Invisible RYUKYU 第42回目は『浦添大公園を歩き尽くせ!』

Wandering Okinawa!

ハイサイロックンロール!!!

本日もエフエム沖縄『Share TIME』内 ボスイケムラの 『Invisible RYUKYU』 やりきってまいりました〜(´∀`)

聞き逃したという方はぜひラジコで〜!

さて、本日のインビジブルは、『浦添大公園を歩き尽くせ!』というタイトルでお届けしました♪

というのも、オキナワンダラー最新号で『浦添特集』を組んでいて、浦添探訪に関する情報たっぷりでお届けしてるからで〜あります!

ラジオではそのほんの一部分を深堀してお伝えしているので、ぜひ浦添歩きに興味ある方は紙面もしくはウェブの方でチェックしてみてくださいね♪

いや〜浦添はホントここ数年で最もホットなCityではないでしょうか!?

今年に浦添西海岸道路が開通して、58号線の渋滞緩和につながっていて、さらに近い将来58号線は片側4車線になります。

西海岸道路は気色もサイコー!

西海岸道路は気色もサイコー!

その工事も進んでいて、キンザーのフェンスがだいぶ以前より基地内部に立て替えられているのを目にしていることだと思います。

そこでもまた渋滞緩和が期待で来ますよね♪

さらにさらに!2019年延伸運用開始が予定されているゆいレールの新しいステーション3つも浦添!

浦添城から見える延伸されたゆいレール、駅は前田駅だね

浦添城から見える延伸されたゆいレール、駅は前田駅だね

『経塚』、『前田』、『浦西』と、ここまで交通機関が充実し渋滞も緩和されれば、那覇と浦添はセットみたいな街になってどんどんと観光客の行動も浦添まで広がってくることだと思います。

西海岸道路沿いにこれまた2019年オープン予定の圏内最大級のサンエーも話題性抜群!

もともと琉球の歴史的にも非常に重要な場所であった浦添、なので歴史スポット、史跡もたくさんあるわけで。

そういう部分ももっともっとPRしていけば、今後の可能性は果てしなく広がる!それが浦添なんですね〜♪

というわけで、ひとまず今週は浦添大公園内にある、浦添の知られざる史跡探訪をお届けしました(´∀`)

まずのまずはやはり『浦添城』!!

浦添の名の由縁は『浦襲い(うらおそい)』から来ていることは割と知られていると思う。

津々浦々を襲うほどの勢力があるというね。

で、浦添城は首里に王都が移る以前、中山の中心、いわば琉球の中心地であったことが分かっている。

舜天、英祖、察度、この3大王統は全て浦添城を居城とし、浦添を中心として栄えた王統である。

故に、英祖のてだこ伝説、英祖王を身籠った時に母親が太陽を飲み込む夢を見たと。そこから英祖は『太陽の子』、『てぃだの子』、『てだこ』と呼ばれ、浦添は今でも『てだこの町』と呼ばれているわけだ。

そして舜天に関しては、父親が源氏の源為朝であると言われており、今帰仁の運天港付近には為朝が上陸したとされる場所もある。さらにその運天の由来も、為朝が運を天に任せて流れ着いたということから名付けられたとも。

その運天港は後に薩摩軍が琉球侵攻する際に上陸した港でもある。伊是名、伊平屋に渡るにはここ運天港からのフェリーに乗る。

その舜天が日本本土へ帰ってしまった父、為朝の戻りを母親と待っていたとされる場所が牧港のテラブのガマであり、58号線牧港のマクドナルドから一本入ったところに今でもポッカリと口を開けて存在している。

ほんと58から入ったすぐのとこにあるよ

ほんと58から入ったすぐのとこにあるよ、中にも入れます

この辺りが後に『待ち・港』とよばれ、『まちみなと』、『牧港』と呼ばれるようになると。マチナトとも言うよね。

で、浦添城の敷地内には、城壁から少し離れた場所に立つ巨大な一枚岩があり、その岩が『為朝岩』、『ハナリジー』、『ワカリジー』とも呼ばれている。その岩の上から為朝が弓を放ったら牧港まで届いたなんて伝説もあります(^^; ともかく為朝は日本人離れした巨漢で弓の名手で手に負えない暴れ者だったらしいですな。

ワカリジー、沖縄戦の際には米軍からNeedle Rockと呼ばれていたらしい。

ワカリジー、沖縄戦の際には米軍からNeedle Rockと呼ばれていたらしい。

で、その為朝岩があるのが浦添城内、未だ発掘調査が進められており、立ち入り禁止区もままあります。為朝岩を横目に見れた場所も現在は立ち入り禁止になっていて、岩を見るには一旦下まで下りて墓地公園を進んで行く必要があります。

