先日、コザ向けに走ってる中、天気も良かったので前々から気になっていた普天間ハウジング返還エリアで見つかった『遺構』の写真を撮ってきた。
フェンス外からだけどね。
まだ今後これをどうしていくか決定してないようで?? そのまま埋めてしまうのか(^^; どういう形でか保存するのか、これからが気になるからね。
見ておける時に見ておかないと。
このフェンスある光景も、そのうちまったく違う光景となっていくんだはず。
しかしやっぱロマンじゃね?? 戦前までは普通に人々が使っていた道、それがそっくりそのまま70年の時を経て姿を現した。
戦後焼け野原のオキナワにおいて、もう一気にインフラ整えるって形でアメリカーがブルドーザーで埋め立て埋め立て、そしてそのまんま70年以上が過ぎ去った。
皮肉なことに、70年もの間手つかずでいたが故にこんな保存状態ハンパ無い形で歴史的な遺構が蘇った。
おそらくこれからも返還に伴ってどんどんと史跡が発見されていくんだろうね。
して、そんな最中のひょんなタイミングで、こんな投稿を発見。(OkinaWandererでシェアしたのを埋め込み)
これ、なんと普天間基地内の、とある洞窟らしい。
真意は定かではないけど、あっても不思議では無い場所なんだよね、実は。
普天間基地の地下にはものすごい規模の鍾乳洞が広がっているって言われてる。
当時のおじーおばーたちが言ってるんだから間違いないでしょう。
だから大山や伊佐あたりでは湧き水がすごくて、田んぼやターンム畑も広がったって言われてる。
今でも湧き水出てる場所多いよね。
なので、外からじゃ見えないけど基地内にはこういう地上に口を開けた洞窟的な場所が、実際に今でもポツポツあるのかもしれない。
北部とか南部とかでは、今でも手つかずで鍾乳洞や洞窟が残されているような場所があったり、逆に鍾乳洞を観光の目玉にしている場所なんてのはあったりする。
けど、宜野湾ってそこそこ発展していて、今やベッドタウンの一部だよね。そしてこれから返還地に高校や大学も出来るって話。
まぁ、この洞窟の写真はおそらく返還地となるハウジングエリアではなく、もっと上の普天間基地の内部だと思うんだけど。
なんかすごくない?? 住んでるすぐ近くにこんな戦前のような戦跡のような場所があるって。これも皮肉かな70年以上手をつけられなかったから残ったものなんだはずよね。
もし普天間基地が別の場所に建てられていたら、ああいう時代だからこそ、こういう鍾乳洞はあっという間に埋め立てられて今では見る影も無かったんだろう。
だからといって基地建設が良かったなんていう話じゃないよ、全く以てもちろん。
時代が時代だから消えてしまったもの、逆に時代故に残ったもの、そして今になって蘇るもの。
なんだかこういうことをいろいろ調べていると、考えようによっちゃ70年前なんてついこの間のことなんだよね。
自分が産まれたころって、戦後から30年ちょいしか経ってない。
そう、ぜんぜん遠い昔の話じゃないんだよね。遠い他人の話じゃない。
これは近代歴史の話であって、しっかりと自分たち自身も自分のこととして、つい最近までこういう時代であったんだということを学ばなきゃいけないなーって。
特に今、次の特集である『コザ』をリサーチしてるとすんごく思うのよね。
コザが、オキナワがどういう風に戦後を乗り越えてきたのか。時代故にブラックな歴史もかなりある。
でも生きるためには必要なことだった。死ぬか生きるかの狭間で生活していた先人の生き様も学ぶべきである!
またコザ特集発行の際に、その辺もより詳しくお伝えするので、お楽しみに〜!!
ぜひ、この遺構が露出されている間に一度は見に行ってみてください♪
ワワワケンロー!!!
E.KEMURA
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