ハイサイロックンロール!!!
まだ半袖でぜんぜんいけます、ウチナーロックンロール!!
さて、今宵もやりきってまいりました!
エフエム沖縄ShareTIME内、Invisible RYUKYU第41回目の放送!!
聞き逃したと言う方はぜひ!ラジコにてどうぞ♪
今夜は、ちょいとThanksgiving Day についてのビジネスネタも交えながら(たまにはこういうことも伝えないとね^^; ブログでは昨日書いてるので興味のある方はぜひコチラをチェック)
先週の放送に引き続き、世界文化遺産リストにも登録されている沖縄の伝統芸能『組踊』についてお届けしました(´∀`)
ただ、先週である程度の『組踊』についてお届けしたので、今夜は組踊の代表作も代表作、
組踊の創始者である玉城朝薫の作品、
『玉城朝薫の5番』と呼ばれる演目についてちょっと違った角度からお伝えしてみました♪
玉城朝薫の5番と言えば
・執心鐘入(しゅうしんかねいり)
・二童敵討(にどうてきうち)
・女物狂(おんなものぐるい)
・孝行の巻(こうこうのまき)
・銘苅子(めかるしー)
の5つになりますね。
これらのストーリーを、朝薫は琉球の古事を元にしながら日本本土の能や狂言、歌舞伎の要素も取り入れながら完成させていくわけです。
なので、全てのストーリーに置いて何かしら昔話に似通ったストーリーがあったり、とてもシンプルで分かりやすい内容になっているわけなんです。
さらに面白いのが、『女物狂』を除けば全てのストーリーに実在する舞台があり、さらには登場人物のモデルがいたりと、そのバックグラウンドを知った上で見ると、もしくは組踊を見た後にそのバックグラウンドであるモデル地を訪れると、そのストーリーたちがより身近に感じられるわけなんですよ♪
ということで今回は、そのストーリーたちをさらに身近に感じてもらい、実際に足を運んでみたくなるような、足を運んで何かを感じてもらえるようにという意味も込めてお届けしました♪
まず、『執心鐘入』
こちらは個人的に見方によっては昔話の『三枚のお札』によく似たストーリーかな〜なんてことも思うんです。
中城若松という中城に住む青年は、尚円王の三男とも言われており、そのあまりの美男子ぶりに若い女性にものすごく人気があった。
奉公のために中城と首里を行き来する際、夜も更けて来たのでとある民家へ一晩泊まらせてもらえないかを尋ねる。しかしその家にはたまたまそのとき若い娘ひとりしかおらず、親が不在なのでと一旦は断る。
しかしその青年が中城若松だと知ると、態度を一変家に迎え入れる。さらに想いのたけを伝え、朝までお話をしようとしつこく誘う。あまりのしつこさに身の危険を感じた若松は家を後にする。
しかし娘は後を追いかけ、どこまでも着いてくる。
若松は道中にあったお寺に駆け込み、坊主たちに事情を伝え鐘の中にかくまってもらう。
それでも追いかけてきた娘は、あまりの想いの強さ故鬼へと変身してしまう。
そこで遂には坊主たちに法力を持って退治されてしまう。
というストーリーなのだが、日本昔話にも通づるストーリーだよね♪
で、この若松というのはホントに実在した青年のようで、中城には若松公園という公園があり、若松のお墓もある。さらに公園入り口には若松と娘の銅像も建てられている。
また、若松が逃げ込んだお寺というのが今の末吉公園内に存在していた『万寿寺(後の遍照寺)』と言われていて、そのお寺跡も残っている。
こういったストーリーを知った上で現地を訪れると、公園1つ1つの見方さえも違ってくるよね♪
他にも『孝行の巻』という、幼い子供が大蛇から村を助ける為に、自ら身を犠牲にして大蛇の生贄となるストーリーは嘉手納の『屋良ムルチ』がモデル地。
『二童敵討』は阿麻和利に殺された『護佐丸』の子供二人が、護佐丸の仇討ちということで勝連城へ子供ならではの戦略で攻め込んでいくストーリー。
『銘苅子』は那覇は銘苅の羽衣伝説なんですが、ストーリーは大山の森川公園に伝わる天女のストーリーそのままですね♪
で、『女物狂』に関しては、勉強不足かもしれないけど元のストーリーとモデル地は把握できてなくって、でも大切な子供を人さらいに攫われた母親の心情を物の見事に表現しているという傑作なんですね〜。
といった玉城朝薫の組踊5番なわけで、ぜひ関連づけて観賞&現地へも足を運んでみてはいかがでしょうか♪
執心鐘入のモデルとなった末吉公園には、玉城朝薫生誕300年を祝って(1985年)『劇聖王玉城朝薫生誕三百年記念碑』というレリーフが建てられています。
このレリーフには、朝薫の5番全ての演目の1カットが納められていて、それもなかなかの見所になっています(´∀`)
見てみたいけどちょっと首里の公園内までは、という方にはコチラを! そのレリーフのレプリカが国立劇場おきなわの一階に展示されています♪
さらにこちらでは5番それぞれの演目のあらすじなども書かれているので、より詳しく知る事もできますよ♪
玉城朝薫は首里は儀保の士族階級で生まれるも、両親は他界や別離で幼くして跡取りとなる。
その後首里王府に仕え、メキメキと頭角を表し20歳では薩摩上りに同行、江戸上りも合わせると7回も王府の役人として上国をしている。
その際に本土の芸能も見て回り、それと琉球古事を組み合わせて組踊を完成させていくという流れなんですね。
彼の功績は踊り奉行としての活躍のみならず、那覇港の浚渫脇奉行、雑貨店の経営、米を備蓄するアイデアなどでも王府から褒美を賜っていたとのこと。根っからのアイデアマンだったんでしょうな〜(´∀`)
その後44歳で親方になり、50歳で死去。
朝薫のお墓は、浦添の新しく通った前田トンネルの上部に位置し、階段で上って見学することが可能。
沖縄を代表する、いや今では世界を代表する伝統芸能となった『組踊』!
その背景にある興味深いストーリーも含めて触れてみてはいかがでしょう♪
放送後毎度の一枚は、執心鐘入の再現(´∀`) ま、まきえさん、鬼役スミマセン( ̄▽ ̄;) ワタシとやっさんは坊主役です。。
ワワワケンロー!!!!
E.KEMURA
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