Invisible RYUKYU 第18回目!宜野湾のはごろも伝説とは

Wandering Okinawa!

まだ雨降らないねワケンロー!!!

こうなったらフリフリのフラダンスでも踊ってやろうか〜(`□´/)/

と、そろそろ冗談も言えないほどの心配になってきましたぞ。。

そんな中でも、やはり沖縄の湧き水たちは頑張ってくれています(゚Д゚)

こういう時にはホント湧き水や地下ダムの存在のありがたみを感じるよね。

そんなことも含めてお伝えしました今晩のInvisible!!

聞き逃したと言う方は、ラジコでどうぞ!

さ、今回もブログでおさらいをかけていきたいと思うのですが、今夜は琉球の尚王統以前に遡っての察渡王についてお伝えしました。

尚巴志が三山統一を果たし、その後450年にも続く琉球王朝時代が始まるわけですが、それ以前にも古琉球という時代があり、舜天王統、英祖王統、そして察渡王統という王統時代があったんです。

それら全ては浦添の浦添城を拠点として展開をしており、首里に遷都する以前には浦添が最も重要な中心地であった、ということはわりと知られているかと思います。

舜天、英祖ともに浦添の歴史上の偉人として讃えられていて、とくに英祖は母親が英祖を身ごもった時に太陽が懐に入っていく夢を見たことから『太陽の子』、『ティダの子』、『てだこ』という愛称が付けられ、現在も浦添は『てだこのまち』という愛称がありますね。

しかし察渡王に関しては、中山王として浦添城を居城とし、後に琉球が貿易大国として成長していくために非常に重要な役割を果たす王なのですが、実は宜野湾の人間、しかも大謝名の人間だと言われているんです。

実はここに宜野湾が『はごろものまち』、『はにんす(羽衣)のまち』と言われる由縁があるわけなんですね〜。

そう、羽衣伝説!

羽衣伝説は沖縄だけでもいくつもの場所に伝説が残っていたり、日本中、引いては世界中に同じような物語は多々あるようです。

ただ、真意の程は別として、宜野湾の森川、ムンヌカーの羽衣伝説は県内でも最も有名な羽衣伝説、そして琉球の歴史に大きな影響を及ぼすことになるストーリーですよね。

かいつまんで概要をお伝えすると、

その昔、謝名村の奥間大家(おくまうふやー)というお百姓が、とある日農作業を終え手足の汚れを洗おうと森の川へ向かった。

するとそこには一人の美しい天女が泉で沐浴をしており、側の木には見たことも無いような奇麗な着物と羽衣が掛かっていた。

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奥間大家はそれを隠し持ち帰り、困った天女を助けるという形で自分の家に住まわせ後に結婚。一男一女を授かる。

数年経ったある時に、女の子が男の子をあやす際に、羽衣の在処を歌として唄っていた。それを聞いた天女は羽衣を探し出し、子供たちとの別れを悲しみながらも天に帰っていったという話。

諸説あるのはもちろんだけど、この天に帰っていったという話が、実は早くに母親を病気などで亡くした際に子供たちを思いやる作り話ではないかという説もあった。

ん〜、納得。天に帰る、天に召される、お前たちの母親は特別な存在で神様に呼ばれ天に帰らざるを得なかった。ということで死別という悲しみも若干和らぐのかなとか。

そしてその後にまだまだストーリーがあって、この男の子は『謝名ムイ』と名付けられ貧しいながらも農家の子として成人する。

とある時、勝連按司の娘が婿探しをしているという話を聞きつけ、我こそはと勝連へ向かう。

しかし謝名ムイの貧相な出で立ちを見た按司は笑い飛ばし、追い返そうとする。

ところが娘は何かを悟ったのか、この人は只者ではない!この人と結婚させてくれと按司に懇願。按司も根負けして結婚を許すことになる。

その後、二人は謝名村の謝名ムイの家で暮らすことになるのだが、娘はとあることに驚く。

その家は雨漏りもするようなボロ屋だったが、庭には黄金がゴロゴロ転がっていたと(^^;

