琉球㊙︎外伝 羽地朝秀から読み解く『浦添尚家』と『呉氏』の謎

インビジボー改!琉球㊙︎外伝

羽地朝秀ネタが出たのでここまでは言わせて!

朝秀は唐名を『向象賢』として知られているが、これは家譜制度が出来てからの名前。

生前の唐名は、なんと『呉象賢』なんです!

しかも生前の和名は『朝秀』ではなく『重家』。

家譜制度の取り決めがきっかけとなり、没後『向象賢羽地王子朝秀』となった。

羽地朝秀生家跡

分かりますか?

『呉』なんですよ!

あれ? なんだか聞いたことあるな?

そう!尚徳王によって泊地頭職を与えられたのが『呉氏泊宗重』、廃嫡された尚維衡を救ったのは『呉氏花城宗義』! 

さらに!尚維衡を元祖とする『小禄御殿(浦添尚家)』自体が、もともとは『呉氏』を名乗っていたというのだ! 

尚維衡が花城宗義の娘を娶ったことも大きく関わっているだろう。

そう、浦添尚家と呉氏の間にはとんでもない関係性があったということになる!

そして朝秀の時代に家譜制度が取り決められ、小禄御殿系は『呉氏』から『尚・向氏』へとスーパーチェンジを果たす!

なんつーロックなんだ!


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E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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