龍神〜龍神〜まさかやー(´∀`)ノ (琉神〜琉神〜マブヤーへのオマージュです♪)
ワワワワケンロー!
ということで4月の新年度より!一層ロックンロールインビジブルお届けしていくんで、4年目もィヨロシク〜!
さて、今週も那覇は新都心近くのエリアから安謝・天久インビジブルをお届けしましょう♪
しかも今回は、58号線を挟んで新都心とは逆、海側の安謝・天久エリア!
こちらは未だ歴史ある街並みが残り、神聖な場所もかなり多く存在するエリアです。
まずはこちら!
海岸線が残る安謝の道と恵比寿神社
まず安謝というと、何を思い受かべますか?
アジャコングじゃないでしょ〜!
おそらく大半の人が思い浮かぶのは那覇ハーリー会場じゃないかな?
毎年激アツのドラゴンボートレースが行われる那覇ハーリー、その会場が安謝港、又の名を那覇新港と言って、実際は港町という住所になっているけど、そのイメージが強いと思う♪
残念ながら、、那覇ハーリーはコロナの影響によって、まさかの2年連続中止が決定になってしまったけど。。
もうこうなったら本バーリーならぬ、バーリバーリーなロックンロールで楽しみましょう!
その安謝港、そして曙町あたりは実はほとんどが埋立地なんだよね。
港の前の道路、そのまま泊大橋に繋がるあの大きな道路はもともと海だった。
道路を走っていると海との逆方面は一気に高い山になっているし、泊いゆまちの向かい側とか泊高校手前あたりに現れる海岸線にあるような岩山から、その不自然さはなんとなく分かると思うけど、
その道路からもう一本内側、より山の崖に近い道を走ったり、歩いてみたりすると、もうその当時の名残というのが鮮明に残っていて、あ〜昔はここまで海だったんだ!というのがはっきり分かる。この中の道路こそが、昔の海岸線で曙町との界にもなっている。
で、そのほぼ通り沿いなんだけど安謝には恵比寿神社という神社があるのね。この神社も岩の上にあるような神社で、もともとその下までが海だったということが分かる。
そしてこの神社、実は少し怖い逸話があるんです。
岩の上に神社があると言ったけど、上に上って行くまでには結構な坂があるわけ。
その坂の途中に、急にポッカリと口を大きく開けた大きなガマ(洞窟)が現れる。
こんな場所にこんな大きなガマ!?というくらいの驚き。
で、実はここ、、
琉球王朝時代の処刑場だった場所なんです。
自分はそれを事前に知って訪れたから、結構ゾクゾク感あったわけね。
これを聞いてる皆さんも、事情を知ってから訪れることになるので、ちょっとビビるはずよ(^^;
でも敢えて今回紹介したのは、自分が訪れてみてかなり安心感を得たからなんですね。
というのも、うぉー、、噂通り強烈だな〜と思いはしたものの、その後上まで上って神社を参拝していると、巫女さんが話かけて来てくれて、神社創建に関しての話だとか、どういった神様が祀られているので、こういう順番でお参りしてくれたらいいですよ〜とか。
でもでも気になるのはやっぱ下のガマなわけよね。聞いてみようか、やっぱそれはタブーなのか。と思ってたら、巫女さんの方から実はこのちょっと下ったとこにはガマがあって、昔の処刑場だったと言われているんです、と。
そう、それが聞きたいのです!
皆さん処刑場跡と聞いてすごく怖がってしまうかもしれないんですが、ここは現在幸い神社となっておりますし、何より皆さんにも史実を知ってもらって、歴史などに興味を持ってもらえたらと思って紹介しています。と!
そういうことか〜!神社さんの方からその事実を教えてくれるような場所であれば、しっかりこれまでの霊も成仏できてるに違いない!とね。
なので、大丈夫です(^^) ぜひ、1史跡として訪れてみて、神社の方にもお参りされてください。
で、どういう処刑場だったかというと。
実は皆さんご存知、あの琉球の文学者として名高く、そしてあの当時には珍しく恋愛を題材にした物語などを書いた『平敷屋朝敏』が『友寄安乗』らと共に、蔡温を批判した文書を薩摩役人に送ろうとして蔡温の怒りを買って処刑された場所。
平敷屋朝敏というのは、手水の縁の作者で仲嶺義盛さんからも色々学んでいると思うけど、文学以外にもうるま市の平敷屋に民のためにため池を作ったりして、現在もその土砂でできた平敷屋タキノーという丘が有名。ホワイトビーチを一望できる。
それから尚真王時代、占い師であった木田大時が王様の前でその能力を証明するために箱に隠されたネズミの数を当てるという話があるけど、その数を間違ってしまい処刑されたのもこの安謝の処刑場だと言われている。
実は木田は母親ネズミが身籠った赤ちゃんネズミの数まで数えていて、処刑執行を命じた時にはすでに遅し、木田の数が正しかったんだけど処刑の中止が間に合わなかった。
その申し訳なさから、木田は王族でないにも関わらずその後玉御殿に葬られたと言われている。
続いてはコチラ!
