そ〜うよ〜美しすぎてゴメンなさい〜(´∀`)
どうも美川ボス一郎です♪
大謝名するわよ〜!(注:お邪魔するわよ〜のパロディ、気付かない人続出だったようで・・)
ワワワワケンロー!!
もう、完全にウチナーローカルネタですィヨロシク〜!
ということで、今回も引き続き我がルーツの『大謝名ヒストリー』と、大謝名を流れる『比屋良川ミステリー』を取り上げていきたいと思います!
前回は少しローカル過ぎたネタになってしまったかと思うんだけど、
ちょっと振り出しに戻ってまず『大謝名』自体を簡単に紹介しましょうね。
先週は察度のことでいっぱいいっぱいで喋る時間も足りなかったのと、
まずの大謝名紹介からの方がより分かりやすくなると思うんで♪
大謝名とは
みなさん、58号線沿いの大謝名交差点ならばさすがに分かるかなと思います。
電電公社、って古いか!?
いや、NTTの大きな電波塔が立っている交差点ですね。
昔は大謝名三叉路と言って、北へ向かう場合にはまっすぐ走れば北谷や嘉手納に、右に曲がって上っていくと真栄原だったり我如古、そして330号に合流するという結構重要ポイントで渋滞もすごいんです。
交通情報でもよく耳にするはず。
今は四叉路になっていて、左に曲がれば宜野湾マリーナあたりに着きますね。
最近では国道沿いに大手外食チェーンもバンバン参入してきていて、かなり近代的なエリアになってきています。
実はこの大謝名、元々は謝名村という浦添間切の一つだったんですね。
というよりも、宜野湾間切ができたのは結構後になってからで、と言っても1600年代前半なので、しっかりと歴史長い間切だけども。
実は浦添間切、北谷間切、中城間切からいくつかの村が分村して出来た間切なんです。
そしてその村の一つである謝名村は、現在の真志喜、大山あたりまでを含む大きな村であった。
その名残として、大山はその昔、『謝名具志川』という地名だったんですね。
戦後大謝名は、そのなだらかな丘陵地が米軍ファミリーのハウジング建築に最適の場所として、多くの軍人向けハウジングが建てられて、現在でも結構残っているし、それを目当てに引っ越してくる若い世代、お店を開く若者も多くなっている。
では、なぜこの地が最適だったか分かりますか?
そう、海なんです!
アメリカには海が無い、海の見えない州がいくつもある。だから海が見えるロケーションというだけでもすごく贅沢。さらにこのエメラルドグリーンでしょ!?
我々にとっては当たり前のことだけど、沖縄以外の人、特に外国人にとってはとても贅沢なアイランドなんです。利便性よりもロケーションや快適さ優先。
この我々の日常の当たり前と、彼らのこの島で欲するニーズの合致する部分を探し出せると、何かいいサービスを生み出せるかと思います♪
そして大謝名には、一昔前こんなスポットもありました。
軽便鉄道大謝名駅
戦前まで沖縄には軽便鉄道が走っていたことはよく知られていると思うけど、大謝名にも駅があったんです。宜野湾でいうと他にも真志喜と大山にも駅があって、大山の駅はだいぶ大きかったらしいね。
その大謝名駅跡、跡が分かるようなものは現在残っていないんだけど、そこであったという場所ははっきりしていて、これまた大謝名小学校のすぐ目の前なんです。
で真志喜の駅は今の宜野湾警察署あたりにあったと言われていて、そうなると今の58号線を横切らないといけない。その当時からこの道路は県道としての基幹道路であったわけで、どう交差してたんだろうと思うころなんだけど、
なんと道路の下を軽便が走っていたと言われている!すごい!
逆に大謝名駅から南向けの次の駅というのは牧港駅、その一個前が城間駅で、今の城間交番あたりにあったらしい。
あの絶妙な角度で三角に折れてる交差点があるよね。あれも鉄道の名残。
その牧港駅から大謝名駅の間には、牧港川と比屋良川が流れていて、その上を軽便は走っていたわけだ。
現在その道は生活道路に変化して、皆さんが日常的に使う道路となっている。
それがマチナトボウルの前の道、さっきの大謝名駅の前の道とも繋がるわけ。
で、マチナトボウルすぐそばに結構大きな比屋良川という川が流れているんだけど、あ、浦添の人からは「それは宇地泊川だよ!」と言われるかもしれないけど、え〜っと宜野湾側の人間として比屋良川と呼ばせて頂きます(^^; どちらも正解です。
実はここに面白いインビジブルが潜んでいました!
比屋良川ミステリー
そのマチナトボウルの駐車場内には、何やら妙な、何か意味深な角度の入り口があるんです。
さらにその駐車場の一角には、え?こんなところに?という場所に祠がポツンと祀られています。
ん〜妙だ。これらは何を意味してるんだろうか。
色々調べながら、ふと昔の航空写真を眺めてみたんです。
すると!
なんと、現在の比屋良川の流れというのは戦後人工的に大きく付け替えられた後から直接海に流れ出るようになっているのであって、一昔前までは、このマチナトボウル駐車場内にこそ流れがあり、それが今の牧港サンエーの駐車場部分を流れ、A&W 牧港を巻き込むように流れ込み、そこから牧港川と合流して海に流れていたのだ!
戦後牧港に軍道1号線(今の58号線)の橋が掛かった際に、大掛かりな埋め立てなども伴って、大雨などが降った際に比較的小さめの比屋良川の流れは、牧港川の大きな主流に遮られて合流できず、しょっちゅう氾濫を起こしていたんだと。
それで人工的に流れを付け替えて、合流することなく海に流れ出るようあれだけの大きな川に変身しているというわけ。
現在にも残るその名残が興味深くって、そこまで昔な話でもないので当時のことを覚えてる人もいるかと思うけど、先ほどのマチナトボウルの妙な入り口も川を埋めた跡であって、さらに現在もエンダー牧港の入り口右側には明らかに昔川だっただろ!と分かる砂利の埋め立て道が残っているし、そのまま奥に向かって歩いてみると、昔ながらの川へ降りる階段の跡とか、明らかに川っぽいカーブを見る事もできる。
そして川の跡が途切れる場所には、昔はこれが橋だったんだな、この下を川が流れていたんだなと分かる欄干のようなものもそのまま残っている。
そして実はこの橋こそが、琉球王朝時代にペリー探検隊の一員、ハイネによって書かれた橋の場所であるのだ!
さらにさらに、先ほど伝えた祠、神様ね。
なんでこんなところに祀られてるのかと思った謎!
おそらくだけど、この川を付け替えするということは、それまでの川の流れを潰すということ。
水というものは、遥か昔から清き尊いもの、その自然の流れを人工的に埋めてしまうということは、それはある意味神様への冒涜にもなりかねない。
そこで、川埋め始めるちょうどその分岐点に神を祀ったんじゃないかと思うわけね。
実際に行ってみるとだいぶ納得できると思う。
こうやって、常々人間の都合のいいように便宜がよくなるようにと開発を続けてきてるわけだけど、しっかりとこれまでのお礼と、これからも見守ってくれるよう地域や自然に感謝する気持ちは必要だね!
と感じたインビジブルでありました!
ワワワワケンロー!!!
E.KEMURA
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