ボスのラジオはウキウキウォッチング〜アチコーコーアチコーコーロックンロール!
ボス・テレフォンショッキングからの〜ワケンロールの輪!
てことで、今週からインビジブルRYUKYUもコロナ感染拡大防止のため、自宅からのテレワーク出演となっております〜!
ビデオ通話を伴わないテレワークなんてのは、10年以上前からやってきてるけど、さすがの顔出しテレワークってのは初の試みなんで、どうなることかと思ったけども意外とすんなりいけましたな〜(´∀`)
聴いてくれてる人がどんな感想だったのかによるけどね(^^;
とにかく今後しばらくはテレワーク出演が続くので、ボケる部分ももっと分かりやすいようにしていかないとな!と思っているとことです♪
今後ともィヨロシク〜!
さて、そんなこんなの本日のインビジブルは、
なんかこう、毎日暗いニュースでギスギスな感じだからこそ、こういう深い〜話でもいいのかなと。
ま、ネタ選びの最大のきっかけは、明日夜にQABで放送される『最後の米沢藩主・上杉茂憲 〜沖縄の民のため「義」を貫いた男』という番組に乗っかってではあるんだけどね(^^;
これだけやーぐまいを強いられる毎日、テレビを観る時間も増えていることでしょう。
であれば、この番組はぜひ!観てもらいたい!と思うわけです。そこから、今のこの状況に置いて、自分自身が今後何をどうしていくべきかということを考えるきっかけにもなればなと思います。
もちろんまだ自分も観てないので、どういった内容、構成になっているかは分かんないけど、得られる何かは結構大きいだろうと期待してます♪
さて、まずは皆さん、正直『上杉茂憲』って一体誰?っていうところだと思います。
実はこちらの上杉茂憲さん、沖縄県の第二代目県令、今で言う所の県知事なんです。
琉球処分が起きた1879年から2年後の1881年、初代県令の鍋島直彬から引き継ぎ2代目の県令に任ぜられる。
この頃の沖縄は、琉球藩の設置から廃藩置県、琉球処分というそれまで400年以上続いた琉球王国が解体され、実質的な日本への組み込まれ体制に入っていくというそれまでに無い激動の時代背景にあった。
沖縄内部でもそれこそ激動で、頑なに日本へ属することを拒み清国へ助けを求め、中には亡命する士族もいた。
清もまた、日本のその強制的な取り込み方を良しとせず、国家間で睨み合う緊迫状態が続くこととなる。
そこで日本は、その時代の支配階級にあった琉球士族の反発を和らげるために、彼らへの優遇措置・生活保障・徴税の継続許可を条件とした旧慣温存策を取るのです。
実はこれが更なる島民の格差を生み出し、高級士族以外の人々の生活はそれまで以上に苦しくなっていったと言われている。
そんな折に県令を任ぜられた上杉茂憲、早速島の各地を視察に周って島民の実際の暮らしを見て驚いた、と記録しているんですね。
掘っ建て小屋にみすぼらしい格好で生活する平民、支配階級士族からの重税に苦しみ芋やソテツを食べ、字の読み書きもできず、士族の子達と同じ教育は一切出来ていない。
ただ、人々は礼節に重んじ、目上の者は目下の者を敬愛し目下の者は目上の者を尊敬するという素晴らしい人民たちでもあるとも記録している。
正味2年しか赴任期間がないのにも関わらず、県令自らが沖縄本島の各間切を周って人々の話を熱心に聞き取り、生活の向上を目指し、離島は久米島、粟国、宮古、八重山にまでも足を運んで人々の生活に触れその苦しい実情を記録している。
その記録は『上杉県令巡回日誌』として今でも存在していて、当時の沖縄の様子を知るすごく重要な資料として残されているという。
以前に八重瀬町をインビジブルで取り上げた時にも、上杉茂憲が島内巡回中に『ハナンダー』の存在に驚き、そこからその存在が世に知られるようになったと伝えたこともありました♪
そして茂憲は、このままの島の人々の暮らしでは絶対にダメだと政府にことごとく惨状を訴え、それを煙たがられて2年で解任となったというが、それでも在任中に私財を投じて学校を建て、教育に力を入れ、生活の底上げ、県費留学制度をも立ち上げて、沖縄から初めて5人の留学生を東京へと送った。
その5人の中には、後に沖縄を大きく変え偉人と呼ばれるよになる『謝花昇』『太田朝敷』『高嶺朝教』などがいる。
日本に大きく遅れながらも、いわゆる沖縄を変えていく、沖縄の近代化を推し進める若者たちを育て上げた人物でもあると言える。
さらに上杉は、沖縄を去る際に自分の私財¥1500、県令の月給が当時¥200という時代なので給与の7.5ヵ月分も奨学金として寄付して郷里へ帰ったという。
そのため、米沢へ戻った際には旧藩主と言えども決して暮らしが潤沢とは言えず、宮中からの『桜を見る会』への招待があっても、夫人の正装を誂えずに参加を断っていたという話があるくらい。
そのくらい人々への、いわゆる『民』の生活への寄り添い、そしてどれほどまでに教育への力の入れようだったことが分かる。
なぜこんなにも? 県外の人間が沖縄のために力を、『義』を注いでくれたのか?