天久の神々
先ほども伝えた、安謝港前の大きな通りから一本山沿いに入った道路がある。
目の前には巨大な崖が聳え立っているわけね。
で、崖の上っていうは天久の高台なんです。そう、昔はこの崖下がすぐ海で、相当景色も良かったはずだし、崖なのでなかなか人も通らず神聖な御嶽がたくさんあった。というか今でもたくさんある。
特に龍神龍神〜がたくさんいて、沖縄に初めて降り立ったと言われる『龍神夫婦』も祀られているのがこの天久高台の崖下なんです。
現在はその道を歩きながら訪れることもできるので、興味ある方は訪れてみてください。
それぞれ別々の場所に祀られているけど、崖側の方を注意して見ながら歩いていると、明らかにオヤ?と思う入り口がいくつかあるので、ただ、聖地に入る際には必ずリスペクトの気持ちを持って、お邪魔します、お邪魔しましたの気持ちで訪れてください。
父親の方が『天龍大御神』、コチラは実はだいぶ前にも紹介しています。
そして母親の方がなんと『天久臣乙女王御神』と呼ばれる龍の神なんです。
ここにでました『天久』!
で、それぞれの場所には湧き水が湧き出ていて、石には龍泉の神と書かれている。やはりドラゴンと水には深い関係性があるんですね〜。
この夫婦である龍神のさらに上に位置する万物の生みの親である龍神というのが、実は奥武山公園内に祀られていて、細かくはまた別機会にお伝えしようと思うけど、そのトップ中のトップの龍神の名前もなんと、『天受久女龍宮王御神』といって、
そう、まさしく天を久しく受けると書く女龍の神!ここにも天久という文字が浮かび上がる!
それにも増して、実は天久の語源は琉球開闢の始祖『アマミキヨ』、『アマミク』だと言われたりもする!
ここまでくるとかなり神がかった場所と言えそうですよね、天久!
さらに、現在波上宮に移されている浮島神社がもともとあった場所であると言われ、そもそもは長虹堤の完成に感謝して建てたと言われる長寿宮が移された場所だとも言われる、スーパーハイパーな祭祀空間もこの道沿いに現在も存在している。
さらにさらに!!
察度王の弟と言われる泰期は有名だが、実はその下にも弟がいて、その名を天久按司と言ってこの天久の高台の地に天久グスクを建てて居城していたと。
その城跡は現在全く見て取れないけど、その高台こそが先ほどまで下から見ていた崖の上部分になっていて、御嶽もいくつもあって神聖な空気感半端なくって、そこから見渡せるパノラマ景観は絶景!
それから元エッカホテルの裏側にあった『久場森御嶽』も、今や土地の造成により新しい場所に移動されて、より訪れやすくなっています。コチラもそれこそ神の木と呼ばれる『クバ』がその御嶽を囲むように生えていて、すごく幻想的な御嶽となっています。
天久自治会のそばにある、天久の守護神の御嶽も存在感がすごい!
というように、新都心の天久エリアとは真逆と言ってもいいほど、琉球が未だ色濃く残るもう一つの天久!
ほんと58号から一歩入っただけなんだけど、昭和空気感満載!
とは言っても、どんどん建て替えも進んでいるようなので、
ぜひ興味ある方は早めに、この濃淡をぜひ自分の肌で感じて欲しいなと思います♪
最後に、本日、琉球最高峰の斎場御嶽で御香炉の盗難という悲しすぎる事件が起こったようだけど、自分的には逆の予防法として、もっとみんながその存在や神聖さをより理解し、実際に拝みに行く、どれだけ我々にとって大事な存在なのかというのを皆で発信して、より多くの人に理解してもらう方法もありなのかなとも思う。
それがどれだけの重要さかを知ってるウチナーンチュの仕業だとは思えないし、思いたくもない。
早期解決を願います。
ワワワワケンロー!!
E.KEMURA
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