Invisible RYUKYU 第143回目は『浦添琉球三大王統に隠れた!?インビジボー』

Wandering Okinawa!

ただいま〜の後は〜ガラガラジンジン〜浦添伊祖ジンジン〜(´∀`)

うがいしろよー!風邪ひくなよー!7時だよ〜インビジブルロックンロール!!

ワワワワケンロー!!

ということで、本日はリモート接続の不具合不具合でどうなることかと思ったけど、如何にかこうにか最終手段は電話で出演!を決行して、浦添の伊祖インビジブルお届けしました〜!

前回に続いて浦添インビジボーなわけなんだけども、

実は浦添&浦添グスクという地は、首里城ヒストリー以前には琉球に置いて最も重要なポイントとなる場所なんですよね。

その地名も表しているように、元々『浦添』という地名は、

『浦襲い』

『津々浦々を襲う』、『浦々を支配する』という意味を示していたと言われている。

それだけの支配力を持つ地こそが『浦添』であったと。

尚巴志が中山王の武寧を滅ぼすまで、

舜天王統、英祖王統、察度王統の三大王統が、この浦添グスクを中心として王権を担っていたと言われている。

個人的にはここにいくつも疑問があって、自分的には浦添グスクを居城としていたのはもしかすると英祖王だけなんじゃないかなと思ったりもするんだけど、今回は一般的な琉球史に乗せる形で紹介しようね♪

まずは『舜天』!

舜天に関しては大里インビジブルの時にも、いわゆる『都市伝説』ならぬ『ボス伝説・舜天南走平家伝』的な壮大な、平氏流れの妄想ストーリーを紹介したけども、一般的には源為朝の子伝説として知られていたり、あくまでも伝説上の人物ではないかとか言われてたりもする。

為朝が源平合戦の末伊豆から流されて琉球に辿り着き、運を天に任せて流れ着いたのが今帰仁の運天で、大里按司の妹との間に出来たのが舜天。

その後為朝は大和に戻り、為朝の帰りを待ち続けた場所が『待ち港』、『牧港』であると。

これは流石に物語感が強いわけなんだけども、浦添の牧港にはその為朝の帰りを待ち続けたガマ『テラブガマ』という洞窟が今でも58号線から少し入ったところにポッカリと口を開けている。誰でも見学可能なので、機会あれば訪れてみてください。

ほんと58から入ったすぐのとこにあるよ

そして青年になった舜天は、利勇という逆賊支配者を倒して浦添按司になる。そこから民に推されて琉球最初の王統、舜天王統を築き上げていくという話があります。

その後、舜天の息子の『舜馬順煕』、その息子『義本』が王位を次いでいきますが、義本王の時に国中が飢饉に巻き込まれて大混乱となり自らの不徳を憂いて王位を退く。

その当時、義本王の摂政を担い民衆からも大の信頼を得ていた伊祖の『英祖』という若者が民衆から推されて王位に就くわけなんです。

その英祖王のお墓は、先週お伝えした尚寧王の眠る『浦添ようどれ』にありますね。元々は英祖王のお墓で、そこを改築して浦添出身の尚寧王もそこに眠るという流れになったわけですね。

左手のお墓には尚寧王が、右手には英祖王が眠っていると言われている。

しかし、浦添グスクを居城としていたはずの英祖王一代前の『舜天王統』の3王のお墓は浦添にはありません。

北中城のナスの御嶽という御嶽に祀られていると言われたり、

立派な御嶽!

舜天はそれこそ大里にお墓があると言われていたり、

義本に関しては国頭の辺戸にお墓があるとされていたりもします。

国頭にある義本王の墓

一体なぜなんでしょう!? 摂政として義本王に仕えていた英祖、その義本王が英祖を頼って王位を譲ったとしたならば、その先代の王様達に弔いの意を込めてお墓くらい建ててもいいもんだと思うよね。

