あい!こんな飛び飛びでネタ発信してるからいろいろ抜けてるやさに😅
なるべく一まとまりで地域とかネタとかを順次あげていければと思います。
宜野湾の偉人、この人抜きには語れないわけで、ただ不明な部分も未だ多く、それだけに別枠『ボスイケ㊙︎琉球列伝シリーズ』でとんでも持論を今後展開するつもりなので、ギノワンダラーは史実として軽く触れておくくらいにしておきます😁
ただ外すわけにはいかんからね。
それが、やはりスーパージノーンチュ『察度(さっと)』ですね!
浦添三代王統祭りの一人としても扱われていますが、ノンノンノン!我らが宜野湾が察度をもっと押し出さねば!(察度が生きてた時代は確かに真志喜も大謝名も浦添の一部、というのは目を瞑ろう😪)
察度は琉球で初めて公に国外との交易をスタートさせたスーパーロックな大偉人です。
彼の活躍無しには、その後の大交易国家『琉球』の存在も『沖縄』の存在すら無かったのかもしれません。それくらいその後の島国の運命を握った人物だったのです。
そんな彼だからこそ!?出生に関してもスーパーロックな逸話が残されています。
なんと、察度の母は『天女』なんです😁
いわゆる『はごろも伝説』ですね!
天女と真志喜の百姓『奥間大親』が出会う場所が真志喜の『森の川』であり、二人の間に生まれた子が『察度』だと伝わっているんです。
しかし察度を産んだ天女は、その後『はごろも』を見つけると子供を置いて天に帰っていく。
察度は大きくなると大謝名に居を構え(黄金宮)、なぜか勝連按司の娘を娶ることができ、なぜか家の前にゴロゴロ転がっていた金を大和商船に売って鉄を仕入れ、農具を作って百姓に配り人望を集め按司に上り詰めるという話。
もちろん突っ込みどころも満載ですが😅
ひとまず今回は、古くから語り継がれる伝承をお伝えします。
今実際に我々が目にすることができる『森の川』は、1725年に建造された石積みを忠実に再現修復した『森の川』です。
戦争で破壊され、戦後はコンクリートの壁になったり泉内にポンプ室が置かれたりと、往時の姿は見られなくなってたのを、これまたあの鎌倉芳太郎大先生の戦前に撮られた写真とスケッチとを基にして大復元!
今見ることができる、こんなに素晴らしい姿として蘇ったのです。
水が流れている樋の後ろ側に拝所があり、そちらで湧いた水が暗渠を通って樋口へ流れてきています。ぜひ後ろの拝所も見学してみてください。
ん?じゃー、もともと誰がこの石積みを造ったのか? 天女と奥間大親が出会った時代は1300年代。それから400年ほど経って石積みが建造されている。
ここにも面白い話があるのでそれは次回に!
察度誕生話があまりに簡潔ですいませーん😅
実はあのパラパラ漫画で有名な『鉄拳』が『はごろも伝説』を発信しています。興味のある方はこちらを😁
宜野湾市森の川:宜野湾市指定名勝 宜野湾市真志喜1-24-1
E.KEMURA
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