Invisible RYUKYU 第59回目は『読谷パート4・知られざる読谷の戦跡』

Wandering Okinawa!

ハイサイロックンロール!!!

今日は3月最後のチューズデー、

ということは、、

これまで一年ちょいを一緒にコーナーさせてもらっていた、あおまきさんとひがやすとの絡みが今日で最後という事。。

ん〜、残念(;△;)ですが、、人生とは常に出会いと別れの繰り返し!

別れを別れと思わなければ別れじゃない!ロックンロール!!

ということで、薬師丸ひろ子のセーラー服と機関銃でオープニングやっちゃいました!

さよならは別れの~言葉じゃなくて~ってな!?

お二人の今後のますますの活躍を願い、最後の生放送を楽しませていただきました!!

してワタクシ・ボス・イケムラの今後は??

それがなんと、、ワタシのコーナーは居残りで次週以降も続けられるようなんです!

誰と誰とのやりとりなんでしょう!?

それはまた次回のお楽しみに(´∀`)

という事で、今回の放送までは読谷のインビジブルをお届けしました!

読谷村、今でこそ日本一人口の多い村として有名で、残波岬、紅芋、やちむんなどなど色々な観光資源でも観光客を楽しませていますね〜。

しかし、歴史を辿れば辿るだけ知っておかなければいけないなという史実に直面します。

その辺りの、『知られざる読谷の戦績』というテーマで今夜はお話させてもらいました。

まず、太平洋戦争末期に沖縄戦とも呼ばれるほどの沖縄上での悲惨な戦争がありましたね。

その戦争において、米軍が沖縄本島に初めて上陸したのは読谷の比謝川河口付近だと言われている。

河口付近の泊城公園にもその様子が書かれている石碑なんかもあります。

当時、読谷には戦時中に日本軍が建設した『北飛行場』という飛行場があって、アメリカ軍上陸後その飛行場もすぐさま制圧され、後に『米軍読谷補助飛行場』として稼働する事になる。

それが今、読谷軍用地跡地開発の中心地であり、広々とした土地に役場や運動公園などがある場所。

あの1直線に伸びる広い道路は滑走路の名残なんだよね。

今では飛行場としての面影はないけど、その近場にかなり歴史的に興味深い史跡がひっそりと残っている。

運動公園のすぐ裏に、高さ5m、幅20mほどの『掩体壕』と呼ばれる当時の日本軍の戦闘機を格納していた格納庫がどうにか一基だけ残っているわけ。

掩体壕と呼ばれる戦闘機格納壕

掩体壕と呼ばれる戦闘機格納壕

これは日本軍によって建てられ(国場組が担当もしたらしい)、占領下の元ではアメリカ軍にも利用されていたとのこと。

それが今でもこうやって残っている。見ておくべきだね〜。

戦後一時は読谷の90%以上が米軍基地として占領されて、軍の施設として利用されていた。

現むら咲むらから宇座海岸にかけてのサトウキビ畑が広がる沿岸沿いは、米軍上陸後すぐにボーローポイントという飛行場も新たに建設され、日本本土への侵攻基地となった。

しかしその後の日本の降伏を受け、嘉手納基地の増強もあって飛行基地という機能ではなく、砲撃訓練場として使われるようになった。

座喜味城も戦後は米軍基地として使われていたこともあるし、残波エリアも射撃訓練場として使われていたという。

日本復帰後、ようやく土地の返還も進み60%くらいは戻ってきたが、30%以上はまだ軍の施設が稼働している。

そういうこともあってか、もしかすると村の整備が他の地域と比べて遅れてしまい、今一気に人口が増え始めている時期で、急成長に伴い日本一人口の多い村という形に行き着いているのかもしれない。

さらにそういうことにも関連してか、歴史的にも戦争の爪痕がかなり多い地域で、手のつけられていない昔のままのガマや史跡や戦跡も多い。

やはり一度は自分の目で見て感じて欲しいのが、戦時中に地元の人間が身を隠すために逃げ隠れていた『チビチリガマ』と『シムクガマ』。

その目の前に立つとね、一気に時代がタイムスリップしてしまうかのような雰囲気を肌で感じる。

張り詰めた空気感の中に、平和であることのありがたさを自分の肌で身を以て感じることができる。

チビチリガマはほんと普通に車が通る道路のすぐ側にあって、それでもガマに向かって降りていくと一気に全く違う場所、違う時代に来てしまったかの錯覚に陥るほど。

今は親族以外立入禁止となっています。

今は親族以外立入禁止となっています。

川も流れていて、戦争前には人々の憩いの場、生活に欠かせない場だったんだろうな〜というのも感じる。

川が流れるガマ

川が流れるガマ

『シムクガマ』の方は、ちょっと分かりにくい場所にあって行き着くのが難しいくらいなんだけど、ここも時間あればぜひ探し出してでも行って欲しい。

森というか茂みの中を入っていくんだけど、これまたガマを目の前にした瞬間に圧倒されるというか、ここでも人々は戦時中に恐ろしい思いをして身を寄せ合っていたんだなと思うと、そういうことって2度とあっちゃいけないよなって。

結構分かりにく場所にある

結構分かりにく場所にある

ここにも川が流れていて、やはり戦時中には水が確保できて身を隠せるガマというのが数多くの人々を救ってくれたんだなと。

この水がたくさんの命を救って来たんだな〜

この水がたくさんの命を救って来たんだな〜

大きいガマだけど、、1000人ともなると。。

大きいガマだけど、、1000人ともなると。。

よく言われるのが、この『チビチリガマ』と『シムクガマ』の違いで、双方近くに存在しているんだけど、

チビチリガマでは米軍に捉えられるよりはと、親が子供を殺してしまうというような惨すぎる集団自決が起きてしまった。

後に戦没者を悼み、永久平和を祈念して「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」を建立しています。

平和の像が建てられています

平和の像が建てられています

逆に『シムクガマ』の方では、1000名ほどの住民が身を潜めていたが、いよいよアメリカが攻め入って混乱がピークになりかけたときに、ハワイからの帰国者がアメリカーは人を殺さないよ〜と住民をなだめて、1000名もの命が助かったという話。

実際に行ってみたいけど、まだちょっと、、という方には、最近オープンしたユンタンザミュージアムに、当時の様子をジオラマで表現したスペースもあるので、そちらから見て学んでみるのもいいと思う。

ということで、読谷パート4までお届けしまして!

あおまき&ひがやす&ボス・イケムラで撮る放送後集合写真はこれでラストとなりますが(;△;)

最後の一枚は飾ることなく、Good Luck!ということでのサムズアップポーズで!ワケンロー!

最後の一枚は飾ることなく、Good Luck!ということでのサムズアップポーズで!ワケンロー!

インビジブルRYUKYUはまだまだロックンロールでやりきって参りますので、今後ともィヨロシク〜!!

あおまきさん、ひがやすくん、ホントにありがとう!! アナタ達のおかげで、こんなワタクシのコーナーも1年間も持ちました!

今後のお二方のご活躍、大きく期待しておりまーす!!!

ワワワワケンロー!!!!


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E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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