Invisible RYUKYU 第141回目は『浦添尚家のスター尚寧王』

Wandering Okinawa!

今何時〜!? しょうねい大体ね〜(´∀`)

暇あんに〜!? ちょっと待ってて〜(´∀`)

どうも勝手にしんどいバッドのボス・イケムラです!

ワワワワケンロー!

ということで!

しょうねい大体ね〜!ではなく、今夜は浦添が生んだスーパーキング『尚寧王』についてお届けしました〜!

というのも、今ね、それこそ尚寧王の出身地でもある浦添の浦添美術館にて尚寧王没後400年企画『尚寧王展』が開催されていて、ぜひ今夜の尚寧王のストーリーを聴いた後に、足を運びたくなるといいな〜とね取り上げてみました♪

実際自分も今日訪れて来たんだけど、なかなか御目に掛かることができない本物の尚寧王一族の石厨子とかその石厨子に書かれている当時の文字とかも見れてさ。

とは言っても、戦争で壊滅的に破壊され修復された物たちなんで、読めない部分が大半なんだけど、これが破壊されていなかったらもっと琉球の歴史が読み解けていて、歴史認識も変わっていたのかもしれないなと思うと残念ではあるけど。

さらにこの10月31日で首里城火災から1年が経って、今色々なところで首里城関連のイベントだったりテレビも色々特集されてますからね、この機会にもっともっと琉球ヒストリーに興味を持ってもらって、いろんな場所に足を運んで、ロマンを感じてもらいたいなと思います!

ということでいってみましょう尚寧王インビジブル!

まず、尚寧王といえば何を思い付きますか?

そう、どうしたってー消せない夢も〜って、鬼滅まだ漫画も見たことないのに、テーマソングだけは歌えるくらいにバリバリ耳に残ってる(^^;

いや、どうしたって思い浮かぶのは1609年『薩摩侵攻』によって琉球が武力によって制圧され、薩摩の属国とさせられた悲劇の王様ということだと思う。

ちなみに侵攻、侵略というのは Invasion と言います、Invador (インベーダー)は侵略者、インベーダーゲームはここから来てます。

一説には、尚寧王はその侵略されたことを恥じて、第二尚氏歴代王が眠る『玉陵』には入らず、浦添の『浦添ようどれ 』に葬られていると言われたりもするよね。

ようどれへの道

しかし別の説では、尚寧は他の王様たちとは違いもともと浦添出身の王族家系で、亡くなった後は故郷の浦添で眠りたかったんだろうという説もあり、ワタクシもどちらかというとこの後者推しなんですね〜。

尚寧王の墓

事実、尚寧王は王位在位時代に中頭方西海道という、首里から自分の故郷の浦添まで続く道路を石畳で綺麗に整備し、双方の往来をとても便利にしたという。

その石畳の一部が今でも残っている場所もあるし、それこそ道中の安波茶橋は当時の面影を感じられる雰囲気たっぷりな橋ですよね。

浦添工業近くにあるよ!

浦添グスク、浦添ようどれからも尚寧王の浦添愛が感じられる気がします。

さて、実は尚寧王は、そもそも王位継承とは縁遠い位置にあった人物だったんですね。

ではなぜその尚寧が王となりえたのか、そこには良くも悪くも結構な時代の奇跡的なタイミングが重なり合っていたんです。

尚寧王と琉球侵攻に関しては、ぜひその複雑な歴史背景も知っててもらいなと。

時は1469年、第一尚氏が終わりを迎え『金丸』こと尚円王が第二尚氏を興しますよね。

で、尚円王の死去に伴い、その子である後の尚真王がまだ小さいということもあり、尚円王の弟である尚宣威が推されて王位に就くも、摩訶不思議な出来事が起き半年で王位を明け渡す事となる。

そう、だいぶ以前のインビジブルでもお伝えしたけど、尚円王の晩年の奥さんであり尚真の母親である『オギヤカ』の陰謀説ですよね。

王になるのは其方ではなく、この子尚真であると神からのお告げがある!とね。

しかも、一旦王位に就き旦那の弟である尚宣威でさえ王陵『玉陵』には入れさせない、指名した以外の者が入ると祟りが起こるよ〜!ウィービー!(by 大兼のぞみさん)と言い放ち、王陵前の石にもしっかり書き残した。てなことで尚宣威のお墓は今でも実際に沖縄市の越来にありますよね。

しかし、まさかまさかで自分の子である尚真王が、その尚宣威の娘と結婚しちゃって、子供も儲けちゃった。それがこれまた悲劇の尚維衡なんですが。

ここにもまた陰謀説があって、本来ならもちろんその尚真王の嫡男『尚維衡』が王位継承となるべきなんだけど、尚円王の側室・華后にある讒言をされて追放。その側室との子であり尚宣威系とは全く血の繋がりの無い異母兄弟の弟『尚清』が王位を継ぐことになった。おそらくはオギヤカと華后の共謀で尚宣威系の血を完全に締め出したかったんではないだろうか。

そんなこんなで浦添に隠居することになった尚維衡が始祖となって始まったのがいわゆる『首里尚家』に対しての『浦添尚家』と言われる流れなんですね。

尚寧王はこちらの浦添尚家の流れなわけなんです。

そうなるともう、いちお王族血筋ではあるけど〜、王位継承なんて他人事だよね〜くらいの静観ぶりだったはずなわけ。

しかし!やっぱ歴史って面白いもんで、ここに来て時代の流れが王族の系統までをもひっくり返しちゃうんだよね〜!

