沖縄を代表するあの芸術家も『久米村』の『蔡氏』だ!

インビジボー改!琉球㊙︎外伝

クニンダの話をもう少し

元は梁氏『梁温』だったはずの『蔡温』(テンペストの「寧温」は「蔡温」もオマージュしてる😁?)、父親の『梁鐸』が蔡氏分家に養子として入り『蔡鐸』となる。

その『蔡氏』には、蔡温・蔡鐸のインパクトに押されてあまり大きく取り上げられない偉人もいる。

それが『蔡堅・喜友名親方』。

鄭迵・謝名親方梨山の高弟と言われる人物。薩摩侵攻後の揺らぐ琉球王国において、10年1貢と制限された明への進貢を5年1貢へ、さらに2年1貢まで回復させ、御物奉行、久米村総役にまで上り詰めるという大偉業を果たした人物なのです。

そんな蔡氏大宗家は『儀間殿内』と呼ばれますが、儀間殿内の末裔には、あの沖縄を代表する芸術家『儀間比呂志』さんがいるのです!

ワタクシの親父は儀間さんファンであり、実家にはいくつか儀間さん作の版画絵が飾られています😁

それから、蔡氏に関わりがあることだと思ってるんだけど、蔡鐸は志多伯親方と呼ばれ東風平の志多伯を領していた。蔡温は30歳の時尚敬王の国師に任ぜられ勝連間切の神谷地頭となる。この神谷は津堅島の『神谷』だろう。津堅島はかつて『津堅ムラ』と『神谷ムラ』に分かれていたが、明治期に『津堅』として合併。

津堅島には『神谷姓』が多いのはよく知られている。神谷観光や神谷ちひろもその代表例だ。

そして不思議なのが、東風平『志多伯』にも神谷姓が多いという。さらに蔡氏の子孫は『津堅島』を拝むという。

このあたりにも、未だ明かされていない琉球ミステリーが潜んでいそうだ😁 ちなみに蔡温はその後末吉地頭、具志頭親方と昇進街道まっしぐら。息子・蔡翼は尚敬王女を娶っている。


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E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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