Invisible RYUKYU 第156回目は『幻の牧港石橋と巨大な岩山』

Wandering Okinawa!

港のヨーコヨコハマベイスターズ!

やーよ、アニヒャのヌーヤンバ!?

ワワワワケンロー!

ということで本日のインビジブルは、『港』に掛けましての『浦添・牧港』そして港といえばのィヨコハマ!ウチナーグチバージョン、ベイスターズ編でお届けしました〜♪

横浜DeNAベイスターズといえば、 今日現在も宜野湾でキャンプを張ってトレーニングされてますよね♪

今年はコロナの影響で全球団無観客でのキャンプという、野球ファンとしては非常に残念な状況となりましたが、それでも沖縄に来てキャンプをしてくれるだけでも嬉しいもんです♪

そのベイスターズ、宜野湾に所縁がありますが、実はここに一つ面白いインビジブルありまして!

ベイスターズの前身とジミー

そう昭和世代には懐かしい『大洋ホエールズ』ですね。

ポンセとか屋敷とか、沖縄出身の宮里なんかもいましたね♪

現在もベイスターズでは嶺井選手、神里選手、平良拳太郎選手と県出身かつ一軍で活躍されている選手が多い球団でもある。

しかも!今年はあの『浜の番長』こと三浦大輔が新監督となり!浜のリーゼント旋風が巻き起こりそうなんです!

5年前に遠目から撮った写真があった!

ワタクシボスは、これまで生粋の虎党でありましたが、ちょっとィヨコハマファンになってみようかと思っているプロ野球開幕前であるわけなんです!

と、なんで横浜が宜野湾でのキャンプに至ったかという話なんだけど、

宜野湾には県内でも有名なベーカリー本社がありますよね♪

そう!ジミーベーカリーです!

なんでジミーっていうかご存知ですか!?

創業者がジミーだったからなんですよ(^^)

あ、どうりであんなにアメリカンな雰囲気なんだ〜!

ということではなく、実はウチナーンチュである稲嶺盛保さんが立ち上げたベーカリーで、稲嶺さんが軍で働いていた時に、同僚の外国人からジミーと呼ばれていたことがきっかけなんですね。

それでジミーズ、ジミーベーカリーなんです。

ジミーというのは、本来ジェームスのニックネームだよね。

なのでジェーム・スディーンはジミー・ディーンとも呼ばれるわけだ。

ここでボスイケムラのワールドロック!

外国人は日本の名前を呼ぶのにすごく苦労します。やっぱ言葉の発音自体が全く違うので、日本人の名前を覚えるだけでも大変なうえに、呼ぶのにも苦労するわけ。

なので、日本人が欧米に留学に行く時とか、例えば親しい外国人の友達が出来た時には、ニックネームで呼んでもらうのが一般的なわけ。親切心にもなるのかな。

例えばパーソナリティーお二人だと、最初の挨拶なんかでダーさんなら『Hi I’m Chinenda! Please call me “Da”! 』とか、もうウケるだろうしサイコーいいね!

それからアユミさんだと、『Please call me Amy』とか『Emi』とかもいいかもね♪ 

なんならYa-ra-でもいいかもしれないし!?

なんて話のきっかけから、まさかの『ボスは外国人から何て呼ばれるんですか!?下の名前って何ですか!?』と(^^;

そこで、下の名前がジュンだから、割と違和感なくJunでいけるよ♪ でも女性と間違われることあるけどね。

したら『ジュンの漢字は!?』と脱線も脱線で、そらーピュアの純ですよ!

なんて流れになったさーや(^^;

と、話を戻して、戦後稲嶺さんが基地内で働いていた頃、アメリカーとウチナーンチュのあまりの格差をどうにかしたい、ウチナーンチュにもアメリカの美味しいものを提供したい!という想いで立ち上げたのがジミーなわけなんです。

その後現在に到るまでの活躍ぶりは我々も知るところですよね。

そんなジミー、実は以前テレビのCMに、その当時大洋の監督をされていた古葉監督を起用していたことがあったんです。

そんな折に、宜野湾市側が宜野湾にもプロ野球キャンプを誘致したい、という話が持ち上がって、古葉監督と親交のあったジミーの稲嶺さんを経由して、大洋を誘致することに成功したという話なんですね〜!

まさに大洋を呼びたいよう!てな!

というところで、ここからが本題ですが、

牧港に隠れた石橋と石山

今回の牧港インビジブル!牧港のヨコハマヨコスカ〜は実はここに繋げてあるんですよね。

昭和世代、具志堅ヨーコさんは、具志堅ヨウコウさんとよく間違えられたかもしれんね〜。

と、牧港!その文字通り、『港』という文字が付くだけあって、昔から港関係の場所であったわけですね。

以前にも紹介した、琉球史に現れる初の王『舜天』が父親為朝の帰りを待った『待ち港』だったというロマン説もあり、その待っていた洞窟と言われるテラブガマも牧港に今も存在します。

