の夜長のInvisible RYUKYU、今夜も聴いてもらえましたか〜!?

おっと連休明けで聞き逃したぜ!という方は、ラジコからどうぞ♪

さて、秋と言えば食欲の秋でもありますね(´∀`)

てことで、今夜は琉球スイーツ特集第二弾『ちんすこう:沖縄土産への成り上がり』をお届けしました〜!

ブログでもフォローアップしていきますね♪

まず、先週にお伝えした琉球伝統菓子の簡単な概要。

琉球王朝時代からお菓子は数多く作られていて、王家の方々の嗜好品でありながらも冊封使や薩摩の役人たちへのおもてなしとして振舞われていた特別な食材だった事。

そのお菓子は当時の役職『包丁人』という職人が一手に担っていた事。

その後、琉球処分に伴い包丁人が王府の専属という役職から下町へ下りてきて商売を始めだした事。

そこから今に至るまで伝統菓子を作り続けている家系があること、伝統ある老舗があること

辺りまでお話しました。

今夜はその後の琉球菓子の流れについてお届けしましたね♪

沖縄を代表する、そして伝統菓子を代表するお菓子と言えば、

やはり『ちんすこう』ですよね♪

沖縄土産菓子ナンバーワンのちんすこう!

沖縄土産菓子ナンバーワンのちんすこう!

で、伝統ちんすこうと言えばどこの銘柄を思い出す?

と問えば、ウチナーンチュならほぼほぼ『新垣ちんすこう』とか、『新垣菓子店』とかって答えるはず。

それくらい『ちんすこう』=『新垣』というのが根付いている。

それもそのはず、その流れにはしっかりとした時代背景があったわけなんです。

まず話を戻して、琉球王朝が解体されるその時まで王府直属で料理や菓子作りを担っていた、琉球王朝最後の包丁人と言われる方がいます。

その名を『新垣親雲上淑規(あらかきぺーちんしゅくき)』と言った。ペーチンとは琉球の階級名で士族の位の1つ。

彼は当時の琉球の特殊な立ち位置から、中国菓子の製法と日本の菓子製法を織り交ぜて様々な琉球独特のお菓子を作り上げたとも言われている。

その1つがちんすこうではないかとも。

ただ、当時の『ちんすこう』は今のような細長くて淵がギザギザしたような形ではなく、菊の花の形をしていたよう。名前も『金楚糕』と書いてチンスコウ。

*新垣菓子店さんでは、キンソコウというオリジナル銘柄で再現販売もしています。

その新垣淑規を開祖として、3代目の新垣淑康(しゅくこう)さんが首里に県内初の菓子店『新垣菓子店』を開業。

この淑康さんが、実は後にちんすこうを沖縄最大の代表菓子と成さしめる画期的な改良を施す。

それまでは蒸し菓子として食されていたちんすこうを、レンガ釜で焼く製法に代えたことによって劇的に長持ちするお菓子に生まれ変わらせたのだ。

そのおかげで、当時船しか交通手段が無い時代でも日本本土へのお土産品として持っていけるお菓子となった。

さらに菊型であるため食べる際にボロボロしてしまっていたちんすこうを、一口サイズの細長型に改良する。

その後、淑康さんの息子に一人である淑扶さんもますます画期的なアイデアで追い打ちをかける。

当時の、戦後アメリカ文化が急速に広まる沖縄において、アメリカ軍のクッキーの型を再利用してちんすこうを一気に大量生産できるようにした。その際に伝統であった菊の型を模し残したのか、あのギザギザ模様が生まれ、それが今の一般的なちんすこうの形となっているという。

さらに、衛生面を考慮して小分け袋にパッケージしたのも淑扶さんが初とのこと。今ではお菓子の当たり前の様式が、この頃にすでに確立されていたんですね〜!

そして時代は日本本土復帰記念事業である『海洋博覧会』を迎える。

ここで淑扶さん、一気に勝負をかけたのか首里にて製造から包装までを完全オートメーション化した『ちんすこう工場』を建設!

コレが大当たりで、海洋博を機にちんすこうが沖縄土産の筆頭第一になる!

すごいですね〜! ここにしっかりと『ちんすこう』が沖縄を代表するお菓子になっていく、成り上がっていくストーリーがあったわけなんですね〜♪

ただこのような大成功、大胆な大改革の裏には、実は淑扶さんのもう1つ大きな決断・行動力があったんです。

淑扶さん、もともとは新垣菓子店の跡継ぎ候補でなく、兄である淑貞さんが継ぐはずであった。しかし父の死からすぐの翌年に兄も他界してしまう。

急遽止むなく淑扶さんが継ぐ事になるが、良い意味でお菓子業界から距離があったことが伝統に捉われない改革を起こし、伝統を重んじながらも次々に新しい風を巻き起こす。

しかしその後お店を軌道に乗せると、あっさりと甥っ子にお店を譲り渡し、自らは商業の中心地である那覇に出て新たに新垣菓子店をオープン! 