今でも大謝名の住宅地の中に、その家があったとされる黄金宮(クガニナー)という史跡があります。

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按司の娘は無知な謝名ムイにその金の価値を教え、その金で大和から入ってきていたたくさんの鉄を買い、農具を作って周りの農民に分け与える。

その頃から人徳を認められ、人々からの信頼を築いていく。

時は英祖王統の西威王が子供の年齢ながらに王位に着き世が混乱している時代。

こういうストーリーにありがちなクーデターという話が裏にはあるのかもしれないけど、そういう時代背景も相成って周りから推しに推されて謝名ムイが新しい中山王となり『察度』と名乗ることになると。。

この察渡王、歴代の王の中でも偉業がものスゴく、史上初めて中国(明)へ進貢使を送り明との国交を開始、中山を1つの国として認めてもらいその後長きに渡っての友好関係を築く。

ここでさらに面白いのが、真偽のほどはさておき、実は察渡には異母兄弟の弟がいて(奥間大家が後妻との間にもうけた男の子)、それがあの商売の神様とも言われる『泰期』だというわけ。

泰期と言えば今でも読谷村民に崇められる琉球大交易時代の基礎を作り上げた英雄!

残波岬に建つ泰期像

残波岬に建つ泰期像

察渡王はこの弟泰期を琉球初の進貢使として明へと送り、その後琉球の大交易時代が始まり、こんな小さな島が世界稀に見る成長を遂げていくというわけ。

そんな琉球史に欠かすことのできない、もしかしたら最も重要な偉業を果たした王であったとも言える『察渡王』!

宜野湾市民が英雄と崇めるのは当然の流れですね。

であるからこそ、今でも市の一番のお祭りは『はごろも祭り』であるし、はにんすと付く施設や企業もあるし、森の川も神聖な場所として崇められている。

羽衣伝説のレリーフがある森川公園

羽衣伝説のレリーフがある森川公園

森川公園は市外の人からはちょっとした心霊スポットとして知られている部分もあるけど、こういうストーリーを持って捉えると心霊スポットとパワースポットは表裏一体、スピリチュアルパワーが強い場所という捉え方もできるよねと。

特にこういう歴史的な流れを学んでからだと、神聖な場所であるという想いの方が強くなるので、ぜひ自分の目で見て感じて欲しいなと思います。

ウガンヌカタと呼ばれる森の川隣のこの御嶽は、確かにただならぬ雰囲気が漂う。でも、しっかりと歴史を学べば、現在も王統の子孫たちがとても大事にしている場所であり、ウガンしている光景をよく見ることも理解出来る。

ウガンヌカタと呼ばれる森の川隣のこの御嶽は、確かにただならぬ雰囲気が漂う。でも、しっかりと歴史を学べば、現在も王統の子孫たちがとても大事にしている場所であり、ウガンしている光景をよく見るということも理解出来る。

石門の裏には西森碑記、確かにこの向こう側には行かない方が良さそう。普天間宮の洞窟までつながる洞道があるとかないとか。。あってもおかしくないよね。

石門の裏には西森碑記、確かにこの向こう側には行かない方が良さそう。普天間宮の洞窟までつながる洞道があるとかないとか。。あってもおかしくないよね。

さらに!なんとワタクシE.KEMURAの母方のオジーは、大謝名の人間なんです(´∀`)

なので大謝名というと昔からすごく親身な場所で、当時からオジーが大謝名に対して何かしら誇りを持ってたな〜という感じが今になるとよく理解できる。

このように、それぞれの地元、村にはそれぞれの昔話や伝説ってあって、そこを学び理解していくことってすごく大事なことだと思うわけです♪

ぜひ大謝名、真志喜の史跡も巡り察渡王のロマンに触れてみてください♪

放送後の毎度の一枚は、両手に花ならぬ両手に羽衣パーソナリティーを携えるロックンローラーです!

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ワワワケンロー!!


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E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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