はいさいロックンロール!!!
今日もやり切って参りました『Invisible RYUKYU』!!
聴いてもらえましたか〜(´∀`)
まだまだ続くぜ北谷町!ってことで、今夜も北谷インビジブルお届けしました!
やはり北谷と言えば何と言っても『美浜』&『アメリカンビレッジ』ですよね♪
てなところから、恒例のボス・オープニングアカペラソングは、『サーカス』の代表曲『Feeling America』を毎度懲りずにハズしながら歌うという大暴挙!
今尚進化を遂げる美浜エリアなんですが、あまりに急激に発展し過ぎていつの間にか街が出来上がってた感がないですか??
そこで、ここらあたりで少し美浜のバックグラウンドについてもお届けしてみたいと思います(´∀`)
ラジを聞いた後にて、これまでとは違った角度の美浜を感じてもらえればと思います♪
まず、前回にもお伝えしてますが北谷町は戦後に嘉手納が分村して、今のような小さい行政区となりました。
その土地の大きさランキング、県内41市町村の中の第35位! やはり小さいんですね。
そんな中において尚米軍基地が未だ町の面積の半分以上を占めている状況。
戦後も散在する基地の存在によって様々な弊害を被っていた最中、昭和56年にようやく町民の念願であったハンビー基地とメイモスカラー射撃場が返還され、町としてもようやく他の地域と肩を並べて経済政策を考え出せる所まで来た。
これまでは顔のない街とも言われ、特徴的なものも無ければ商業地区も無い。
そこで返還された海岸沿いという立地を思う存分に生かした街づくりをしていこうという流れとなった。
まずの始めにハンビー返還エリアを商業地区として盛り上げていく形で、大型ショッピングセンターがエリア中央部に整備される(平成2年)、アラハ公園がオープン、それをきっかけにアラハビーチの前の通りではファッションや飲食、専門店のテナントが次々にオープン、そしてハンビーナイトマーケットなどで若者を中心にじゃんじゃか火がつき始めた。
同時に、ハンビーエリアの効率的土地利用、住宅用地、運動公園整備などを目的として、縦に長く伸びるメイモスカラー跡地から海にかけて大規模な埋め立てを行う。
それが今の美浜エリア。
昭和63年竣工
ハンビーエリアだけでは終わらせない、それだけでは永続的な経済政策にはならない、それに続く商業地開発をすでに構想していたんだよね。
自分たち世代はハンビーエリアができただけでも、すごくオシャレな街ができたな〜!これからの若者の街か!と思ったもんだけどね(^^;
しかし、実はここに思いも寄らない時代の悪戯があったらしいんだな。
時は平成に入ってすぐ、バブル絶頂期ですね!
当時埋め立て事業にかかった費用が50億ほどだったという。
当初はその費用を企業誘致によって賄う予定で、企業誘致のあり方としても景気よく1デベロッパーに全てを一任しプロのノウハウによる都市型リゾートを目指していたそう。
しかしまさかのバブルが弾け、その1デベロッパーリゾート構想自体が頓挫してしまう事態となった。
そこで、1デベロッパー構想から今度は町が主体となって複数社との土地売買契約締結を余儀無くされる。
となると、ここで大きな懸念材料が生まれる。複数の企業が各々で土地開発を行うと、コンセプトもバラバラで利害関係の発生や景観問題、リゾートタウンとしてのまとまりが失われてしまうかもしれないと。
そこで誘致企業に理解を求める街づくりのテーマ、コンセプトが急務となり、様々な独自調査に乗り出したのだ。
当時ウチナーンチュの大半の娯楽はドライブが主であり、県内に点在しているリゾート施設に行くことなどはほぼ皆無であった。
これは当時のリゾート施設が県民向けではなく県外からの観光客向けで、サービス料や客単価なども割高であったことが原因だろうと。
となると、それまでには無かった県民が気軽に遊べるような都市型リゾート空間、沖縄とアメリカの文化を融合したような特色ある街づくりをすれば県民は喜んで集まってくれるのではないかと。
立地的にも県の大動脈、58号線に面しているし、那覇からも沖縄市からも北部からも気軽に遊びに来れるちょうどいい中間地点でもある!
『安くて』、『近くて』、『楽しみのある』街、そして日帰りでリゾートできるという『美浜タウンリゾート・アメリカンビレッジ』構想を立ち上げ、様々な条例まで作って街づくり計画していくことになったんだと。
まずは埋め立て地に北谷運動公園の整備、野球場、陸上競技場、サンセットビーチなどが整備されていく。
その隣の広大な埋め立て敷地にいよいよ巨大商業エリア、アメリカのサンディエゴをモデルにしたという『美浜タウンリゾート・アメリカンビレッジ』が誕生することになったのだ!
今でこそ県内を代表する観光リゾート地で、米軍跡地利用大成功例だと思うけど、その事件をきっかけにもしかしたら全然違う街づくりになっていたかもしれないし、逆に1デベロッパーでいけてたとしても今のような活況があったかどうか定かじゃない。
と考えると、その時代背景やバブル崩壊という事件もある意味では良かったのかもしれないよね。
埋立地だから出来た部分もあると思うけど、1500台を収容できる無料駐車場の設置も当時は斬新的だった。ここにも沖縄県民の行動パターン、車社会の特性を先読みした構想があったんだよね。ドライブついでに北谷寄る? 駐車場もあるしね♪ って。
ただ、この無料駐車場の運営にも当時としては目新しい手法が取り入れらていて、管理費の一部は入居している企業によって負担してもらうという形になっているという。このあたりも知った以上、今後は多少なりとも入居している企業に感謝しながらショッピングや観光もしていければと思うよね(^^)
ということで、毎度駆け足でお届けした『北谷・美浜アメリカンビレッジ』インビジブルでした!
放送後の一枚は、、特にポーズを何も思い付かず、、、
英会話レッスンで取り上げた、『国体道路は23号線だよ』という内容から、、
23、23、、23、、、マイケル・ジョーダン!!!
ということで、エアージョーダンのポーズを3人で(^^;
言わんと分からんくらいの出来だな。。
ワワワワケンロー!!!!
E.KEMURA
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