Invisible RYUKYU 第38回目は『古都・首里散策パート1』

Wandering Okinawa!

スイ!スイ!スイ!

いや、今日は火曜!

Invisible のワケンローチューズデーだよ〜(´∀`)

エイサーでもスイ!スイ!ってかけ声やるけど、首里のことも昔言葉で『スイ』と言うんですね〜♪

何かしら関係があるのかしら(´∀`) 興味深いですね〜♪

ということで、本日のInvisible RYUKYU では、琉球王朝の都『首里』についてお届けしました〜!

毎年11月3日の文化の日に合わせて『首里城祭』が行なわれますからね、そこにも絡めてということで紙面&ラジオでも首里の面白スポットなどを紹介しました♪

首里城祭もハバーやんど〜!

首里城祭もハバーやんど〜!

聞き逃した!という方はラジコでどうぞ( ´¬`)

まず、首里と言えばもちろん『首里城』なわけで、首里城を中心に首里城下、さらには琉球王国は栄えていくわけなんですね。

実は世界遺産として登録されているのは首里城の遺構

実は世界遺産として登録されているのは首里城の遺構

で、今でも下町には古き良き風景がとても多く残っていて、土地開発もなかなかできない場所なわけです。通りも狭い道がほとんどで、あまり車では行きたくない場所(^^;

しかし最近はそれを知らない大型レンタカーがバンバン中道まで入って来てて、、結構ローカル問題。。

また景観を損ねる建築は制限をされていて、高さ制限もあるようだし赤瓦を敷かないといけないエリアもあるとかで。

金城町の石畳も風情の塊

金城町の石畳も風情の塊

龍潭池の隣のファミマだったかローソンだったかはしっかり赤瓦仕様ですよね♪

と、そんな首里、昔は那覇とも全く別の地区で『首里市』であったこともあった。

さらに士族の家系が数多く住んでいたこともあり、家柄の良い方々の住む町。

そんなこんなで、地元の人の中には今でも『ワッターはスインチュど! ナーファンチュあらんど!』、という気概もよく聞かれたりもしますね。

先ほども伝えたように、昔から首里城の城下町として栄えた首里区。

今でこそかなりの自治区から成っている首里ですが、昔は大きく分けて3つのエリアに区分されていたとのこと。

それを『首里三平等(ミフィラ)』と言って、ここを意識して歩いて見るとこれがまた面白かったんです♪

そこの入りまでくらいを紹介したかったんですが、、今日は首里城のヒストリーを紹介するだけで時間アップだったや(^^;

まず首里城のロケーション!

これはいろいろ言われているけども、やはり風水的な気の流れがとてもいい場所らしいね。

首里城は日本には珍しく西を向いている造りになっている。これは琉球独特のティダ信仰につながっているらしい。東から上る太陽に力をもらって西へと見送ると。

で、首里城後方、いわゆる東側に鎮座するのは那覇で最も標高が高いと言われる『弁ヶ嶽』(つい先日に国指定文化財登録が決まりました。登録後は「弁之御嶽」と改称されるよう)、この御嶽から気が流れ首里城あたりで気が溜まる。

さらに首里城両サイドにはこの弁ヶ嶽を水源とする真嘉比川と安里川が流れ、麓で1つに合流している。風水では水の流れもスゴく重要。

国指定文化財に指定された弁ヶ嶽

国指定文化財に指定された弁ヶ嶽

首里城の背中を見下ろし、慶良間も向こう側にはっきりと

弁ヶ嶽頂上からは首里城の背中を見下ろせ、慶良間も向こう側にはっきりと

もっと言えば、弁ヶ嶽を東の玄武と見立て、北方向には虎頭山という山(白虎)があり、西にも南にもそれぞれ青龍と朱雀に例えられる山で囲まれているという、いわゆる四獣神に守られているロケーションだとも言われている。(通常は北に玄武、西に白虎、東に青龍、南に朱雀となるが、首里城を中心に90度動かした形になっている。)

虎の頭に似た岩があったことから『虎頭山』と名付けられたとか。

虎の頭に似た岩があったことから『虎頭山』と名付けられたとか

確かに450年もの間、いやもっともっと前からかもしれない、その歴史の中をこれだけの存在力と人々の気概を持ち続けられる地域ってなかなかないのかもしれない。

名護遷都論も風水を盾に実現しなかったというのも興味深いしね〜。

そんな首里城、やはり最も大きなターニングポイントは1879の琉球処分ですね。

琉球処分後、首里城は日本陸軍の管轄となって軍の施設として使われボロボロになる。城の壁板、床板などは剥ぎ取られて薪として使われたなんてことも言われている。ひどいもんだな(ーー;

その後一旦は沖縄に返され学校施設などとして使われるものの、あまりの老朽ぶりに取り壊しの直前まで話が進む。しかしここで鎌倉芳太郎氏、伊東忠太氏の働きかけによって一気にその歴史的重要性が伝わり、なんと国宝にまで指定され改修される。ただ、当時の国宝基準は寺社仏閣に限られていたため、正殿を『沖縄神社』と定めたとか(^^;

実は戦前には守禮之門、歓会門や円覚寺、弁ヶ嶽など22もの史跡が国宝として指定されていて、京都、奈良に次ぐ国宝の多い県だったらしい。

しかしまたしても首里城は沖縄戦の直前に日本軍によって摂取され、大規模な地下司令部壕が掘られる。今でも首里城の地下壕は立ち居入り禁止区になっていて、隠れたとこから見え隠れるす壕入り口からはおぞましい雰囲気が覗く。

日本軍の司令部壕となったことで米軍から徹底的な集中砲火を受け、首里城もろとも首里一帯は壊滅。上記国宝も全て壊滅状態となり、戦後復元がされるも復元では国宝認定が厳しいという事で重要文化財に引き下げられている。

そんな中、つい先日こちらも嬉しいニュースで、玉陵が戦後県2例目の国宝に指定された。ちなみに1例目は『琉球国王尚家関係資料』で、年に数度見る事ができる『玉冠』や『千代金丸』なんかがそうですね♪

玉陵はすでに世界遺産にも登録されているので、これでダブル認定!ますます観光客が増えていくことでしょう♪

戦後には首里城跡地に琉球大学が置かれ、学びの場となる。城の遺構にはなるべく影響が出ないようにと、遺構の上部は埋め戻して駐車場にしていたんだとか。それから40年近くの時を経て現在の首里城となる復元が開始された。

1992年、遂に正殿の完成。2000年に世界遺産群登録、しかし今でも地道に完全体に向けた復元作業が続けられているという形。

ということで、ここまで喋ると時間も足りるはずもなく、今回はまず『首里城の辿ってきた歴史』について部分のみお届けしました(^^)

放送後の一枚は、熱戦が続く日本シリーズ『広島の赤』と『首里城の朱色』コラボロックンロールです(´∀`)

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次回は先ほど上げた『首里三平等』についてお届けします♪

オキナワンダラーもぜひぜひ手に取って読んでみてくださいね!

ィヨロシクワケンロー!!!


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E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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