旅の出立ち〜観音堂♫ by 上り口説
今年もスタートはもちろんこちらから!特に巳年だしな!
さ〜一気に気分も変えてロックでいくぜ!
首里観音堂は、薩摩との摩擦が激しい時期に敢えて王にならなかった尚久(金武御殿)が、自分の息子「尚豊」(四男)が薩摩から無事帰ってこれたことを祝って建てた寺院。
この時節、ものすごく大事。
尚久が即位を拒んだことで、直系ではない尚寧がまさかの擁立。
尚寧即位によってやっとのことで王権を奪還した浦添尚家と、薩摩侵攻後、尚豊を推してなんとしてでも復権したい首里尚家とのバチバチの体制。
それを見て取れるのが、尚豊の妃が「尚寧弟・尚宏の娘・我謝上森按司加那志」ということ。
尚寧は自身に子がないため、その尚宏娘と尚豊との息子・尚恭を次期王として定めていた。(自分の姪の子であり浦添血筋が残る)
がしかし、尚寧王崩御後、尚恭はまだ幼すぎということで、その父である尚豊が王位に就く。
だが尚恭は王位に就く前に20歳の若さで他界。その弟である尚文も病弱ということで王位には就けず。(この辺がとことん怪しい)
最終的に尚豊の後を継いだのは、我謝上森按司加那志の血が入っていない、夫人・涼月との子である三男尚賢、そしてその次に尚賢弟の尚質が王位に就くのだ。
おそらくこの頃の王位継承争いが泥沼化してたんだろう。血で血を洗うこともあったのではないかと思う。毒殺とか。
そんなタイミングで、あの羽地朝秀は自身の妹を尚質王の妃として嫁がせ、王の義兄となり国を大きく変化させていく。
ちなみに羽地も浦添尚家筋なのである。
尚寧は、歴代国王に習うことなく玉陵には葬られず、浦添ようどれに眠っている。もう一人玉陵に眠っていない国王・尚宣威も、というか尚宣威こそ、浦添尚家のルーツである。
The following two tabs change content below.
E.KEMURA
代表 : 株式会社 琉球Press
沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
最新記事 by E.KEMURA (全て見る)
- 『墓を学ぶではなく、墓で学ぶ』 - 01/11/2025
- 旅の出立ち〜観音堂♫ 2025始まった! - 01/01/2025
- さらば2024!迎えるは年男・巳年の2025! - 12/31/2024