城壁の復元も進められており、なるほど遥か昔はここがお城だったんだな〜というイメージは沸きますね。

復元された城壁

復元された城壁

で、1429年に尚巴志によって三山統一が成し遂げられ、琉球王朝時代がスタートすると尚巴子は王都を首里とする。

そうなると浦添城は王家のファミリーが居城する城となり、特に尚寧王が王子の際に住んでいたということで有名。

尚寧は首里と浦添を結ぶ街道を整備、その名残がみられるが安波茶にある安波茶橋!

これがカッコいいのなんのって(´∀`)

今号の表紙にもなってます!

浦添工業近くにあるよ!

浦添工業近くにあるよ!

さらに浦添から普天間宮までの道路も整備、

その当時の石畳が浦添大公園内の歴史ゾーンで見る事のできる『当山の石畳』である。

当山の石畳

当山の石畳

アーチ型の当山の石橋もカッコいい!

アーチ型の当山の石橋もカッコいい!

そしてもちろん大公園内で忘れてならないのが、『浦添ようどれ』ですね〜!

そう、上に述べた『尚寧王』、そして『英祖王』が眠るお墓なんですね。

ここも先の大戦で大々的に破壊されたけど、復元されて現在は元の様子を窺い知る事ができる。

ようどれへの道

ようどれへの道

左手のお墓には尚寧王が、右手には英祖王が眠っていると言われている。

左手のお墓には尚寧王が、右手には英祖王が眠っていると言われている。

ようどれ館という資料館では、墓の内部の様子も復元されていて、雰囲気をも味わう事ができる。

お墓の内部を再現したレプリカ

お墓の内部を再現したレプリカ

さらにこの『ようどれ』の上部は、2016年に話題となった映画『ハクソーリッジ』の舞台であり、前田高地と言われた沖縄戦で最も激しい地上戦が行なわれた場所である。

実は浦添城が築城された時から、この高台、絶壁の地形、目の前を川が流れるというベストなロケーションにより、要塞としての機能をもしっかり持ち合わせた城であったのだった。

それ故に、第二次大戦では日本軍によって司令部である首里城を死守するための恰好の防衛ラインとされ、米軍を持って地獄と称される地上戦が行なわれることになったわけだ。

記録に寄ると、この一帯では浦添市民の半数以上が犠牲になったとのこと。

その映画の話題性もあってでしょうね、最近ではここを訪れる外国人がかなり増えている。おそらくは軍人と見られる人の方が多い。

この崖を目指して大群が向こうから攻め込んできたのか、、と思うとゾッとするよね。

この崖を目指して大群が向こうから攻め込んできたのか、、と思うとゾッとするよね。

この上に述べてきた全てが浦添大公園内にあって、公園自体もんのすごいデカいわけ(^^;

一日で全てを回りきれないくらい。でも全て繋がっているので、車を一旦どこかで駐車すればあとはもう冒険だね♪

330から見えるロングスライダーやその上部の展望台だけと思ってる人も多いかもしれないけど、ほんと下手に子供自由に遊ばせてたら迷子になるので気を付けて。

公園内には結構大きめの川も流れてるし、戦後から手つかずになってるガマなんかもたくさんあるので、遊ぶのはいいけどホント気を配ることには注意してください。

公園内の川、結構デカいし深い

公園内の川、結構デカいし深い

散策路にはガマもたくさんあるし、人気が無い場所も多いので子供連れは要注意!

散策路にはガマもたくさんあるし、人気が無い場所も多いので子供連れは要注意!

それと、その道路から見える遊具以外にも、川を隔てたグリーンゾーンという場所にも最近新しい遊具エリアが完成して、これから人気が高まる場所になると思いますよ♪

大型遊具から〜

大型遊具から〜

ベビー用の遊具エリアまで♪

ベビー用の遊具エリアまで♪

歴史的にも、そしてこれからの数年内で劇的に変化が起こるであろう浦添市♪

お勧めです!

次週まで浦添インビジブル続きます♪ 次週はもっと近代的な浦添インビジブルをお伝えしますね♪

お楽しみに〜!!

ワワワケンロー!!!

定番放送後の一枚は、初のリーゼント無しのボスイケムラです。。理由は、、ツイッターやFBをご覧下さい(^^;

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紙面手に入れるのが難しいという方は、こちらから電子版でも読めますよ♪


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E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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