Invisible RYUKYU 第133回目は『喜如嘉・芭蕉布にみる琉球』

Wandering Okinawa!

海のアオサ〜でアオサ汁〜(´∀`)♪ 

アーサー汁を飲む黒田アーサー!

ワワワワケンロー!!

ワタクシ、ここんとこは半沢直樹に似てるとの噂で持ち切りですが、以前は黒田アーサーに似ちょん!とも言われたロックンローラーです、ィヨロシク!

ということで!

今宵のインビジブルは、ウチナーンチュなら誰でも知ってて口ずさめるほどの名曲『芭蕉布』替え歌アカペラで始まりました〜♪

え〜、ほんとは『海の青さに〜空の青〜』ですね(´∀`)

そんな沖縄を代表する織物『芭蕉布』といえば!

そう、大宜味村、そして喜如嘉エリアですよね〜♪

人間国宝である平良敏子さんも未だ現役で織っておられるという工房、芭蕉布会館も喜如嘉にあります。

そんな大宜味村喜如嘉と芭蕉布に関して本日はお届けしていきたいと思います♪

まず、沖縄なら道端で見かけることもある『芭蕉』とよく似た植物ありますよね。

そう『バナ〜ナ〜』!はいお二人さん、しま・ばなーなー( ゚∀゚)

これ、ほんとよく似ていて、どっちがバナナでどっちが芭蕉なのか、素人にはわかりかねますね??

実はどっちも芭蕉科芭蕉属で、芭蕉布の原材料となるのは『糸芭蕉』という芭蕉、そしてバナナの方は実のなる芭蕉と書いて『実芭蕉』と言われているんです。

糸芭蕉は本土でも生息可能で観賞用植物として栽培されていたりもするけど、実芭蕉であるバナナは亜熱帯以南でないと育たないらしく本土では見かけないんだって。

あと一番見分けやすいのが、花の付け根の部分が紫なのがバナナ、黄色なのが芭蕉なんだって。

糸芭蕉にもバナナに似たような小さな実が生るんだけど、種が多いし苦くて食用には適さないらしい。それでも追熟させたりと手間をかければ食べられないこともないんだとか。

そんなこんなで糸芭蕉は英語で『Japanese Banana』と言うらしい。

でもせっかくだからこの糸芭蕉の実も、どうにか沖縄の特産物として売り出せたらいいのにね♪ 芭蕉と言う響きもいいじゃん♪ それこそ那覇の松尾あたりで生産加工して『松尾芭蕉』とかね( ゚∀゚)

あー松山行きたいや松山や、とかってね!

しにかんロック!

そう、実はその松尾芭蕉の『芭蕉』もこの芭蕉から来てるんだとか。彼の構えた小屋の前に芭蕉が植えられて、それが立派に育ち名物となったことからその小屋の名前が『芭蕉庵』となり、彼自身も松尾桃青から松尾芭蕉と名乗るようになったんだとか。

と、その糸芭蕉の繊維から作られる布が芭蕉布なんですが、琉球王朝時代から、その着心地の良さもあって士族たちをはじめ庶民にも重宝される着物であったわけ。

士族用と庶民用では織る工程などが違ってたらしいけど。

さらには当時から中国や日本への貢物としても、琉球を代表する重要なアイテムであった。

そんな芭蕉布なわけなので、とても貴重な上に王府や役人からの需要は生産量を遥かに越える、そんな中でも人々は芭蕉布を作るためにこれだけの気が遠くなるような大変な手作業を一つ一つこなし生産し続けてきたんだという工程を、喜如嘉の芭蕉布会館にて知って学ぶことができます。

そして今でも芭蕉布会館では当時からの伝統的な工程で、芭蕉布づくりをされてらっしゃるわけなんです。

ただ、事前に知っておいて欲しいのは『芭蕉布会館』という伝統工芸施設は、あくまでも芭蕉布を展示だとか販売することがメインな場所ではなく、伝統工芸の継承、共同作業所、そして後継者育成の施設であるということ。

なので、いざ訪れた際には、運が良ければ作業している場を見られるというくらいのスタンスで、あくまでも 一般の方にとっては伝統工芸の歴史・工程・継承を学ぶ施設だということを前提に訪れてください。 自分が以前訪れた時もちょっと緊張するほどの雰囲気だった。

昨日に県の緊急事態宣言が解除されて、会館の方もちょうど昨日から再開されています。

もちろん見学に行かれる際にはマスク着用は忘れずに、しっかりとコロナ対策を意識して訪れてください。

その会館で現在も現役で芭蕉布づくりをされていて、2000年に人間国宝の一人にも認定されたのが『平良敏子』さん。平良さんの大変なご尽力があって今の時代にも琉球の芭蕉布、そして喜如嘉の芭蕉布が途絶えることなく継承され続けることができているわけなんです。

平良さんはもとも大宜味村喜如嘉のご出身で、父親が昭和初期に喜如嘉の区長をお勤めにもなった平良真次さん。その平良真次さんは、喜如嘉の芭蕉布の品質向上と販路拡大に大きく貢献された方だったという。

敏子さんは戦時中に岡山の工場へ女子挺身隊として働きに出て、夜も昼もなくお国のためにと働いたそうです。

その後敗戦を機に民藝運動にも熱心だった工場の社長の勧めで紡績工場に就職し、織物を1から学ぶことになる。そして帰沖の際に社長から『沖縄でも沖縄の民藝織物を守り育てて欲しい』と言われた一言で、芭蕉布作りへと足を踏み入れることとなった。

当時は戦後間も無く、マラリヤ予防のためにアメリカ軍によって芭蕉はことごとく刈り取られていたらしいが、喜如嘉にはわずかに生え残りがあってそこから地道に芭蕉自体も育てあげていったそうです。

その後は地元喜如嘉の芭蕉布作りに人生をかけるごとくに取り組み、人を育て技術を育て、歴史の学びも踏まえながら後継者育成に励んでいるわけなんです。

ぜひね、琉球時代もさることながら戦前戦後をとっても沖縄を代表する伝統工芸『芭蕉布』

自分の目で見てその存在や歴史を感じることのできる大宜味村・喜如嘉の『芭蕉布会館』。

機会あれば訪れてみて、芭蕉布を歌いながら学んでみるのはいかがでしょうか。

久々スタジオ出演での放送後の一枚は!スタジオ復帰を祝して、

永ちゃんの名台詞『みんな元気かー!帰ってきたぞー!』

を3人でやったのと♪

番組終了後に、リスナーさんからの差し入れを頂いたのでみんなにお裾分けでーすと頂いたラムネを手に、半沢直樹風に!ということでポーズ♪

ん〜〜ワワワワケンロー!!!


The following two tabs change content below.
E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
タイトルとURLをコピーしました