先週末は、思い切り琉球ヒストリーに没頭できた休日となりました♪
まず金曜日には、県立博物館主催で田名館長による講演会を聴きに行ってきた。
タイトルは『バンコク津梁の鐘の時代』
15世紀、尚泰久王によって鋳造されたとされる琉球史上最も有名な鐘であり、琉球の大偉業とプライドが詰め込まれた鐘ですね。
今でもオリジナルの鐘が県立博物館に展示されています。
そして今年の沖縄本土復帰50周年に合わせ、5月から6月までは東京の国立博物館、7月から9月までは九州国立博物館にて展示されることになりました。
その期間は鐘が不在となるので、興味を持った方はぜひ鐘が出張する前に見学にしに行きましょう♪
尚泰久といえば、あの有名な尚家身内の王位継承争い『志魯・布理の乱』の後に、棚からぼたもち的に王位を継承した人物ですね。
しかし尚泰久が、その後の琉球史においてなかなかのキーパーソンとなっていくわけです。
上記の身内の乱に加え、護佐丸・阿麻和利の乱も尚泰久の時代に起こっている。
後に第二尚氏を興す金丸は、この尚泰久に見出され次第に王府中枢へ参画し始める。
尚泰久王の薨去後、長男ではない尚徳が王位を継ぎ世が乱れ?そこから金丸の琉球史最大のクーデターへと繋がっていく。
そんな尚泰久、このような乱世にあってなのか、仏教に帰依しお寺と鐘をいくつも造っているわけです。なんと在位中に19もの鐘を造らせたことが確認できているという。
その鐘の中の一つが万国津梁の鐘であり、その碑文からかつて琉球が大交易王国だった内容を読み取れるわけなんですね。
そして尚泰久王の神号は『大世主(おおよのぬし)』
大世通宝というお金を流通させた王様であり、また国宝『千代金丸』の柄の部分にも『大世』の字が見られ尚泰久王と何かしらの関わりがあったのだろうと見られている。
尚泰久は尚巴志の第五男というのが通説ではあるが、実は尚金福の子であった説があったり、そもそも志魯・布理の乱は存在せず、正殿が焼け落ちた事実も無かったのではないかという説も根強い。
このように、未だ解き明かすことが出来ない歴史に覆われている琉球史だからこそロマンがあるし、自分なりの壮大な仮説を立てることができるのも魅力的な一面だと思う。
田名館長の切り込んだ説も面白かったし、もっともっと聴きたかったな〜!
復帰50年、琉球史の魅力も含めて沖縄発信にますます力を入れていこう!
E.KEMURA
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