ボスイケ・南走平家探訪のリアル旅⑧ 太宰府天満宮に感じる琉球感

インビジボー改!琉球㊙︎外伝

さて、盛大なトゥシビーパーティー in 福岡なナイトを無事終えまして、二日目は太宰府へ!

今年は身内に受験生が数名いるということもあり学業祈願😁

自分にとっては中学校の修学旅行以来かや😁

ちなみに我々世代のウチナーンチュ中学修学旅行は、九州が定番で、熊本城や阿蘇山、長崎グラバー園、平和祈念像、太宰府天満宮、そして今はなき三井グリーンランド🤣

そんでもって、沖縄 – 九州間の片道は船!でしたから🤣

丸一日くらいを船で過ごすという、なんとも昭和な(当時はもう平成だけど)思い出なんです。しかも名護だから沖縄着いてからも帰途は長い!

と、そんな話はどうでもいいか。

そうそう、それよりなんとですね!

今回訪れた太宰府天満宮は、まさかの124年ぶりの大改修工事中で😅 中学の時に見たあの荘厳な本殿の姿はなく、少し変わったお姿の仮殿が人々を迎え入れていました。

首里城再建でも言えることだけど、逆に考えればこのような姿を見ることの方が貴重なのかもってな😁

しかしすごい参拝者の数だったなー。もう率としては外国人の方が大多数を占めている感じだったけど。

それだけ彼らは『ジャパン』的な魅力を求めてるんだろうね♪

さて!本題に入りまして!

琉球史を学んでいるとよ、どうしてもこちらの太宰府天満宮と、もしや関わりがあるんじゃないか!?と思えて仕方ない神社が沖縄にもあるわけなのよ。

それが琉球八社の一つでもある宜野湾の『普天満宮』!

地名としての『普天間』は、『満』ではなく『間』なんですが、

神社名は『普天満宮』!

隣のお寺は『普天満山神宮寺』!

何故なのか詳しいことは未だ分かっていないよう。

そして、全国各地には点在する『天満宮』がある。

こちらは、学業の神様と崇められるあの『菅原道真公』を祀る神社ですね。天満神社として『天神さま』とも呼ばれる。

太宰府天満宮はその中でも『日本三大天神』に数えられ、菅原道真公が葬られた地であると伝わります。

では『太宰府』とはなんぞや。

これはおそらく奈良〜平安時代に地方を司る『国府』のあった地に名付けられた『府』と関係しているのだろう。

太宰府も中央政府における西の重要機関としての役割を担っていた。

そしてそして!関門海峡を隔てた山口にも『防府』があり、同じく三大天神の一つである『防府天満宮』があるのだ!

『府』の『天満宮』

これが何かしら敢えての意図を経て(南走平家説を取れば『府』とするとあからさま過ぎるから?)

『府』ではない『普』天満宮となった可能性もありはしないだろうか!?

と、ここでタイムリーなネタだけど、

つい先日にこちらの普天満宮洞穴から、さらなる沖縄の歴史を紐解くヒントになるかもしれない発掘調査の結果が公表されました。

なんと!一万八千年以上前にこちらの洞穴内にて、人類が火を起こしていたことを証明する『炉跡』が発掘されたのです!大発見!

普天満宮洞窟に約3万2000年~1万8000年前のたき火跡 県内最古級の人類活動痕跡 沖縄 - 琉球新報デジタル
普天満宮洞窟に約3万2000年~1万8000年前のたき火跡 県内最古級の人類活動痕跡 沖縄 - 琉球新報デジタル

ちょっとボスイケネタとの時代差がありすぎるけど、

一つ言えることは、それほどの太古からこの普天満の洞穴内で人々が生活を営んでいたということ。そうなると、集落の始祖と崇められる人物の墓となることも十分考えられるし、拝みの対象となっていく要素も十分にあったとも考えられるということ。

それだけ太古の昔から神聖な場所と崇められてきた洞穴を、外部から入ってきた集団がある意味ここを『琉球府』の『天満宮』と位置付けた可能性は無きにしも非ずではないかということ。

普天満は中城にも近いしね、

そもそもは中城間切の領域だった。

さらには、間切時代には『てぃらふてぃーま』と呼ばれていたのだ。

ロックだろ〜!

普天満宮については、別途ギノワンダラーにて。


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E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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