土佐〜の〜高知の〜はりま〜や〜橋で( ̄▽ ̄)♪
ということで、今日のInvisibleは、ペギー葉山の『南国土佐を後にして』を唄いだす!という荒行で始めさせて頂きました!
今の時代はラジコでも遡って聞くことができますので、、まさかや!?と思われる方はこちらからどうぞ(^^;
放送でもお伝えしましたが、ワタクシ E.KEMURAは大学の学生時代を高知県にて過ごさせてもらい、学生時代〜♪ by これもペギー葉山! 中学生時代に学生手帳に歌詞載ってて音楽の時間に歌ってた〜!時代感じる〜ワケンロー!!
ということで、もう高知はワタシの第二の故郷どころか高知を経由した人生でなければ今の自分では無かったと断言出来るほどの存在なわけで。(そのへんは別ネタで詳しく書きますね)
いい動画発見したのでここで紹介! ペギー葉山の『学生時代〜南国土佐を後にして』メドレー!
そんなこんなで、まさかの高知が輩出した偉人『ジョン万次郎』が琉球でつながり、このタイミングでジョン万次郎の銅像が大度に建立され、その関係性をラジオでお伝えできるなんて思いもしてなかったわけで。
そりゃ〜E.KEMURA、一発唄わないわけにはいられない気持ちも理解出来るでしょ!?
そしてもちろん、ラジオの尺だけではその偉大さ、関係性の深さを全てお伝えしきるのことは無理なので、こちらのブログで追っかけ発信していきたいと思います。
まず、ジョン万次郎こと『中浜万次郎』、(名字の『中浜』はだいぶ後に功績を認められてから授かったものだという)は高知県土佐清水の出身。貧しい漁師の家に生まれ幼くして父を亡くし、幼いときから漁の手伝いに出て家計を助けていた。
14歳になったある日、いつものように仲間5人と漁に出たが嵐に遭い漂流。流れ着いたのが土佐清水から760kmも離れた鳥島と言う無人島。そこで鳥や海藻で食を繋ぎながら143日間を生き延びる。その後たまたま島に上陸したアメリカの捕鯨船『ジョン・ハラウンド号』の乗組員によって発見され保護。なんとか一命を取り留める。
しかしちょうどこの頃、日本は江戸時代の鎖国真っただ中。遭難した日本人を国に返してあげたいも、異国の船が近隣に近づこうものなら攻撃されてしまう危険性があり、一旦ハワイに連れ帰る。
そこで5人のうち4人はハワイで下船するも、万次郎の強い要望により万次郎だけはアメリカ本国までそのまま船に乗って行くことに。この時の船長がホイットフィールドという理解のある船長であったことも、その後の万次郎の将来に大きな影響を与えることになる。万次郎は船の上で初めて世界地図を目にして世界の広さ、そして日本の小ささの現実を思い知ることとなる。
ホイットフィールドは誠実で働き者の万次郎を実の子供のように可愛がり、ジョン・ハラウンド号から名前を取り万次郎に『ジョンマン』と名付け養子として迎え入れている。
さらにアメリカ本国では学校教育も受けさせ、英語、数学、測量、航海術、造船技術などを多岐に渡って学び、校内で首席を取るほどの優秀な子に育つ。
卒業後は捕鯨船員として7つの海を渡り、副船長にまで上り詰める。
がしかし、日本への帰国の想いも捨てきれず、ついには帰国を決意。漂流から10年経ったころのことだった。
ここでまたスゴい。万次郎はちょうどそのころにアメリカがゴールドラッシュに沸いていたこともあり、サンフランシスコへ渡って金を掘る! $600を稼ぎだし、小舟アドベンチャラー号を購入し日本へ帰る為に中国行きの商船へ乗船。ハワイで元の漁師仲間2人と合流して帰国を図るもやはり日本は鎖国状態。
そこで万次郎は琉球経由で日本へ帰国することを考える。その頃の琉球はまだ琉球王国として1つの国として稼動しており、中国、日本を中心とした貿易の中継地点として需要な役割を果たしていた。そういった国際貿易の盛んな地に上陸すればもしかして何とかなるんじゃないかと考える。
で、最終的な考案の末上陸したのが糸満の大度であったというわけ。
ピリピリしている鎖国状態の日本へ直接向かうのではなく、琉球で1クッション入れてもらって帰国する、という賢さがここでもしっかりと働いている。
実際琉球では取り調べを受け、半年もの間幽閉を受けるも、その幽閉先は豊見城翁長の高安家という民家で村人にも温かく迎え入れられ、綱曳きなどに参加するなどの交流も持っていたとのこと。
その高安家は今でもジョン万次郎記念碑とともに残っている。
この頃の万次郎は長いアメリカ生活ですでに日本語もおぼつかなくなっており、英語の喋れる牧志朝忠が取り調べを行なう事になる。そこで、牧志朝忠は万次郎がアメリカから持ち帰った『ジョージ・ワシントン伝記』に非常に興味を持ち、アメリカの民主主義制度や人権の尊重など西洋の文化を大きく学ぶことになる。それが後々の琉球の行政改革にも関わっていくし、ペリーが来沖した際には牧志のそのアメリカに対する知識にすごく驚かされ、国を掛けたかけひきにも大きく貢献したという。
その後万次郎は薩摩、長崎と取り調べを受けながら移動し、最終的に土佐に戻る。
土佐でも引き続き取り調べを受けるのだが、ここにまた歴史のキーポイントが!
