Invisible RYUKYU 第70回目は『慰霊の日を迎えての南風原町』

Wandering Okinawa!

梅雨の6月、ここに来て本格的に梅雨っぽくなってきましたね〜。今日は各地洪水警報が出たほど。。

そして6月といえば、沖縄ではとても大切な日がありますね。

そう6月23日の『慰霊の日』、今年の慰霊の日はちょうど日曜日に当たっていますのでね、しっかりと家族揃って、または知人同士で、もちろん1人で色々考えてみることも大事、この日の意味を考えてみましょう。

というところにも関連してね、今週のインビジブルは『南風原』と『戦争』についてお届けしてみました。

県内各地、至る所で戦争の爪痕が残り、至る所に酷く生々しい話が残るわけだけど、ここ南風原町にしても首里の日本軍司令部のすぐ南ということで、当時から軍事的にも重要なポイントとして位置付けられていました。

(実はそもそもの軍司令部は南風原の高津嘉山に設置される予定だったとも言われ、今でも手付かずの壕が張り巡っているとも言われる)

その最たるものが『沖縄陸軍病院』、黄金森と呼ばれる小高い丘に日本軍によって沖縄戦に備えた陸軍病院壕が構築される。

壕の中には細かいトンネルが無数に張り巡らされ、沖縄戦が始まると数千名の兵隊が後から後から運び込まれる、しかし設備や薬が乏しいなか満足な治療はできず、麻酔のないままの手術、手足の切断なども常習的に行われたという。

やがて米軍の侵攻が進む中で、沖縄陸軍病院機能は南部へと撤退することに。連れていけない重症患者は、青酸カリによる自決を強要されるなど、多くが悲惨な最後を迎えたとのこと。

戦後長らく壕はそのままの状態にあったところ、南風原町によって沖縄戦の悲惨な記憶を伝え継ぐために、1990年に沖縄陸軍病院南風原壕群を文化財に指定、2007年には陸軍病院壕群の中でも保存状態が良好であった20号の一般公開に至る。それが『沖縄陸軍病院 南風原壕群20号』であり、第二次世界大戦の戦争遺跡を文化財に指定したのは日本全国で初のことだった。

現在、予約制で平和ガイド付き添いを原則としてヘルメットや懐中電灯を持参した上で20号の壕内を見学できるが(だいたい20分くらい)、ちょっとどうしてもハードルが高いという方には、同じ黄金森公園の敷地内にある『南風原文化センター』にて陸軍病院の様子を再現した壕のレプリカの見学をお勧めします。

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そこでは壕内から出てきた薬品・日常品、武器弾薬、生き残った方の証言なども展示されていて当時の悲惨な状況を目と肌で感じることができる。

当時沖縄陸軍病院では、丘のふもとにある炊事場で調理をおこなっていた。炊き上がった飯や汁をタルにつめ、二人一組で担いで丘の上まで駆け上がっていた、しかしこのルートは米軍の標的とされやすく激しい銃撃・砲撃を受け、ここで命を失った「ひめゆり学徒」も多数いる。

この危険をくぐり抜け食料を運び命をつないだ道は『飯上げの道』として残され、今は整備もされて実際に歩いて登っていくこともできる。

南風原文化センターすぐ隣から登っていける

南風原文化センターすぐ隣から登っていける

その過酷さぶりを実際の自分の足で踏みしてめ感じてみることも大いに大事だと思う。

現在はかなり整備もされていて、階段での上り下りが可能

現在はかなり整備もされていて、階段での上り下りが可能

それと個人的に結構衝撃だった南風原の戦争跡としては、津嘉山の集落のとある民家の外壁で、戦時中の銃弾の弾痕が今でもハッキリと残っていて、、その生々しさったら無かったこと。戦後70年以上経っても、身の回りにこれだけくっきり戦争の爪痕ってのは残っているんだなと。

生々しい弾痕の数々

生々しい弾痕の数々

そして先ほどの南風原文化センターでは、戦争当時の悲惨な記録を資料展示しているのと同時に戦後からの復興を遂げる昭和な風景、庶民の暮らしを家屋そのもののレプリカで再現、また駄菓子屋の様子だとか本物のジュークボックスなんかも展示されていて、戦後どのように人々が暮らしてきたのか、どういう娯楽があったのかなども知ることができる。

さらに南風原は移民のムラとしても名高く、ハワイ、北米、ペルー、ブラジル、アルゼンチン、ボリビアなど世界で活躍する移民を数々送り出してきた。その移民展示室も充実していて、南風原の見方がまた一つ大きく変わるきっかけになるはず。

それと最後に、南風原がどれだけ昔から重要なポイントだったかを知る大きな証拠も。戦前に沖縄で走っていた軽便鉄道という鉄道は結構知られた話だけど、全22駅のうち、その中の5駅もの駅がこれだけ小さな南風原に存在していたという。そこからも南風原がどれだけ交通の重要ポイントだったかを知ることができるよね。

南風原、やはり地元愛が強い地域だというのも納得できるよね、という話でした!

一人一人がしっかりと考える時には考える、受け継ぐものはしっかり受け継ぎ後世に伝える、ネットだけじゃなく自分の目で見て聞いて感じることってすごく大事、それが平和への1番の近道なのかなってね。ロックンロール!!!

放送後の一枚、今日は悪ふざけなく、慰霊の日には各々で戦争と平和を考えようね、というポーズで締めました。

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ワワワワケンロー!!


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E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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