Invisible RYUKYU 第90回目は『ハンビータウンの前身、ハンビー飛行場を探る』

さて! 今週からは北谷のインビジブルを紹介していきたいと思います♪

まず、北谷町と言えばイメージするのは?

もちろん!沖縄を代表するお笑いブラザーズ、知念だ兄弟ですよね!弟に『だ』は要らないか。

いや、北谷といえば今ではすっかり沖縄を代表する観光スポット、若者や観光客が集まるショッピングエリアとなっていますよね(^^)

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特に美浜地区は埋め立てで出来たまだまだ新しい街で、未だどんどん開発の進む発展途上にあるエリアなので皆さんにとっても進化を見届けながらという感じでイメージしやすい場所だと思います。

しかし、これだけ近代的な発展が目覚ましいということは、何らかの理由があってということでもありますね。

その辺りから深掘りしていこうと思います♪

まず、北谷町は今でこそ面積的には小さいイメージがあると思います。

もちろん米軍基地に大幅に土地を摂取されているからというところもあります。

何せ、町面積の50%以上が米軍基地に占められている現状です。

キャンプフォスター、海軍病院のあったキャンプレスター、嘉手納基地にもまたがって米軍施設に土地を利用されています。

しかし、実はその昔、北谷は北谷間切というかなり大きな行政区で今の嘉手納や、野國総管で有名な野國村、千原エイサーで有名な千原あたりも戦前までは北谷村の一部だったほどなんですね。製糖工場で有名だった軽便鉄道の北の終着駅『嘉手納駅』も実は北谷村にあった。

戦後、米軍に大幅な土地を占領された上、嘉手納基地の大幅な拡張によって村が二分されてしまい、やむなく後に嘉手納が分村したという経緯があるんです。

その上、過去には今以上に北谷には基地があり、その跡地を始めとして現在の商業施設へと生まれ変わっていっている歴史になっているんですね。

まず名前から察することができると思いますが、

ハンビータウンと称される、北谷ブームの発端となったエリア、

あの一帯はその昔、ハンビー飛行場というアメリカ軍のコンパクトな飛行場があった場所なんですね。

それが起因して昭和56年の返還後にハンビーエリアとなった。もともと飛行場だったというだけあって、ホントにまっさらなところからの土地開発となり、やはり他とは少し違った街づくりが見て取れるよね。

そのもっと昔あのエリアは、北谷を代表する農作地帯であった。実は軽便鉄道もあの一帯を走っていて、今でも軽便橋という橋が普天間川に掛かっている。車が通れる橋ではなくて、住宅街の中にある。

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ただ実際には、北谷の海側はほぼ商業地域なイメージなので、どこからどこまでがハンビーエリアで、どこからが美浜エリアなのか分からないって話もあるかもしれないけど、この北谷にある川を基点に見てみると分かりやすい。

実はハンビーエリアは海に飛び出る出島みたいな地形になっていて、川と川で挟まれている。

その一つがこの普天間川で、宜野湾バイパスから北谷むけに行く際に、58に出ずに裏の海沿いの道があるでしょ?

あの道を通って行くとニライ橋というステンドグラス調の施された橋がある、

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その下が普天間川で、この橋の一個上流の方にさっきの軽便橋がある。

で、このニライ橋を渡った向こう側、58号線から海にかけての土地全部がもともとのハンビー飛行場。

で、終わりはどこまでかっていうと、そのまま突っ切ってアラハビーチも抜けて、北谷ドームすぐ手前の美浜橋が掛かる白比川まで。

これだけの土地全てが飛行場施設だったんだよね。

海沿い歩いてみるともっと分かりやすい、その、元ハンビー飛行場だった土地の端から端まですべてが遊歩道になっている。地図で上から見てみても境目がなんとなく分かる。

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で、一つ面白いのが、現にハンビーという住所は無いけども、ハンビーエリアにある郵便局は『ハンビー郵便局』という名前になっている。

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ビルとか建物内ではないカタカナ表記の郵便局は全国でも珍しい。

ハンビーナイトマーケットも一時期は沖縄の観光一台スポットで、売っている品々もすごいアメリカンで異様な雰囲気醸し出してたよね。

そのハンビーエリアからさらに北側、今の美浜エリア、美浜エリアは完全に埋立地であるんだけど、その付近にもメイモスカラー射撃場という訓練場もあった。

美浜から58添いに出る際に一本の中道があるでしょ、あのあたりがそうだった。

そしてそのハンビーや美浜から58号線を挟んだ向かい側は、今でも米軍基地が大部分を占めている。

このエリアにはもともと北谷の集落がいくつもあって、特に今の北谷交差点あたりは米の産地で豊富な農作地帯、田園風景も見事なものだったようです。

戦後、その土地が摂取されると集落は追いやられ、住む場所を無くしてしまった住民たちがどうにか悪条件の中でも山間を切り開き、限られた中にも密集して集落を作り上げてきたのが謝刈エリアなんですね。

沖縄公文書館所蔵

沖縄公文書館所蔵

あれだけの高低差ある斜面の中に色々な工夫をして建てられている宅地には、今でもその当時のたくましさを垣間見ることができる。

また当時の賑わいをイメージさせることができる映画館跡などが今でも残っていたりする。

そういった経緯を知れば、58の謝刈交差点から沖縄市に上っていくあのグネグネった急カーブだらけの坂道の謎も解けるよね。それがあの謝狩公園からの素晴らしい景色にも繋がっていくわけだ。

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そして、しゃかりのチアキさんが謝刈出身で、謝刈の読み方をアレンジして『しゃかり』としているのも有名な話♪ 謝刈地域の方々、北谷の方々にとっても誇りだろうね♪ というところの今日のオープニングアカペラは『しゃかり』の『空の風』だったというわけなんです♪

というような北谷町の歴史について少し学んでみたけど、まだまだ面白いインビジブル色々あるので、続編もお楽しみに!

毎度放送後の一枚は、しゃかりの『空の風』がテーマ曲として使われている『NAHAマラソン』をイメージして、ゴールシーンを♪

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もちろんグリコ!したら森永事件!

ワワワワケンロー!!!


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E.KEMURA
沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字マガジン Okinawanderer の発行、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中!