取り調べを任されたのが『河田小龍』という画家。取り調べを行いながらも万次郎と衣食住を共にし、万次郎が得てきたアメリカでの経験を聞いてはものすごい感銘を受け、漂巽紀略(ひょうそんきりゃく)という書物を執筆、藩に献上。その内容が次第に人気を博し江戸にまで広まり、後に万次郎が幕府直々に命を受けて黒船来航に対する直参として呼ばれることにもなる。
土佐では異例の出世を果たし士分を与えられ、ここで初めて『中浜』という名字を名乗ることを許される。
土佐の藩校で教授として学問を教えていた生徒の中には、岩崎弥太郎、後藤象二郎がいて、その西洋文化の教えの影響が後の坂本龍馬、中江兆民、板垣退助、そして明治維新へとつながっていくことになると。
日米修好通商条約の使節団の一人としてアメリカに渡った際には、勝海舟、福沢諭吉も同じ船内にいて、福沢諭吉へも大きな影響を与えアメリカではウェブスター辞典を読むことを強く進める。それが後のあの!『学問のすゝめ』の基礎になったともいうから、万次郎さん、アンタもうどれだけの影響力!?という感じよね!
これだけを見てみても、もしもジョン万次郎が存在していなかったら、万次郎が漂流していなかったら、アメリカへ旅すること無かったら!? 全ての歴史が、日本だけではなく世界の歴史が変わっていたのかもしれない。とも全然考えられる。
さらにその先には都市伝説的な話にも捉えられがちになるけど、世界情勢さえも変えたかもしれないという万次郎伝説もある。
なんとアメリカの第32代大統領、『フランクリン・ルーズベルト』が幼少期から万次郎に強い憧れを持っていて、後年に万次郎の家族に宛てて手紙を送ったという事実がある(これはホント)。あの、歴代米大統領の中でも人気が高く、ニューディール政策でアメリカを大恐慌から救ったというあの大統領である。
というのも、万次郎たちを漂流から救い出し、万次郎を養子として育てたホットフィールド船長はルーズベルトの祖父『ワレン・デラノ』の船仲間であり大親友であったと。そこで、ルーズベルト少年は幼少期より祖父ワレンから万次郎の逸話を良く聞かされており、万次郎に対して高度の尊敬の念を抱いていた。言わばヒーローのような存在だったと。
しかし皮肉なことに、ルーズベルトがアメリカ大統領異例の4選を果たしたころ、世界中を巻き込んだ第二次世界大戦の真っ只中だ。ルーズベルトは元々非戦派であったと言われるが、時の情勢として日本に対しても行動を起こさないといけない状況に追い込まれていたとも言われる。そして最後の最後まで日本の無条件降伏という姿勢を崩さず1945年4月に脳卒中で死去してしまう。
その後大統領に昇進した時の副大統領トルーマンが大戦の指揮を執ることになり、遂には原爆投下という結果に至ってしまう。
ただ一説には、トルーマン自体も原爆投下には消極的であり、実は軍部内に大きな黒幕がいて、その人間の独断的判断で投下されたという話もある。
もしも仮にルーズベルトがもうしばらく生きながらえていたら? それでも憧れの存在万次郎の祖国である日本へ原爆を落とす決断をしていたのか。 逆に万次郎自身がその当時にまだ生きていたら? というのは物理的に無理難題ではあるけども。
ただ、万次郎一人の存在で時代が大きく変わっていた可能性は大きくありえるなと思うわけです。
これだけの、世界の歴史すらをも書き換えていたかもしれない土佐の英雄『ジョン・万次郎』!
彼が沖縄に上陸しウチナーンチュと交流を図り、琉球のその後に大きな影響を及ぼし、土佐へ帰国後には日本の文明開化にも大きな影響を及ぼし、名だたる偉人たちへも計り知れない影響を及ぼしていたと考えると、ものすごい人物だと思いません!?
放送でもお伝えしましたが、もしかすると龍馬よりも中岡慎太郎よりも、板垣退助よりも後世に大きな影響を与えた人間なのかもしれない。
そんなジョン万次郎の偉業を、この先大河ドラマにしよう!という動きもあるみたい♪
その際にはぜひぜひ賛同して出来る限りの応援をしていきたいですね!
沖縄と高知、琉球と土佐、同じ黒潮民族として相通ずる部分は昔からあるはずなんです。
そういう目には見えない何かしらに惹かれて自分も高知へ進学したんじゃないのかなと、今では真剣に考えてしまうのです。
まさにロックンロール! 黒潮ロックンロール!!!!!
ぜひ! このネタを読んだ上で、大度のジョン万次郎へ逢いにいってみてくださいね!
毎度の放送後の一枚は、実際の万次郎銅像が土佐清水を指差している姿を真似して、ロックンロール万次郎を表してみました♪
ワワワケンロー!!!!
E.KEMURA
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