Invisible RYUKYU 第92回目は『ワタシは愛のブリティッシュ難破船 in 北谷』

Wandering Okinawa!

急に冷え出したなロックンロール!!!

早くも今年残りのカウントダウンが始まりそうな時期に突入してきたね〜( ´¬`)

ということで、2019のインビジブルRYUKYUも残り数えるくらいになってきたけど、引き続きロックンロールでかっ飛ばしていくんでィヨロシク〜!

さて今宵のインビジブル、毎度のコーナー入りボス・アカペラは中森明菜の『難破船』!!まさかや!?

いや、それが後のキーワードということでの北谷シリーズ第三弾!

ちびっ子大好き!アラハビーチのあの遊具についてお伝えしたぜ〜♪

そう、ビーチに横たわる結構リアルな船の形をした特徴的なあの遊具!

実はあの船、単なる遊具にあらず、しっかりとした名前が付いているんですね〜。

その名も『インディアン・オーク号』

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へ〜、カッコいいじゃん!子供も好きそうな名前だね!

てな話じゃなく、実はその昔に実際に実在していた船で、この北谷の沖で座礁して沈んでしまった船なんですね〜。

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時は1840年、琉球が清(中国)と日本の間でどうにか独立国家としての体裁は維持していた時代。

その清がイギリスとね、アヘン(ケシ・麻薬)の貿易を発端にしてアヘン戦争が勃発するわけ、社会で習ったよね! この戦争で香港はイギリスに奪われてイギリス領となる。

その当時、アジアやヨーロッパでは難破船は決まって襲われ乗組員も殺されてしまうような時代。

しかし地元北谷の民は台風の荒波にも関わらず船から船員67名を助け出し、保護、なんとその後45日間もの間彼らに衣食住を与え手厚くもてなした。

さらには180トンほどの船を建造して彼らに与え、無事送り返したという話が残っている。

これは噂話でも盛られた話でもなく、実際に当時の船員らによって海軍記に記録され、今でも大英博物館に所蔵されているという話。

それを裏付けるかの如く、2000年の九州・沖縄サミットでは当時のイギリスのブレア首相が北谷町を表敬訪問しており、それをきっかけに今では北谷町とイギリスのディーン・マグナ・スクールとの間で毎年学生同士の国際交流も行われている。

と、少し話を戻して、ではなぜに琉球人はここまでの、どこの国の海賊かもしれぬ諸外国の船を助け出し、手厚くもてなしたのか。で、それ故イギリス人たちからは『琉球の人は良きサマリヤ人』のようだという例えをされるほどに称賛されたのだろうか。

また、この手の琉球人による外国難破船救助ストーリーは他にもいくつもある。

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そもそも琉球にはニライカナイ信仰があって、海の彼方からやってくるものには福があり、手厚く受け入れてもてなすという傾向はあったようだ。今でも島国ウチナーには外からの来訪者をもてなすというその精神はしっかり残っていると感じるよね。

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しかし時は清とイギリス両大国のアヘン戦争時代。

ということは、琉球は未だ清と冊封関係にある時代。

ということは、どうであれ清の敵国であるイギリスの肩を持つ、この難破船救助にしても公にはご法度であったと考えられる。

さらに当時は日本も鎖国時代、琉球に派遣されていた薩摩の役人たちも目を光らせている時代。

もちろんそもそも島国の人間として困った人を助ける心はあったとは思う。

しかし、その時代背景を含めて考えてみると、心のどこかにこの漂流事件をなるべくおおごとにしたくない、目立たせたく無い、とにかく琉球を出て行ってもらえる状態になるまでは保護するし不便もさせず衣食住も与えるので、頼むから大人しくしておいてくれ。そしてなるべく早く出て行ってくれ。っていう気持ちがあったんじゃないのかと。

当時はもちろん久米村の人間もいるわけだし、薩摩の人間もいるわけだし、彼らの耳にも事態の状況は少なからず入ってもいたはず。

しかし、そこにこそウチナー特有の横のネットワークというか、ことを荒立てずにうまく強かに乗り越えようという精神が彼らにも伝染していたのではないかとも思える。その絶妙な三者間のバランス体制がうまく機能していたので、彼らも見て見ぬ振り、聞かぬふりをして乗り越えたのではないかと。

琉球人のそのような手厚いもてなしに対して金銭を与えようとしても決して受け取ろうとしなかったというところも、もしも受け取ってしまった場合には清以外の国との国交を結んだとして見られてしまうと一大事だという思いがあったのでは。

そしてそういった行動こそが、逆に西洋人にとってはなんとも信じられないほどにホスピタリティに溢れ過ぎた南国の楽園なんだ!というイメージを作り上げ、後にどんどん宣教師などを渡すことに繋がったのかも。

もちろん、そもそものニライカナイ信仰という民族の奥底にあるホスピタリティがあってこその行動、そして評価に繋がっていることは間違いないと思う。無いとできないと思うし。

ちなみに、琉球歴史ドラマ『テンペスト』にて孫寧温が解決した異国難破船事件は、このインディアン・オーク号がモデルとなっているらしい。

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というように、あの北谷のアラハビーチにある難破船の模型遊具には、こんなにロマンの溢れたストーリーが詰められていたんですね〜♪

ぜひ、次回アラハのインディアン・オーク号遊具で遊ぶ際には、船の上に立って、中森明菜の難破船を熱唱してみてください(´∀`)

放送後の一枚は、3人揃って言わんでね〜のポーズ(´∀`)

EJusyn7UYAErgfy

ワワワワケンロー!!!


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E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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