ただ、牧港の『牧』の方は『待ち』でもなければ『牧』でもなく、後々になって付けた当て字じゃないかと思われるんですね。

昔は『真』に『比』と書いて『真比湊』、『まひなとぅ』と読んでいたみたいだからね。

330号線から牧港へ降りていく大型のインターチェンジがありますよね。あの道は新153号線で、その道路に架かる橋も『まひなとぅ橋』と呼ばれています。パイプライン通りが下に通っている橋ですね。

その『まひなとぅ橋』を通って、58号線に向かって降りて行くと右手に結構大きな牧港川が現れ出します。この牧港川は、浦添グスクの前、そして浦添大公園内を流れてくる川ですね。

右手が153号線、多くに見えるのが牧港団地で上流向け

で、物理的に考えても、海まで流れる川がそこに並走するように流れているとすれば、その川を渡らないことにはそれ以上北へ向かえないわけなんだよね。

で、その川を渡るための橋が牧港だけで5つもあります。

一つ目がパイプライン通りに架かる『境橋』。

二つ目が先週お伝えした戦前まで軽便鉄道が通っていた道に架かる橋で通称『牧港第二橋』、コープだとかマチナトボウルへと繋がる道ですね。 ちなみに『第一橋』は比屋良川に架かっています。

三つ目は『牧港橋』。もう少しだけ58号線寄りに架かっている橋で、牧港A&Wへと繋がる道に繋がる。

右折すると58号線、左折すると伊祖インターへと上っていく

そして4つ目が実は国道58号線なんです。5つ目は新牧港橋で、牧港からコンベンションセンターに抜けられるあの大きな橋ですね。

で、実は58号線の牧港立体交差点の下は、海というか川の河口部分なんですよね。あまり気付かないけども、実は牧港川、そして比屋良川の上も走っていて、交差点ながらに二つも川を渡っているんです。

もちろん戦前まではその交差点も存在せず、河口自体も今より全然広かったため一旦河口の内陸部まで迂回して行き来をしていた。

国土地理院の空中写真 1945年

実はそこにこそ、今や幻の『牧港橋』という石橋が存在していたのだ。

現在の牧港橋とは位置も違います。

それが先週ツイッターにもアップした、あのハイネの絵にも描かれているんです!

先週紹介した絵のメイン的な橋の後ろに、実はもう一個石橋が描かれていて、それこそが今は無き牧港橋!

こちらに関しては現在何も名残が残っていないんだけど、唯一の手がかりとなるのがアウトドアショップのネオスの前の道路。

直線上には牧港川

この道も通ってみるとかなり妙だよね。

その伊祖から下りてくる153号線に合流するには左折しか出来ないし、左折するとすぐ大きな牧港交差点だから、北に行こうと思っても一気に三車線横切って右折ラインに並ぶのが難しい。

そう、実はこの妙な道の延長線上にこそ川を渡るための牧港橋が架かっていて、その道こそが当時のメインのストリートだったのだ!

国土地理院の空中写真 1970年

渡った先が、今の牧港ポンプ場あたり。それを真っ直ぐ行くと、先週お伝えしたA&Wの前の橋に差し掛かり、それを越えると大謝名に入っていく道であった。

現在の写真 by Google Map

また、牧港交差点に入って陸橋の下を通って右折していくと、道路左手に出島みたいなスペースがあり今は駐車場となっている場所がある。そこにモコっとした茂みがあって、何だろうな〜と覗いてみたら『奥間ノロの墓』とあった!

ん〜、この出島が出来たのはもちろん戦後だし、結構お墓自体も新しかったのでどこかから移された墓だと思うけど、奥間というからには、やはり察度の父である奥間大親との関係性がありそうだな〜。

で、もう一つ、先ほどのハイネの絵の中に巨大な岩山がありますよね。とても沖縄らしからぬ。

さすがにこれは脚色したイメージなんだろうなとか、もし当時あったとしても今は存在しないだろう〜と思ってしまうと思いますが、

なんと、これも現在でも残っているんです!

そう、橋の絵からの方角的にもなんとなく想像付くかと思うけど、現在は介護付有料老人ホームポートヒロックがそびえ立つ、あの岩山なんです!

牧港自動車学校に隣接するあの崖!

元々はノロ墓が点在する聖地で、山の上から船の見送りなんかもしていた場所らしい。

そこをどんどん道路整備やそれに伴う安全確保のために岩を削って開発し、当時の遺跡なども収集されていっているらしい。

その整備に祭して、削り取った岩を後世にしっかり残し伝承するという目的で、岩の一部が牧港小学校の敷地に移されて保存されているとのこと。

実は一時、そこの岩の上にアメリカ系の教会も建っていて、地元の人間も結婚式などをそこで挙げたりもしてたよう。

現在の自動車学校や牧港漁港あたりは、元は完全に海ですからね。

あの崖下が波打ち際になっていたのだ。

今は陸橋がその景色を遮ってしまっていて、この絵と現場を対比させるのが難しいけど、いざその岩の目の前に立つと、おぉ〜!というまさにロックだけにシビれるロックを感じます♪

ぜひ、琉球の名残溢れる牧港散策も行ってみてください!

ワワワワケンロー!!


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E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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