連休初日の朝イチは、
浦添城跡の発掘調査現場見学会へ👓
いや〜圧巻だった🏯!
浦添グスクには何度となく足を運んでるけど、やっぱ戦争の影響でグスクだった頃の遺構はほぼ残ってないんだな〜と思ってたけど!
普段立ち入れない調査現場ではこんなにも石積みが残ってたのか! しかもその石積みのサイズからは、容易くその壮大なグスク規模も想像できる。やっぱ浦添グスクも当時は相当重要なポジションにあったグスクだったんだなと。

しかも、切石の形、大きさ、特徴などなども浦添特有らしく、今後の調査でまだまだ新たな発見がありそうなんだって😁
主要グスクでしか発見されていない「刻印石」も発見されたと。

こりゃ毎日ワクワクと向き合って仕事してるんだろうな〜と♫
石積みの特徴から、おおよそ14世紀後半ごろの遺構と考えられるとのことで、
そうなると、やはり察度王の頃であり、明へ初朝貢した時期に重なってくる。

となるとその頃に、高い技術を持った石工が渡来してきているということも十分付合する。
そして察度は首里へ遷都していくのではないかと。
浦添グスクも完全復元を目指しているということで、完成するとどれだけ立派なグスク跡が目の前に現れるんだろうと、ほんとワクワクすっぞ!
年代論争が尽きない、浦添ようどれで発見された「癸酉」年銘が刻まれた高麗瓦の現物も目にすることができた😁

「癸酉年」という刻銘から、この瓦は1273年か1333年に敷かれたものだろうと考えられ、1273年であれば「ようどれ」に葬られた「英祖王」の年代とピッタリ合う。
しかし考古学の観点から、遺構の年代を調査すると1270年代には浦添グスクがグスクとして機能していたとは考えられないとの見方もあるようで(まさに今回の石積み遺構が14世紀後半という調査結果)、そもそもようどれが英祖王の墓なのかも怪しいとさえ見る見方もあるようだ。
それから石積みの中からは新たに沖縄戦時の砲弾の一部が見つかったりもしているよう。

戦争さえなければ、どれだけ存在感を示すグスクがそこにあったのだろうか。
浦添グスクからは、先月素屋根の中から姿を現した「首里城」の姿もはっきりと見えた。

遥か昔も、この景色は同じなんだな〜と感慨深い。
いや〜とてもいい見学をさせてもらいました!
今後の調査にも期待!
ワワワワワケンロー!
E.KEMURA
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