自らはようどれという素晴らしい墓を建てている。

そして英祖王の父親のお墓と言われている『伊祖の高御墓』は、浦添大公園内を突っ切ってる伊祖トンネルの真上くらいに存在している。

このお墓と浦添貝塚という史跡がその山の中にあるために、あの伊祖インターチェンジは立体交差点案が却下されて、今のような入り組んだインターチェンジになっている。

伊祖トンネルの左右の大きさが違うのも、その複雑さ所以なんですね。

宜野湾方面からの図

では次は『英祖』の生い立ちを振り返ってみましょう。

浦添が今『てだこのまち』と呼ばれる所以は、実はこの英祖王に起因しているんですね。

英祖王の両親にはなかなか子供が恵まれず、歳も重ねてもう子供は無理なのかと諦めていた時に、母親が不思議な夢を見る。

太陽が自分のお腹に入り込み、その次の日に子供を身篭ったと。

それでこの子は太陽の子だ、ティダの子、『てだこ』となるわけなんですね。

生まれる瞬間に辺り中が一気に明るくなり、周りにいい香りが立ち込めたっていうんだからね。

さらにはもう幼少期から天才的で、10歳頃には古文書などを読み通していたという。

そんな英祖が生まれ育ったのが、浦添グスクの麓というのか、なんなら浦添グスクに連結しているようにも見える浦添の伊祖にある『伊祖グスク』なんですね。

今では『伊祖公園』として、遊具もあれば大きめな多目的広場もあるし、展望デッキもあって浦添から宜野湾、読谷あたりまで見渡せるすごい景色のいいスポットでもある。駐車場もあるので安心して訪れることができる。

さらに、公園内にはグスク跡もしっかり残っていて、一歩奥の方まで足を運ぶと一気に琉球かじゃーがプンプンしてくる場所になる。石積みの道なんかも残っていて、そこを歩くだけでも琉球ワープする感じ。

そこからもっと奥の方には鳥居があって、

またさらにその奥まで進むと伊祖神社という小ぶりな拝殿が見えてくる。

グスク跡を神社としたのは恐らく最近、明治ごろのことだと思うけど。

その拝殿辺りが屋敷跡なんじゃないかなと思うわけね。

そしてそこから見える景色はさらに絶景!牧港、宇地泊あたりの海がパノラマで拓けていて、南は那覇港あたりはもちろん、北も残波あたりまで見渡せる。

ここから海を行き来する船を眺めたり、なんであれば軍事的な監視役割も果たしていたんだろうな〜というのも感じられる。実際に当時、元寇という元の国が琉球に責めてきたのを追い返したという説もある。

英祖の時代には既に、朝鮮との交易が行われていたのは恐らく間違い無いだろうと言われていて、浦添ようどれ館では、グスク内で発掘された当時の高麗瓦を見ることができる。

で、見ようによっては浦添グスクの一部とも捉えられそうなくらい浦添グスクに隣接している伊祖グスク、ホントに浦添グスクとは関係ない間柄だったのだろうか。という疑問が湧くわけ。

そんな本丸すぐ側の小さなグスクに天才少年が誕生して、お隣の中山王というビッグ過ぎる王様の摂政となり、さらには中山王に成り上がれたのだろうか!?

パイプライン通りの浦添総合病院向かいあたりには、今でも英祖王の拝所という御神屋があって、門中の方々が日々手入れをしている。そこは誰でも御拝できる場所なので、気になる方はぜひ訪れてみてください。

という風に、今でもその末裔の方々がいらっしゃるので、あくまでも個人的な妄想・たわ言として聞いてほしいんだけど、そういえば『伊祖』と『伊勢』ってすごく似てる。伊祖の伊と伊勢の伊も一緒だな〜。

あれ?伊勢っていうと、三重県の伊勢で、伊勢平氏の発祥の地だったよな?

とかね(・∀・)

まぁまぁ深くは考えずに、そういういろんな妄想もできるのが歴史のロマンで、醍醐味で♪

でもまぁこういうちょっと外れた妄想からでも、一人でも多くの人に琉球ヒストリーに興味を持ってもらって、何か考えるきっかけになってもらえたらサイコーじゃない♪

そしてなんともロックンロールタイムリーな情報なんだけど、つい先日に浦添観光協会が運営する『うらそえナビ』という情報サイトにて、この浦添三大王統それぞれの紙芝居が電子版としてアップされています!

【電子紙芝居】浦添三大王統「舜天・英租・察度」公開中!! | うらそえナビ
浦添市の知られざる観光コンテンツを発掘し、まるごと発信していきます!

しかも日本語・英語・中国語で読むことができるという多言語対応!

内容的にもとてもコンパクトにわかりやすくまとめられていて、今日の自分の話よりも全然わかりやすいはず(^^;

ぜひ読んでみて、英語の勉強にもいいかと思うよ!

ということで!

今回は琉球ヒストリーには欠かせない場所、浦添ロックンロールをお届けしました!

放送後の一枚は、今日のリモートトラブル、メンゴー!の図

ワワワワケンロー!!


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E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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