Invisible RYUKYU 第11回目!コザの深い歴史、しにかん面白い!

OkinaWanderer

先日のInvisible RYUKYU も『コザ』にスポットを当ててお届けしました♪

お聞き逃しの方は是非 radikoでコチラからどうぞ!

先週の『コザ隠れスポット』とは少し趣向を変えて、今回はコザの歴史について(´∀`)

もう伝えたいこと多すぎて、またもやネタの途中でタイムオーバーとなってしまい( ̄Д ̄;

ラジオでは伝えきれなかった部分はブログでフォローアップしようか、いや、今回のネタはトータルでラジオで伝えきらんとスッキリしない!

ということで、放送後にディレクターに直談判しまして、なななんと、初の3週連チャン同一ネタで次週も『コザネタ』いっちゃいまーす!!ワケンロー!!

そういうことなので、本日のブログでも全てを出し切るではなく昨日ネタのフォローアップをチラホラと♪

まず!

沖縄市民なら、知っている人もそこそこはいるとは思うけど、中部のやっさんでも知らなかったから知らない人も多いんじゃないかな?

『コザ』の由来

なんでコザっていうのか? どこからコザという名前に結びついたのか。

これが面白くてね〜(‘ ∇‘ )

まず、コザ市という市が一時ではあったが実在していたのは確かです。今は存在しないけど、未だに胡屋近辺はコザと言い表されることがすごく多い。

コザという名が付く企業や支店、学校も未だに多いのもあるしね。

そのコザという土地はもともと越来村というエリアであった。

越来といえば、この頃はウチナーンチュなら『護得久栄昇先生』を真っ先に思い浮かべるでしょうね♪

しかし先生の3つ字の護得久ではなく2つ字の越来ね。

いまでももちろん越来というエリアはあるんだけど、もともとはなかなか由緒ある場所だったんです。

琉球王朝時代には、越来グスクという王家直轄の極めて需要な城が存在し、そこはロイヤルファミリーの中でも限られた有力者のみが城主となるような格式高いグスクであった。

後に歴代でも偉大な王様の一人と言われる『尚泰久』や『尚宣威』も住んでいたという格式高いお城なんです。

しかし今はそんな立派なお城があったというような雰囲気は無く、城跡公園として存在はしているんだけど存在感は薄いんです。

それもそのはず、この越来城、時の大戦により大きく破壊されたということと、大戦後にもアメリカ軍による地域のインフラ整備などの際に、石積みなどが削り取られ道路などに使われたとも言われているんです。

今でも小高い丘の上にひっそりと佇んでいるので、機会あれば訪れてみてください。

越来グスク跡からの眺め

越来グスク跡からの眺め

そして、『コザ』という地名にはこの大戦が大きく関与してくるんです。

時は沖縄戦直前の1944、今の嘉手納基地に当たる場所には実は、アメリカ軍の攻撃に備えて日本軍の飛行場が作られていた。

しかしアメリカ軍の上陸後にあっという間に占領され、すぐさまアメリカ軍の飛行基地として使われるようになる。

戦後の嘉手納飛行場(写真:沖縄公文書館)

戦後の嘉手納飛行場(写真:沖縄公文書館)

米軍は沖縄本島上陸後すぐに、中飛行場近くの越来エリア嘉間良に、そして胡屋、安慶田、室川などに広げる形で難民収容所を設置。さらには美里村の古謝あたりまで軍施設が広がっていたという。

で、遡ること戦時前、米軍の所有する戦略地図にはすでにこのエリアに『Koza』という地名が振られていた。

諸説ありはするが、その戦略地図を作成する際に米国在の日系人・沖縄県系人などから聞き取りを行ない、その際に発音の聞き違いや書き違いで『Goya(胡屋)』もしくは『Koja(古謝)』と書くべきところを『Koza』と書き間違えた、という説がかなり有力と言われているわけ。

そして古謝に設置した軍部施設をスモールコザと呼び、その大規模な難民収容所を『ビッグコザ』と呼ぶようになった。

コレがコザの始まりなんですな〜! ウチナーンチュ難民たちもその当時は、『コザ』って一体ヌーやが??って思ってたのかも。

んでその後、地方行政緊急措置要綱によりその一帯が『胡差(コザ)市』となる。(1945)

難民収容所の解放後、人々もそれぞれの故郷に帰ったりで人口の分散が起こり一旦『越来村』という村名に戻る。(1946)

しかしその10年後に村民の意向で越来村が『コザ村』となり(1956)、同年『コザ市』に昇格。

ここに世にも珍しいカタカナの地名『コザ市』が誕生するわけとなるんです。

そこから18年もの間、この地はひょんな掛け違えから生まれた『コザ』という地名の街として、基地の街、音楽の街、異文化の入り交じる街として、ものすごい繁栄を見せることになるんですね〜!

沖縄とは思えない光景ですな!(写真:沖縄公文書館)

沖縄とは思えない光景ですな!(写真:沖縄公文書館)

1959 キャデラックもバンバン走っていた!ロックンロール!!(写真:沖縄公文書館)

1959 キャデラックもバンバン走っていた!ロックンロール!!(写真:沖縄公文書館)

コザ市という看板も見える(写真:沖縄公文書館)

コザ市という看板も見える(写真:沖縄公文書館)

日本で一番初めに出来たと言われているプラザハウスショッピングセンター!変わらぬ姿に、あ〜確かに!と思えますな(写真:沖縄公文書館)

日本で一番初めに出来たと言われているプラザハウスショッピングセンター!今も変わらぬ姿に、あ〜確かに!と思えますな(写真:沖縄公文書館)

その後18年の時を経て、1974年にお隣の美里村と合併し『沖縄市』が誕生し今に至る。

しかし、やはりその異色性、激動の時代、酸いも甘いも見て来た『コザ』は今でも強烈なインパクトを放ち続け、沖縄市と言うよりも『コザ』と伝え続ける人々が多い、ということなんです。

もうドラマもドラマで映画じゃん!?

アメリカと時代を供にしてきた街とも言えますわな。なので今でもあの雰囲気! ロックンロール!!

もうロックンロールという言葉がピッタリすぎる街なんです♪

と、今日はこのあたりまでにしてと、次週はコザがどう激動と供に栄華を極めてきたかというところをお伝えしようと思います(´∀`)

お楽しみにワワワケンロー!!!

コザということでハードロックのお決まりポーズ!ワケンロー!

コザということでハードロックのお決まりポーズ!ワケンロー!


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E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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