光の国から僕らのために、来〜たぞ我ら〜のウ〜ルトラ〜ソーキ!!
ってふざけすぎたさーやロックンロール(´∀`)
この歌を知ってるのはどれくらいの歳までなんだろうか?
昭和生まれならかろうじて知ってるのかね?
そう、昭和を代表するヒーローの中のヒーロー!
あの初代ウルトラマンのテーマ曲ですね(´∀`)
今でもシリーズは続いてるのかな? 日本人なら誰でも知ってる、ゴジラにも引けを取らない日本を代表するキャラクター『ウルトラマン』
実はその生みの親は、南風原町出身の人間
金城哲夫氏
なんですよね(´∀`)
ウルトラQに始まり、ウルトラマン、ウルトラセブン、帰ってきたウルトラマンまで全体的なテーマの方向性、ストーリー性、キャラクターの創出を担当。
金城氏が担当した放送回のシナリオはファンからの人気も高く、シンプルなストーリーの中に実は社会問題だとか時事問題、環境問題などのメッセージが送り込まれている。
特に意味深なのが、ウルトラマンシリーズにてハヤタ隊員がメフィラス星人から「貴様は宇宙人なのか?人間なのか?」と問われるシーンで、自分自身のウチナーンチュと大和ンチュの狭間に立たされている疑問が映し出されているのではないかと言われていたりもする。
そこで金城哲夫氏の人生について少し振り返ってみたい。
金城哲夫氏は1938年に東京で生まれるが、生後すぐに沖縄に戻り中学校までを沖縄で過ごす。
その後那覇高校を受験するも不合格となり、母親の進めで東京の玉川学園に入学。
ここから彼の人生が劇的に変化を遂げ始める。
学生生活の中で恩師上原輝男と出会い、ここからモノを書くこと、脚本などに興味を持ちシナリオライターを目指すようになる。
そして上原輝男の紹介でゴジラなどの特撮で有名な円谷プロの指導を受け、入社。
入社後28歳の時に特撮ドラマ『ウルトラQ』の脚本を任され、大ヒット!
その後ウルトラマンシリーズはさらに大ヒットし、金城が生み出す怪獣の数々やストーリーが社会現象にもなり怪獣ブームを引き起こした。
中には『ザンパ星人』や『チブル星人』など、ウチナーグチから生まれた怪獣も飛び出す♪
常にウチナーンチュとしてのアイデンティティが奥底にあって、幼少期には沖縄戦も体験している、沖縄の置かれてきた屈辱も味わっている。時にそんなメッセージ性も含まれたストーリーが映し出されることが、今でも多くのファンを持つ金城のシナリオ性なんだろうなと思う。
その後、自分の中でのオキナワンアイデンテティーがさらに高まり、沖縄のために何かをしたいという思いで円谷を退社し沖縄の南風原に戻る。
沖縄では脚本の仕事はもちろんのこと、ラジオパーソナリティやテレビの司会なども務めお茶の間にも認知される存在となっていった。
しかしその一方で、自分が本土戻りでどこか沖縄の人間になりきれない、地元の人たちに認めてもらっていないのではないかというもどかしさがあったという。
さらに海洋博での演出の仕事を任されるも、自然環境を守りたい地元の漁師さんたちとの溝を埋めきれず、
さっきのメフィラス星人の問いかけのように、沖縄のためを思えば思うほど現地の人との距離的な感覚だとか自分の存在に自問自答する日々が続いたんだとか。
そんな矢先に不慮の事故でこの世を去ってしまう。
享年37歳、ホントに沖縄のことを愛し、まだまだまだまだやれること、沖縄の変化成長のためにできることがたくさんあったんだろうなと思う。
そんな金城哲夫氏の書斎が、南風原の実家でもある松風苑の離れに今でも残されていて、予約をすれば見学もできる。
金城哲夫の想いが溢れ出てくるかのような雰囲気、ウルトラマンファンならずとも、彼のメッセージを感じに足を運ぶことをお勧めします。
それと、人生はホントに何がどうなるか分からない。仮に金城哲夫が那覇高校に受かっていたらウルトラマンさえ生まれてなかったのかもしれない。
失敗かと思ったことが、その後の人生のターニングポイントだったんだという話はよく聞く話。今失敗で落ち込んでる人がいたら、この失敗が成功へのターニングポイントだと思って、前を向いて欲しい!ということも教えてくれる。
それと! さらなる南風原の偉人といえばこの人も!
あのライト兄弟よりも先に空を飛んだと言われる『飛び安里』!!
時は1700年代後半ごろ、花火師として琉球王府に支えていた安里家は若干裕福な家柄ということもあって南風原へ移住後、数代に渡って空を飛ぶという夢を追いかけた。
飛行機器の制作に失敗の連続でも諦めず、周りからは変人扱いされてもめげず、試行錯誤の末に鳥のように羽を羽ばたかせる機器を作り上げ空を飛んだと言われている。その大きさ、翼が9mもあったというからスゴい!
で、その飛行現場となったのが南風原の高津火山であるという。
高津火山の中腹には記念モニュメントも建てられていて、この辺りからチャレンジしていたのかな〜という想いが込み上げる。
飛行機の原型や設計図も1900年あたりまで保管されていたらしいけど、焼けて無くなったとの話。
しかし! 近年有志によって実物大再現モデルが制作されて、実際に飛行に成功したという!
さらにその1/2モデルのレプリカも制作されて、現在南風原町役場に展示されている!
ただ、、役所が来る参院選の期日前投票所にもなるために、選挙が終わるまでは別室で保管しているということで、自分が見たのは保管室での様子でした(^^;
代わりに役場の方からお写真お借りしてます♪
という南風原の偉人お二人を紹介しましたが、飛び安里とウルトラマン、もしかしたら南風原という地で『飛ぶ』という接点はあったのかもしれないね。
ウルトラマンが飛んで宇宙に帰るのも、飛び安里にインスパイアされていたとしたら、カッコいいんじゃん!?
南風原サイコー!ってね!
という感じの南風原第三弾、最後の一枚はやっぱりスペシウム光線で!
AD染くんにそれっぽく加工してもらいました(´∀`)
ワワワワケンロー!!!
E.KEMURA
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