Invisible RYUKYU 第103回目は『琉球史上最強の成り上がり尚円王と所縁深い西原町』

Wandering Okinawa!

にーしはら紹介〜(´∀`) にーしはら紹介〜♪

イイイイイーネ!!!!

ということで今週もやり切って参りました!

先週に引き続きのインビジブルRYUKYU 西原紹介♪

いよいよ明日から始まる『琉球ドラマ・尚円王』にバッチリ乗っかりまして、尚円王に極めて重要な所縁ある『西原町』のインビジブルです(´∀`)

ドラマを見ながらどう西原と尚円王に関連があるのか、どう所縁があるのかを楽しんでもらえるように、

まず今回は、尚円王の簡単なヒストリー紹介から始めてみようと思います♪

時は1429年、佐敷出身の尚巴志がそれまで大きく3つに別れていた三山の統一を果たし、琉球王国という統一国家が誕生しますね。

そこから、7代に渡る王様、60数年に及ぶ第一尚氏王統が形成されます。

7代に渡っているけど、63年しか続いていないということは、それぞれの王が短命だったことが分かるよね。

代替わりに平均10年も無い。在位5〜6年というのもざらにあった。

さらにこの第一尚氏時代には、王位継承を争って身内で戦が起きている。

『志魯・布里の乱』である。

この乱では首里城自体も火災に巻き込まれ、焼失してしまうという事態に陥っている。

さらに、その戦いでどちらの総大将とも共倒れとなり、急遽越来グスクに居を構えていた越来王子こと尚巴志の五男(七男の説も)が王位に就き『尚泰久王』として誕生することになるわけです。

この絶妙な時代背景による『尚泰久王の誕生』こそが後の『尚円王』そして『第二尚氏』へと繋がる一つの大きなポイントとなる。

実は尚泰久王が越来の王子時代にひょんなことから出会って、目を掛け、その類稀なる有能さを買い、首里王府内へ送り出したという、その人物こそ!

かつては伊是名島で農民として働き、そのあまりの端整豊かなルックスで女性を惑わすと毛嫌いされ、田んぼの水泥棒とレッテルを貼られ、その生真面目さが故に島を追い出されてしまった『金丸』こと、後の『尚円王』なんですね。

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この双方の出会うべき時代とタイミングこそが、まさに! 『その時歴史が動いた!』ってやつだよね。

少しでも出会う年代が違っていたら、出会う対象が尚泰久でなかったら、その後の尚円王の存在も無かったかもしれないし琉球の歴史さえものすごく大きく変わっていったことになる。

その後越来王子が尚泰久王となった際にも、志魯・布里の乱で乱れ切っていた琉球王国を立て直すべく、有能な『金丸』を自分の右腕として登用し、金丸もそれに応えるかのようにどんどんと行政改革を興し、役人や民衆を巻き込み絶大な信頼を得ながら世直しに貢献していくんです。

あの有名な梵鐘、万国津梁の鐘を作らせたのもこの尚泰久王である。

この頃に金丸は、尚泰久から西原間切の内間領主として任ぜられ、内間に屋敷を構えて住むようになりました。

その屋敷跡こそが現在の西原町嘉手苅にある内間御殿であり、現在では国指定の史跡となっている。

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尚円王没後190年経って、第二尚氏の元祖である尚円王を神格化する意味も込めて、尚敬王によって整備された。

金丸は農民の出からの大出世ということもあり、領主当時から内間の農家の人たちにも身分分け隔てなく接することで慕われ、時代を経て現在も地元の人たちから特に神聖な場所として崇められている。

今は住居的な形としての姿は残っていなく、『アガリー御殿』という屋根付きの拝所がひっそりと佇んでいる形だけど、

周りには広く石垣が張り巡らされていて、すごく厳かな雰囲気。

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実はこの拝所にはその昔、尚円王が愛用していたとされる青磁(陶器の一種)の枕が御神体として祀られていたんだけど、ある時盗賊によって盗まれてしまう。

これは一大事だということで、国家挙げての大捜索を行ったところ田んぼの中から発見することができた。

これを機に御殿周りを石垣で囲うようになったと言われている。で、この石垣はその当時からのものらしい。

ただ、警備を厳重にしたにも関わらず再度盗難に遭い、今でも行方不明なんだとか。

現在内間御殿は大掛かりな修復作業のためにその石垣も網が掛けられたり、一時的に取り外されていたりする箇所もあるけど、一見の価値は大いにある。

また、戦争によって破壊されてしまったけど、土台だけは残っている『先王旧宅碑』、

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それから尚敬王によって書かれたと言われる『致和』の扁額石碑も御殿内に見て取れるので、見落とさないように(^^)

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もともと木の扁額が御殿入り口の門に掛けられていたらしいけど、これまた戦争の際にアメリカ軍によって摂取されトイレ用具に使うために穴が空けられてしまったと。その無残な姿になった遺品は県立博物館・美術館によって所蔵されています。

さらに御殿目の前には樹齢470年とも言われ、県内で最も古い老木の一つでもある『サワフジ』が誇らしげに存在感を示している。

このサワフジから西原町の町の花木としてサワフジ(サガリバナ)が指定されているし、サワフジ音頭なる町の歌もあるし、町の施設としてサワフジ未来ホールというネーミングもされている。

というように、西原の特に内間・嘉手苅地域は尚円王との関わりがものすごく深い場所なんですね〜♪

その後どうやって金丸が王様になっていくのかなどはまだまだ面白いドラマがあるんで、ドラマ尚円王も合わせて楽しんでもらいながら、来週あたりにお伝えしたいと思います。

内間御殿はドラマの影響もあってそのうちに人気琉球観光地になると思いますよ!

ぜひ、これらの情報も少し頭に入れてドラマも観てもらって、実際に足を運んでもらえると幸いです♪

放送後の一枚は、にーしはら紹介〜なクレイジーケンさんの決めポーズで!

イイイイイーネ!!

イイイイイーネ!!

イイイイイイイーネ!!!

ワワワワケンロー!!!


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E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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