尚真〜尚清の王朝時代は結構安定期で、外交貿易も順調だし、双方とも結構長生きして二人で約80年もの在位を誇った。ということは、それまでには正直結構な後継候補が出ているわけだよね。

事実、尚清王の次の継承者選びには結構揉めに揉めたらしいけど、遺言か何かが残ってて尚元王が王位を継承したと。

ちなみに尚真王の数多い偉業はよく知られてると思うけど、尚清王も後に守礼門となる外門を建立したり那覇港に倭寇という海賊たちから守る要塞、屋良座杜グスクを築いた人物でもあります。

その尚元王時代には、琉球が大活躍した大交易時代も徐々に陰りを見せ始め、時の世界海洋情勢も複雑に絡み合い島津との距離が結構近くなっていた。

そもそもは一国と一藩という、お互い尊敬し合ういい関係ではあったんだけども、逆に近くなり過ぎてお互いのパワーバランスを駆け引きしたり揉めたりすることも出始めたらしい。

しかし、相手はあの剛腕薩摩・島津だよ? 当時は九州全体を制圧するほどのパワーを持っている。

おそらく島津の内心は、

こんなちっぽけな琉球くらいウチの圧倒的武力を行使すれば正直屁でもないんだけどさ、明との貿易とか〜、アジアの交易とか〜、ウチらが持ってない美味しい源泉いっぱい持ってんじゃん? 

どうにか独占だけはしときたいんだよな〜。でもいうこと聞かねーしなー。ま、今は仲良くやってた方が得か? いざとなったら捻り潰そう!と思ってたのかもしれない。

逆に琉球の方は琉球の方で、

ちょっとちょっと島津さん、アンタたちさ、なんか時折チラホラ圧力見せつけて、俺たちパワーあんぞって顔するけど、アンタたち以外にも外交相手はたくさんいるしさ、なんといってもウチはバックに明さんいますからね。下手なことしてみー? チクってつぶさせちゃうよ? 

という感じのパワーバランスだったのではないかと思うわけです。

そんな折に、日本本土では激動の時代に入っていってるんですね。

信長が暗殺され、秀吉が明智を仇討ちし、そしてその勢いで秀吉はまさかの九州最大の島津までもを制圧して天下統一! そこからさらにまさかの朝鮮出兵まで企んでいる!

島津との付き合いが長く、その剛腕っぷりを知ってる琉球は島津制圧にびっくりするわけです。

え?あの島津さんやられちゃったの? 

え?まさかヒデさん、琉球まで攻めてこないよね?

なんて時代なわけです。

そんな矢先に外交関係の駆け引きがうまかった尚元王が亡くなってしまい、次の尚永が若くして王位を継ぐ。この世代交代あたりをきっかけとして急に双方のパワーバランスに狂いが生じ始める。

秀吉の支配下に落ちた薩摩がだんだんと上から目線になってきた。秀吉からの強烈なプレッシャーもあっただろうし、若く政治経験の浅い王に代わった今がチャンス!という目線もあっただろう。う。

そんな混乱の最中に尚永王は若くして亡くなってしまう。しかも尚永王には男の子がいなかった。

であれば、誰か希望者〜? 以前はあれだけ王位継承で揉めたやし? と言ったか言わんか知らないけど。 いや、この流れからいくと、尚永王の弟である『尚久』が継ぐべきだよね?となるはずなんだが、まさかの継承断固拒否!

こんな混乱の世の中で、島津とか秀吉とか相手に王位はちょっとごめん、無理!

と、思ったかどうかわからんけど、なんと自分の実の妹の息子である甥子、しかもまさかの浦添尚家の『尚寧』を推したということに始まるんですね〜。

実は尚寧は尚永王の娘と結婚もし、尚永王の娘婿であったことも大きいのかもしれない。

まさかの時代が生んだ浦添尚家に舞い込む王位継承アタックチャーンス!

このような複雑な時代背景が実は、王位継承とは縁遠かった浦添尚家の尚寧を王とさせ、その後のさらなる波乱万丈ストーリーに翻弄されていくきっかけになっていくのです。

その尚寧を推した尚久というのが、のちに自分の子供を国質という人質として薩摩へ取られた際に、その無事を祈り、無事戻れた際には首里にお寺を建立するとして実際に建てられたのが首里の観音堂。そして上り口説で歌われるあの歌の内容なんですね。

その後は皆さんご存知、社会情勢は戦国時代の中真っ只中、前途多難なんて言葉で片付けられないほど激動の時代の波を、尚寧王も琉球国も生き抜いていかなければならなくなるわけなんです。

尚久が王位を拒むほどに勘付いていたように、日本の激動のしわ寄せがジリジリと琉球にも近寄ってきます。

と、タイムアップで今日お伝えできたのはここあたりまで!

これでも実は伝えたかったことの1/5くらいかな(^^;

だいぶ絞って絞ってコンパクトにしたつもりけど、それでも内容的にはちょい硬すぎたかな〜と反省。。

とりあえずまだ後半部分には全然触れられていないので、ちょいもっぺん整理してみて、もうちょい軽めの内容でまとめられそうなら、次週も尚寧王パート2でいってみたいと思います♪

ん〜、自分が伝えたいことばかりでは内容が硬くなる。ギャグも放り込む余裕まで無くなってしまう。

しっかり意識して次回に挑みたいと思います♪

真面目か(゚ω゚)!

ワワワワケンロー!!


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E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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