先日ですね、糸満の帆掛(フーカキ)サバニ振興会の玉城事務局長という方をフレンズアブロードの長嶺さんから紹介されて、お会いしたんですよ。
なんでも、伝統あるサバニ、そしてサバニ製造技術をしっかりと後世へ伝えながら、海洋エコロジーとも捉えられるサバニを糸満の観光プログラムと結びつけて糸満を活性化していきたいんだと。
そのために現在いろいろとサバニに関する資料作りをしたり、後継者の育成を図ったり、各種イベントを企画したりしているんだと。
そこで、より細かなサバニに関する情報、写真資料などを探している中で、とある記憶が蘇った。
戦後間もない頃、糸満は今よりも遥かに漁業を主体として市場が栄え、糸満ハーレーや糸満大綱曳きもスゴい賑わいであった。
そういったお祭りの際には那覇を凌ぐほどの盛り上がりを見せ、米軍関係もこぞって糸満まで遊びに来ていたという。
さらに、戦跡ツアープログラムも次第に確立されていき、南部戦跡巡りをする外国人も多くなってきていた。
当時はまだまだ戦後復興が追いつかないころ、ウチナーンチュがカメラなんて持っているはずもなく、そのころの写真資料はなかなか揃えられない。。
がしかし、当時すでに外国人たちはカメラを持ってパシャパシャと現地であったりウミンチュ、アンマーたちを撮っていたという記憶があると。
その事務局内で当時を振り返ると記憶が蘇り話が盛り上がった!とのこと。
そう、事務局の方々は結構ご年配の方々で、戦後間もない頃やんちゃに遊んでいた世代(^^;
となれば!
そういった写真を今でも大事に保管している当時沖縄に滞在していた軍人たちが割かしいるのかもしれない!
今でも沖縄に住んでいる退役軍人もいるかもしれない、
今住んでいなくとも、今やこういう時代、インターネットやSNSで情報を世界に発信して写真を募れないか?と。
そこで、我々の本業であるメディアを通して呼びかけてみてはどうかと。
なるほどなるほど♪
もうね、そもそも個人的にも昭和だったり50’s だったり、なんでか分からんけど古いもの、古い時代・ノスタルジーに強いロマンを感じるワタクシ E.EKEMURA(^^)
なので、Facebookなどでも当時の沖縄の様子を投稿してくれているページやグループなんかの写真を見るのは好きで、そういう可能性は多いにあるな!というのはほぼほぼ確信はしています。
ただ、糸満に限定して、なるべくであればサバニであったりウミンチュの写真を、となるとどこまでサポートできるかは分かんない。
けれども、それで彼らの助けになり、伝統文化継承の活動に関われるのであればぜひ出来る限りのことはサポートさせてもらいたいなと♪
で、今すでに出来上がってる資料、コレ読むだけでも知らなかったことたくさんあるな〜!とまた刺激を受けております♪
すでに継承事業、復興イベントなどは定期的に行なっているようで、月に一回サバニ乗船体験も行なっているとのことですよ!
自分もいつか乗せてもらおう〜!
今や糸満の伝統的なサバニを造ることが出来るのは、沖縄広しといえどたった二人しかいないんだって。
んでも、この技術は世界的にも評価が高くて、フランスはブレストで毎年行なわれている世界帆船フェスティバルにも参加しようと動いているらしい。
確かに、そんな世界的な大会で高評価を受けいい結果を出せば、世界から一気に注目される船になり技術にもなるわけだからね。
『サバニ』、ウチナーンチュならハーリーの船だよねとか、昔のウミンチュの船だよねとか、そういうことは知ってはいると思う。
でも、もともとはこの『サバニ』、『サバ(サメ)』を捕るための『ブニ(船)』が短くなって『サバンニ』、そこから『サバニ』になったんだって!
琉球王朝時代、サメのフカヒレは中国との交易品として重宝されていたらしく、そのサメを捕る為の漁を糸満のウミンチュは王府から認められていたとのこと。
その当時からウミンチュの街なんだね〜糸満!
次回の号は糸満ハーレー手前の号なので、糸満を特集することが決まっていただけに、より面白いネタが書けそうだな♪
ということで、何かしら情報お持ちの方、興味のある方、ドシドシお声掛けください!
糸満ウミンチュワケンロー!!!
糸満帆掛サバニ振興会フェイスブックページもありますよ♪
E.KEMURA
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