Invisible RYUKYU 第87回目は『野嵩紹介〜ユニオンですから〜!』

Wandering Okinawa!

急に肌寒くなってきましたオクトーバー!!

周りにも風邪こじらせてしまった面々がチラホラと。体調管理には十分に気を付けていきましょう〜!

さてと、そんなオクトーバーインビジブルは、宜野湾特集第四弾!

宜野湾市『野嵩』をメインにその近辺のインビジブルをお届けしました♪

『野嵩商会』でピンと来た方はなかなかのツウだと思われますが、

本日のボス・アカペラシリーズでは、県民誰でも知っている『ユニオンですから〜♪』

を歌ってみましたね(^^;

なんでかって言うと、沖縄を代表する、台風時にも頼りになるというスーパーユニオンは、

本社の名前が『野嵩商会』って言うんですね〜(´∀`)

そう、単純なんだけど、その本社が野嵩にあるんです♪ 宜野湾市役所のすぐ裏手。

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元々は野嵩売店から始まり、今や県内各地に20店舗近くのユニオンを構えるまでに成長した沖縄に根ざしたスーパーなんですね♪

と、野嵩と聞くと、宜野湾市民であれば、あ、市役所があるところね(^^)

とほぼほぼの位置情報はイメージできると思うけど、市民以外となると、おそらく、ん?宜野湾のどの辺だったっけ?っていうイメージじゃないかなと。

宜野湾といえば、やはり普天間が最も知名度あって、それこそ長年中部を代表する街でもあった。

宜野湾村から宜野湾市に昇格する際にも、普天間市になるか宜野湾市になるかで争ったほどだ。

であれば、市役所も普天間にあった方がいいんじゃない?と言う話になりそうだけど、実際は普天間のすぐお隣ではあるけど野嵩に役所がある。基地問題なども大きな影響があってだとは思うけど。

しかし実はこの野嵩、かなり波乱万丈な歴史を辿って来ていたわけんですね〜。

時は第二次世界大戦、沖縄では米軍の上陸後、次々と民間地も襲撃され宜野湾も激しい地上戦が繰り広げられた場所でもありました。戦後には土地を奪われ普天間飛行場やキャンプフォスターなど、今も地元の土地へ戻れないジノーンチュもたくさんいます。

そんな中、野嵩に関しては比較的戦禍をま逃れた場所として、家屋などもダメージを受けながらもある程度残っていたりしたようです。

そこで、米軍によって捕らえられた住民たちがその野嵩地区の残った空き民家へ送られ、一つ屋根の下に多いところでは10家族もの人数が過ごさざるを得ない状況だったとか。

さらにその後も各地から送られてくる住民の数がどんどん増えてきて、野嵩一帯を大型収容所施設として設営。

北部の収容所などへ送られる際にも、野嵩は中継地点として人々の行き来が激しく重要なポイントになっていったとのことなんです。

普天間高校の前身も実は『野嵩高校』と言って、当時は役所の裏側にあった。

と言うことで、野嵩には今でも収容所当時の面影が残る史跡がいくつもあって、それをいくつか紹介しようと思うわけです。野嵩商会だけに、って笑いはいらんね(^^;

まず、エリア一帯を散策してみるだけでも、民家の敷地に大きな井戸が残っていたり昔の面影が多くのこる場所で、当時の想いなんかを噛み締めることができる気がした。

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そしてとある一角の民家の壁、ヒンプンに、32と書かれた不思議な数字を見つけることができる。

実はこれ、収容施設当時に米軍が住居管理の目的で壁に書いた数字。いわゆるハウスナンバー。

今ではこの一箇所だけしか現存してないという。

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ただ、今では当時の家自体が残っているわけではなく、壁だけを残してくれている感じなんだけど、周りには新しい家が立ち並ぶエリアに置いて、すごく貴重な戦争遺跡なんじゃないかなと思う。

さらにそのすぐ近くには、これまた新しい家が建ち並ぶ中、すごく古風な屋敷が現れる一角がある。

古風な屋敷と言っても、今で言うところの古民家のような佇まいで、立派な赤瓦にアマハジ、一番座、二番座などのある作り。

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ただその建物、琉球屋敷調にしては少し異様とも取れる西洋風な街灯が家の柱に掛かっているんですね。

これもまた興味深くて、実はこの屋敷、野嵩が収容所であった時代に米軍に摂取され、MP、いわゆるミリタリーポリスの事務所として利用されていた建物だという。

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それで妙に西洋風な雰囲気も醸し出しているわけだ。

もともとこの家は大きめの屋敷で、築90年ほど経っているという。それが様々な波乱万丈な歴史を経て今尚歴史の証人的な役割を果たしてくれている。

ただ、これらの野嵩の住宅に関する史跡は、現在一般の方がお住まいになっているので、見学するにしても住人の方に迷惑のかからないよう、マナーをわきまえた上で見学するようにしてください。

詳しい話を聞きたい場合には、まず博物館や市役所に問い合わせてみてからにしましょう。

そして野嵩にも宜野湾が誇る湧き水がいくつかあって、特にクシヌカーは琉球時代から生活に欠かすことのできない大事な水源でした。その豊富な水源も、収容所時代にはあまりの人の多さに不足してしまうのではないかと心配されるほどだったと。

さらに米軍の日常的なランドリーとしても使われ、地元の女性たちが多い時には一日500着以上もの米軍の衣類をこのカーで洗濯していたという。

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最後に、時代をだいぶ遡るけど、野嵩には野嵩石畳という宜野湾市の指定史跡になっている石畳もあって、時は1400年代、護佐丸・阿麻和利の乱で阿麻和利に破れた護佐丸の妻子が中城城からこの石畳を登って逃げたという伝説がある。乳母という説も強い。

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その子供が後に豊見城親方盛親となり、いわゆる琉球の名門中の名門・門中『毛氏』として栄えていくことになると。

護佐丸の血を継いでいる方々にとっては、この石畳坂を登って逃げてくれた母もしくは乳母への感謝が尽きない場所なのかもしれないね♪

と、現代ではちょっとマイナーな地区かなと思われきや、これだけインビジブルの隠れている『野嵩』でした!

放送後の一枚は、こっこはオキナワ〜の和!!

ワワワワケンロー!!!

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E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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