その読みもバッチリ当たり、上記のような大成功の波を収めていくというわけなんです。

ここで所謂ところの『暖簾分け』が生まれ、現在は4つの新垣系お菓子の企業が存在するということのようです。

代々の本家である首里の『琉球菓子元祖本家新垣菓子店』、淑扶さんが那覇で開業し、その系列を組む『ちんすこう本舗 新垣菓子店』『新垣ちんすこう本舗』、それから淑扶さんの弟であり淑康さんの7男、淑正(しゅくせい)さんの奥様『カミ』さんが伝統を守りに守ってきて、現在7代目を中心に首里城の鎖之間で提供されている琉球菓子を作っている『新垣カミ菓子店』

首里城内の部屋で休憩しながら琉球菓子を食べられるってのも良くない?? この特集組むまでそういう場があるなんてのも知らなかったし、4種類(ちんすこう、花ぼうる、チールンコウ、クンペン)とサンピン茶もセットで¥310ってよ? 絶対お勧めだよね〜(´∀`) そのお菓子を作って納めていらっしゃるのが新垣カミ菓子店さん。

新垣カミ菓子店さんのお菓子は、首里城のお土産品店でも購入可能♪

新垣カミ菓子店さんのお菓子は、首里城のお土産品店でも購入可能♪

今回はこちらの新垣カミ菓子店さんへ取材にお邪魔したんだけど、ほんとパワフルな7代目の恵子オバーちゃん(オバーちゃんは失礼かな^^;)が、慣れた手つきで1つ1つ花ぼうるを手作りで作っていく。

一個一個手作りの花ぼうる

一個一個手作りの花ぼうる

すごい繊細!

すごい繊細!

ホント美味しいよ♪

ホント美味しいよ♪

注文の電話もひっきりなしにかかってくるし、王家御用達のこの手作り伝統菓子を求めて本土からの来客も後を絶たない様子でしたよ。(今でも尚家の方々から注文があったりもするそうです。)

『琉球菓子元祖本家新垣菓子店』さんと『新垣カミ菓子店』さんは首里の赤平にあって、ホント隣同士で営業されていて、どっちがどっちか迷っちゃうかも(^^;

新垣カミ菓子店さんはこの建物(^^)

新垣カミ菓子店さんはこの建物(^^)

んでもそれぞれにそれぞれの特徴があって、どちらにも素晴らしい伝統、受け継いできている製法やレシピがあるので、ホント食べ比べなどをされても楽しいですよ♪

伝統菓子ちんすこうと言えば確かに『新垣』を思い浮かべるけど、新垣って言ってもいろいろあるし同じ新垣でも全くの別企業なのかな〜と思ってたけど、(思ってる人多いよね^^;?) 実はこういう背景があったんだね〜!

すごく勉強になりました! もちろん皆さん今でも仲良く切磋琢磨されてるらしいですよ♪

皆さんもぜひ! この機会に、琉球伝統菓子にも触れてみてお口にも運んで琉球の風を感じてみてくださいね〜!

放送後最後のポーズは、琉球伝統菓子を頂いているところ!? カリッといってるイメージです♪

ワワワケンロー!!!

カリっとな!

カリっとな!

ちんすこう以外の琉球菓子も紹介しておこうね〜♪

クンペン、中には胡麻とピーナッツの餡が入ってる。今でも法事の際には必ずあるよね。

クンペン、中には胡麻とピーナッツの餡が入ってる。今でも法事の際には必ずあるよね。

チールンコウ 蒸し菓子 玉冠をイメージしてるんだとか

チールンコウ 蒸し菓子 玉冠をイメージしてるんだとか

タンナファークルー クンペンに似せた庶民向けのお菓子。中に餡は入っておらず。

タンナファークルー クンペンに似せた庶民向けのお菓子。中に餡は入っておらず。

センジュコウ テンペストの1シーンに出たのを機に再現発売されている

センジュコウ テンペストの1シーンに出たのを機に再現発売されている

タウチーチャウ 鶏の鶏冠に似ているからの名前なんだって

タウチーチャウ 鶏の鶏冠に似ているからの名前なんだって

サーターアンダギー

サーターアンダギー

ナントゥー

ナントゥー


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E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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