ふと気になったわけよ
中城が琉球史においてかなり特別な場所で、そもそも「中城」ではなく「貴足城」なのでは?という疑問は前々から提唱してるけど。
あれ?
例えばグスク時代の北山(ホクザン)・中山(チュウザン)・南山(ナンザン)と読むのは、今ではもう一般的に認知されている。(山南、山北でも然り)
かつての琉球では、特に固有名詞ではいわば中国読み(音読み)で、その漢字一文字の読みからは意味が伝わらない読み方をしている。

王府時代はそれが基本的な士族の流通言語であった。はず。大和古語も広く普及していたはずだけど。
例えば北山であれば、日本語読み(訓読み)であれば「キタヤマ」となる。
そう、「中城」は何故かその訓読みで「“ナカ”グスク」と読んでいる。
いつ頃からそう呼んだのか、もともとは「チュウグスク」とでも呼んでたのかも知れない。(今でも中城湾を“チュウジョウワン”と呼ぶ人も少なからずいるが、ジョウと呼ぶことから近代的な呼び方だろう)
んでも、例えば「仲順」は今でも「チュンジュン」、首里の「大中」も古老は「ウフチュン」と呼ぶ。
だけど「中城」は王府時代から特に重要な王子領なのに「ナカグスク・ナカグシク」、なぜだ?
琉球国開闢の舜天王統に関わる中城、護佐丸を包囲網の中に閉じ込めるのに最適だった中城。
やっぱり元々中城は「中(ナカまたはチュン)」という意ではなく、「貴」とい意味が深く関わる場所だったのではなかろうか?
ロック!
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E.KEMURA
代表 : 株式会社 琉球Press
沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!

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