そこにまた深い〜インビジブルがあって、
日本の戦国時代を代表する武将で、上杉と言えば?
そう、あの武田信玄とのライバル関係にあり、戦術に長けに長けた軍神、毘沙門天の化身とも言われる『上杉謙信』!
もう上杉謙信だけでも何週分かのインビジブルネタをお届けできそうだけど、その上杉謙信の末裔なんですよね、上杉茂憲氏は。
なので、米沢藩の最後の藩主でもあったわけなんです。今でも上杉家は代々当主が受け継がれているけどね。
その上杉謙信、実は彼こそが『義』をものすごく重んじる武将で、自分たちの私欲のため『利』のためには決して戦う人間ではなかった。
実は謙信、幼少期からお寺に預けられていて修行に勤しみ、彼の思想の根本に仏道があったと言われる。
人々を守るために、忠義を守るためだけに戦い抜いた武将であったと。
そして『義』を礎とする『上杉家家訓』というのもこの時代にすでに確立されている。もう間違いないよね!
ここで一つユニークなエピソードとして、謙信の最大のライバルである武田信玄が同盟国とのいざこざで生きるために不可欠な『塩』の供給を止められたところ、塩が無いと民も救えないであろうと、敵ながらにも自分たちの塩を送ってあげたと言われる。
このことから、あの有名な諺『敵に塩を送る』という言葉が生まれたと。
武田信玄も、死の床につく際には、自分の子供武田勝頼に『何かあった際には上杉謙信を頼れ』とも遺言したとか。
それだけ周りから、敵からも人望があり、戦の天才でもあり、義を尽くす武将であった。
戦国ヒストリー好きに上杉謙信ファンが多いのにも納得いくよね(´∀`)
さらにその後も名門上杉家からは、豊臣秀吉の側近中の側近であり後に五大老と言われる『上杉景勝』、実は景勝の時代にはあの徳川家康率いる軍をも討伐せしめる好機すらあったが、そこでも景勝は『上杉家に退却する敵を追い討ちする戦法はない』と家康軍を逃したという話もある。
もしもそこで家康軍を討伐していたならば、その後の日本史は大きく大きく変わっていたことになる。その景勝を支えた参謀、同じく米沢藩出身で大河ドラマ『天地人』のモデルとなった『直江兼続』の存在も大きい。
それから江戸時代中期に財政逼迫・破綻寸前の米沢藩を、自身も身を削っての一汁一菜の大倹約と、それこそ民のための『義』を持って見事に藩を立て直した江戸時代屈指の名君と讃えられる第9代米沢藩主『上杉鷹山』も排出される。
彼は今や日本中誰もが知っている、
『なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬ成りけり』
という言葉を残し、 その生き様は彼の精神である『治者は常に民の父母であれ』と云う一言に集約され、後にあのケネディ大統領からも賞賛されている。
その名門中の名門、『義』を家訓とする上杉氏当主である茂憲が、時代の悪戯なのか、大混乱中の沖縄へ赴任となり、上杉家代々の教えを守り『民』のために汗水流し奔走し、その後の沖縄を大きく近代化させていくため大貢献をしていてくれたという話。
他にも米沢出身者で伊東忠太という建築家は、鎌倉芳太郎氏と一緒になって取り壊し寸前の首里城の保存に尽力してくれた方。
こう考えると、山形県米沢藩というのは沖縄にとってすごく縁のある地なんだなと思うよね。
コロナ明けにはぜひ行ってみたい場所の一つですね!
ワワワワケンロー!!
放送後の一枚は、まさかの自宅&ポマード無しのボスとお二人テレワーク姿!
来週からもロックンロールでかっ飛ばすんで、ィヨロシクロックンロール!!
E.KEMURA
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